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👞 ②幻の注文靴ニコラス・タックゼック  

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログは、一応「風景写真」というカテゴリに属しているため、コンプライアンスを満たすため、前回に引き続き渋谷の街の風景を並べてみただけで、これらの写真には、さほど意味はない

 

ところで、今回、渋谷にある某古着屋で購入したのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事に写真を掲載した、こちらのプレーントゥのデザインのニコラス・タックゼックである

 

 

 

 

 

 

 

 

ご覧のとおりクリフォードストリート17番地。まさにジョージとアンソニーの在籍していた時代のものである

 

一見、ごくありふれた靴のように見えるが、羽根の部分だけが、スムースレザーのコンビになっており、遊びのあるデザインになっている

 

 

じつは、このようなケレンみのあるデザインは好きではなく、できればスウェードかスムースレザーで統一してほしかったが、おそらくこれは、靴なんて何百足も所有する注文主の貴族の気まぐれであろう

 

ところで、こののうな靴が、さほど履かれた形跡のない状態で出てくるのは、主として注文するのが貴族だからだ

 

 

彼らは靴1足とか、シャツ1枚といったような買い物はせず、いや、そもそも買い物という概念はなく、御用達の職人に「じゃあ、この生地でこの色のやつを20着。夏の別荘用に生地をリネンに変えたやつをその半分」とか、「同じフルブローグを茶を5足、黒は10足で」

 

などという、浮世離れした感覚で発注するため、一度も履かれずに残っていたりするわけだ。たとえば貴族御用達のあるイタリアのシャツ屋には、看板も出ていなければブランド名すらもない

 

 

なぜならば、顧客である何人かの貴族のシャツの注文をこなすだけで、十分経営が成り立ってしまうからだ

 

 

日本人は、スーツの裏についているアットリーニなんてブランドタグを誇らしく感じてしまう(かくいう僕もそうだ)だけでなく、ご丁寧にカノニコとかドーメルなんて生地のタグまでつけて喜んでいる

 

ところがヨーロッパの上流階級の者が仕立てたアンダーソン&シェパードのスーツの見えるところにタグなどはついていない。彼らは親の代から生活の一部として、そこで服を誂えているだけなので、別にタグなど必要ないからである

 

 

--という、どうでもいい話はともかく

 

それにしても、製作されたのが1950年代とは思えないモダンなセンスの靴で、それこそオーベルシーとかアルティオリにでもありそうな時代を先取りしたデザインと言えないこともない

 

 

注目すべきは、ベルベットのような上質なバックスキン(現在のカーフを起毛させた偽物ではなく)が、文字通りバック、つまり鹿のスウェードであることであろう

 

 

造りのほうを見てゆくと、アンソニー・クレバリーは、非常に細かいファジングを施す傾向があるが、こちらの靴もその例に漏れないこと

 

そして、僕が見た靴のなかでは間違いなくトップクラスの、ヴィンテージの小笠原製靴に匹敵する異常に細かい出し縫いで、市販のグッドイヤーが1針入れるスペースに、3~4針も入っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

デザインの上では、やはりチゼルトゥと呼ばれるノミのような形状の爪先が特徴的で、じつはタックゼックの靴にはラウンドトゥのもののほうが圧倒的に多く、このようにアンソニーの特徴が全面的に出ている例は、むしろ非常に珍しい

 

ためしに、N. TUCZECで検索をかけると、多くのタックゼックの写真がヒットするが、アンソニーの特徴が全面的に出ているのは、前回の生地で触れたオーベルシーのものぐらいだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チゼルトゥといっても、昨今の大袈裟なものではなくヴァンプラインからトゥまでは、ごく自然なラインを描いており、それがトゥの寸前で、まさにノミの刃先ように、急激に落ち込んでいる

 

しかし、そこには昨今の靴にありがちな誇張したようなところはなく、じつに自然に見えるところに、彼の職人としての力量か伺われる

 

 

これを見て頭に浮かんだのは、雑誌「LAST  issue 07」の記事でビスポークシューズMarquess主宰の川口昭司氏がアンソニー・クレバリーの靴について評した

 

「アンソニーは靴に詳しい方からはものすごく個性的な靴と言われていますが、見れば見るほど、基本に忠実な靴だということがわかってきました」 という言葉だ。氏は、こう続ける

 

「さらに言うなら、基本を突き詰めた先に個性のようなものがある気がします」

 

 

現在は当たり前の定番デザインになったチゼルトゥは、このアンソニー・クレバリーの発明といってよい

 

もちろん、彼以前にも似たようなデザインの靴は当然あっただろうが、それをこのような形状に昇華させたのがアンソニーであることに、異を唱えるひとはいないだろう

 

 

以前、ようやく入手したコークストリート27番地時代のジョージクレバリー本人作の靴と比較してみると

 

 

 

 

 

 

 

 

おおっ、こっちも全然負けてないね

 

ちなみにジョージクレバリーの入手の経緯はこちらに

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、やっぱりアンソニーのほうが心持ち出し縫いの間隔が狭いようだ。彼はとくにボトムメイキングに長けていたそうなので、そのことからもアンソニーが製作した靴で間違いなかろう

 

靴のタイプは異なるが、ジョージとアンソニーを並べてみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

トゥの形状は異なるが全体的な印象は、どこか似通っている

 

どちらの靴からも、わかるひとには一目でわかる尋常ではないオーラが放たれており、心血注いで造られたことは一目瞭然の存在感がある

 

 

既成靴は、どんなに突き詰めてもやはり工業製品にすぎないけれど、古いビスポークシューズには、厳然たる規格が存在する工業製品にはないアバウトさがあり、それが積み重なってひとつの個性を浮かび上がらせているように思えてならない

 

おそらくそれは、非常に感覚的なことなので、わかるひとは見ればわかるが、写真の空気感と同じように、わからないひとには、千の言葉で語りつくしても理解させるのは困難であろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうしてみるとジョージのトゥは、ほとんどラウンドに近いソフトなスクウェアなのに対して、アンソニーのほうは、当時(1960年代)としては、驚くほどエッジの効いたデザインであることがわかる

 

 

うーん、それにしても(二度め)、なんという細かい出し縫い! そして薄い靴底! とても人間技とは思えない緻密さだ

 

僕はおそらく百足を越える英国ビスポークシューズを見ているはずだが造りの精密さで、ここまで攻めているのは、英国ではなく日本の小笠原製靴ぐらいかもしれない

 

 

ちなみにこの靴、製作された時代を考慮すると、かなり状態はよいが、最初の写真を見るとわかるように、右側の靴の履き口の一部と羽根の部分のステッチが切れてしまっており、購入したあと一度も足を通さず、馴染みの修理屋に修復に出してしまったのだが……

 

僕などとは比較にならないぐらいの数の靴を見ている修理のプロですら、この靴を手に取ったとたんに「うーん、うーん、これは凄まじい仕事ですねぇ~」と、何度も嘆息を漏らしていた

 

 

ともあれ、来週には修理から上がってくる(ステッチは全部拾えるそうだ)ので、足を入れるのが楽しみだ。えっ、履くのかって?

 

そんなバカな。恐ろしくてこんな靴履けるわけないじゃないか!

 

 

いや。でもやっぱり履き心地は知りたいし、靴は“履いてなんぼ”だから、一年に2回ぐらいは履こうかな

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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