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🏡 ②もじゃハウスと崖下バラック群
知られざる近代建築の傑作、千葉大医学部本館に後ろ髪を引かれつつ、旧東金街道の坂道を下る
千葉大のある丘陵の中腹あたりには、こちらも近代建築遺産とでも呼ぶべき千葉の市街地には稀有な素晴らしい看板建築が残って……いるはず、であった
--が、それらしい建物を発見できないうちに、坂の下まで来てしまった
もう、嫌な予感しかしないが、このあたりだろうとアタリをつけた場所をよく観察すると
亥鼻城天守閣(史実にはない観光城である)を控えた丘陵の崖と、ほとんど一体化したもじゃハウスがあり、隣にはスクエアな形状の看板建築
そして、その隣には更地が。まさかと思ってストリートビューを開いてみると
オーマイガッ! 画像と完全に一致しているではないか!
ということはつまり、ここにあった近代建築遺産とでも呼ぶべき素晴らしい看板建築は、解体されてしまったことになる
これで今回の散策の目玉はなくなった。という、あまりの出来事に、膝が抜けるような喪失感を味わう
ちなみに、このときGoogleマップを確認すると、この場所にはまだ「アシュール美容室」という店が記載されていた
この取材の数日後、マップから「アシュール美容室」は削除されたが、この画像は現在も残ったままになっている
すっかりやる気を失くしたが、残っている古い建物がこれだけというのは考えにくいので、散策を続ける
アシュール美容室の跡地のすぐ並びに、またしてももじゃハウスがあった
前述したように、かつてこの道筋には千葉大病院および千葉大医学部を訪れるひと、また近隣の住民が利用するための商店街のようになっていた
しかし、今回歩いてみるとコンビニや数軒の店を除いたほとんどすべての店が、このように廃業してしまっており、商店街としての役目を終えていた
それは、おそらくこのあたりが駅から離れていることに関係しているように思われる。というのも郊外の生活様式は、商店街ではなくバイパス沿いの大型店主体にシフトしてしまっているからだ
坂を下りたところには、千葉亥鼻郵便局があった。これらの条件を考慮すると、かつて千葉の市街地までゆかなくとも、このあたりだけで生活が完結していたにちがいない
坂を下りきった先には都川が流れ、房総往還が横切っている
この付近の房総往還は、以前の記事にて県庁方面から夜歩いた顛末を書いている。そのときの印象は「昭和なビルが並んだ片側アーケードの昔は比較的賑やかだった商店街の成れの果て」という感じであった
坂下から房総往還に抜ける途中には、古い建物がまとまって残る一角があった
こちらの平屋看板建築は、終戦直後に建てられたバラックのような雰囲気で、盛り下がった気分が少し上向いたが、バラック的な物件は、これだけではない
看板建築の裏手にあった遠くから見たとき間違いなくバラックだと思った平屋の住宅は、近くで見てみるとバラックよりは、いくぶんマシな造りの房総スタイルであった
しかし、どう見てもすでに廃屋化しており、あからさまに荒廃感が漂っている
よく見ると瓦葺きの建物の奥には、トタン屋根のバラックのような建物がくっついていたが、私有地っぽいので、ちょっと近づきにくく撮影は諦めざるを得なかった
こちらの物件は、造りからして以前は飲食店のような感じに見える
そう思って写真を詳細に観察してみると、入り口の左側のほうにお品書きの看板が残っているから、おそらく飲み屋のたぐいだったものと考えられた
その脇を流れる都川は、都市型運河かコンクリート三面護岸のドブのようだった千葉の繁華街で見た印象とは正反対のワイルドな雰囲気で、こんな風景だと無粋なコンクリート護岸でもあまり気にならなかった
後ろに緑の丘陵があるこんな風景は、鶴見川上流の横浜市の田舎とそっくりで、なんとなく落ち着いた気分になる
今回の目玉にフラれてしまったので、あとは房総往還の古いビルでも撮影してお茶を濁そう……
と、いささか弱気な気持ちで房総往還に向かったが、このとき僕は、房総往還で驚愕の物件を見つけることになる。などとは、思ってもみなかったのである
続く
†PIAS†
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