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🍜 看板建築が点在する新富町に入る
(2枚目の写真の奥、橋の向こう側が銀座一丁目)
今回からタイトルバックの文字がかわったことに気がつかれたと思う。これには、れっきとした理由がある
銀座一丁目の外れで銅板葺き看板建築を見つけたあとは、そのすぐ近くを流れていた築地川の跡地の首都高を越えた。川の向こう側にわたると住所が、銀座から新富町にかわるのだ
したがって、前回のようにタイトル画面に「東銀座」と入れてしまうのもなんなので、新富町とさせていただいた
新富町に入ってすぐのところ、おそらく昔は川風を感じられたような粋なシチュエーションに建っていたのは、安永年間創業の大野屋總本店という歌舞伎役者も贔屓にする老舗の足袋屋である
余談だが我が国には、立体裁断の服が存在しなかったため明治に洋服が入ると、仕立屋ではなく立体裁断はお手のものの足袋職人がテーラーになったそうだ
大野屋總本店は平入切妻、出桁造りという東京の下町ではもっとも定番の造りであるが、角地というロケーションにあるため……
東京の建物では手抜き仕上げされてしまうことが大多数の妻側にも、粋な意匠が施されていた
看板建築もそうだが、角地にある物件は妻側も通りに面しているため、通行人の目に触れるから、デフォルトのブリキ波板を張るだけではなく、きちんと仕上げられているパターンが多い
新富町も銀座一丁目と変わらず古い建物はあまり残っておらず、大野屋の並びにあるのは戦後型の看板建築や住宅、マンションが目だっていた
ここでまた、どちらの方向にすすむのか一瞬迷ったが、老舗の大野屋があったということは、その通りが新富町のメインストリートだと判断して、そのまま真っ直ぐにゆくことにした
すると、その判断が間違っていないことは、すぐに判明した
大野屋から50メートルもゆかないうちに、今度はスクラッチタイル張りの「川島産業」という戦前型看板建築を見つけた
この建物も以前、神田岩本町で見た物件のように、グリーンのネットで覆われてしまっていたので、無住で放置されたため外壁が崩落の危機にあるのだろう
建物の前面の大部分にはスクラッチタイルが張られているが、腰部分にはピンク色のタイルが、そして窓枠を囲むようにエメラルドグリーンのタイルが、さらに庇の部分にはスペイン瓦が用いられている
まるで昭和初期に流行した建築マテリアルの集大成のような豪華な看板建築なので、このまま朽ち果てさせるには惜しい。誰かリノベーションして活かしてほしいが、この状態を見ると持ち主不在物件かもしれない
これだけでも相当テンションが上がるが、その少し先には………
うおおっ、マジか! またしても(✕2)の銅板葺き看板建築が!
こちらの物件もすでに廃業してしまっており、店舗だった部分は完全に住居仕様に改装されてしまっていて、派手なオレンジ色の軒先テントの文字が消されてしまっていた
そして、またしても捕まった宇宙人シチュエーションにされており、銀座界隈では古民家を維持しているのは少数派で、このような嫌がらせのような行為が横行している
こちらの銅板葺き看板建築の先を……
大通り(平成通り)が横切っており、その角地には戦前型看板建築の一群が並んだ東京では絶滅危惧種の風景があった
そのなかのスクラッチタイル張りのような茶色い看板建築には「森永エンゼルストア タナカヤ」という文字が記されていた
ヤマザキデイリーストアーなら聞いたことがあるが、森永エンゼルストアとは初めて聞く名前である。少なくもとうちの近所で見かけた記憶はなく、けっこうレア物件かもしれない
森永エンゼルストアと道を挟んだ向かい側には、戦後型と思われる看板建築があり、こちらは現役の中華料理屋のようだ
こちらの物件も屋上にプレハブ風の“無理やり増築”がなされており、典型的な下町風景を見せている。墨田区京島でも台東区小島でも当たり前のこの風景も建物の高層化に伴い、やがて見られなくなってしまうのだろうか
(高層ビルの屋上に小屋とかあったら逆に萌えるけど)
とりあえず平成通りの向こ側もよさげな気配だったので、信号をわたって先にゆくことにした
すると、そこには秘められた歴史と思わぬ出合いが待っていたのである……続く
†PIAS†
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