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👞 ①春嵐の渋谷で運命の靴に出合う  

 

 

 

 

 

 

せっかくの休みなのに、その日は朝から雨が降っていた。それも「しかたねえ。傘さして出掛けるか」という気持ちなど木っ端微塵に粉砕するかのような激しい雨。まさに春嵐といったどしゃ降りであった

 

僕は“屋外型引きこもり”の傾向があるため、部屋のなかでじっとしているのが苦手だ。知らない町の散策なら、足が棒になるぐらい歩き回ってもノンストレスなのに、部屋にこもっていると、しまいには苛立ってくる始末だからやっかいである

 

 

ふて寝して夕方目を覚ますと、あれほど激しかった雨は、傘がいらないレベルの小降りになっていたから、慌てて出掛けることにした

 

というのも、こんな時間からでは、例のくっそクダラナイ緊急なんちゃらのおかげで、すぐに店が閉まってしまうため、近場しかゆけるところがなく、久しぶり(といっても10日ぶりぐらいか?)に渋谷から原宿の古着屋を回ることにした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立石の「呑んべい横丁」は解体されてしまったが、同じような名前の渋谷のそれは、激しい再開発を掻い潜り、いまだに健在なのが嬉しい

 

今や道玄坂ですら昔の渋谷の面影は消え失せてしまい、昭和の渋谷の面影を残すのは、裏渋の一帯と、マークシティの裏側、そして、このわずかな規模の飲み屋街だけになってしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

渋谷から原宿に向かい、定期的に巡回している古着屋回りのコースへ……

 

とある店の店員のお姉さんから聞いていたので、以前から探していた物件が入荷していることを知っていたから、それを見にゆく

 

といっても入荷したのは前日だから、もう残っていない可能性も高い。なぜならばその物件は、英国注文靴のアンティークでも頂点といって過言ではないウルトラスーパーレアアイテムで、古い英国注文靴に興味がある者ならば、ぜひとも入手しておきたいものだからだ

 

 

その靴とは、1968年にジョンロブに買収されるまでは、ウェストエンドで最高の、いや、英国でもジョンロブと双璧をなす最高のビスポーク・シューメーカーと言われていたニコラス・タックゼック(N.TUCZEC)である

 

(もっとも、格式はヘンリー・マックスウェルが上という話もあるが)

 

タックゼックは日本人的な読み方で、正確にはトゥシェック、あるいはトゥチェクという発音が近いが、チェコ系の言葉は他国者には、発音しがたく、ここではタックゼックで統一する

 

 

タックゼックが、なぜ最高のビスポークシューズと呼ばれているのかというと、その工房の職人をしていたのが、ジョージや、甥のアンソニーのクレバリーの一族だからだ(堀勝氏の記事によると一族の5名が在籍していたようだ)

 

 

ところが1950年代頃から、タックゼックの創業者の孫とジョージの仲が悪くなり、1958年にジョージが退社して独立し、1960年にはアンソニーも辞めてしまった

 

それでも英国はアウトワーカーが多いから、しばらくは営業を続けていたが、花形職人のいない工房に精彩はなく、経営が傾いてジョンロブに身売りせざるを得なくなったようだ

 

 

僕がこの靴の存在を知ったのは「最高級靴読本2」に出ていた堀勝氏のコラムに、パリの靴屋オーベルシーに展示されているタックゼックの写真が掲載されていたからだ

 

その靴は創業者のエミール・オーベルシーが、靴屋に転業するときに、旧知の靴マニアでアンソニークレバリーの顧客だったアルチュール・ロペスから「靴屋をやるんだったら、こういうの作れ」とプレゼントされたものだそうで、現存するタックゼックおよびアンソニーの靴では最高のものであろう

 

ちなみにロペスは、ジョンロブの靴にローファーとして名前を残すほどの靴マニアだから、彼の靴は、さぞやアンソニーも気合いを入れて作ったものと類推できる

 

 

 

 

 

 

 

 

その靴がこれだ。この写真を見たとき、大袈裟ではなく鳥肌が立つほどの戦慄を覚えた

 

僕は物を愛するペダンティックな人間なので、マニアではあるかもしれないが、決してフェチストではない。したがって、スゴいなあ。とは思うが擬人化するほどのめりこむことはないし、また、物は物でしかないことは、十分わきまえているつもりだ

 

 

それなのにこの靴からは、そういった「モノ」という概念からはみ出した、なにか得体の知れないオーラが、いや、妖気といってもよい何かが漂い出ているように思えてならない

 

これを見たとき、タックゼックの靴が欲しいと本気で思った

 

 

しかし、すでに半世紀も前に廃業した注文靴屋の靴などは、なかなかオークションにも出ず、たとえ出たとしても法外なプライスが下がっている

 

ほんのひと月ほど前にヤフオクに出たものには60万円以上の、現在、eBayのオークションに出ているエキゾチックレザーのものなどは、約90万円というアホな値段がつけられていた

 

ちなみに、ほとんどの商品に明確なプライスを設定しているヴィンテージシューズ販売サイト“classic shoes for men”においてもタックゼックだけは応相談である

 

 

このようにタックゼックの靴は、海外ですらオークションに出ることは希で、たとえ出たとしても法外な値段がつけられていることが多い

 

最近ヤフオクに出て、148000円で落札されたタックゼックは、インソックにクリフォードst.17もしくは、15の住所ではなく、ジャーミンストリートの表記があったので、両クレバリー在籍時のものではなく、僕なら5万でも買わない代物だ

 

 

つまり、アンソニー、ジョージが在籍時のニコラス・タックゼックの靴、しかも履ける状態とサイズのものを入手するというミッションは、3ワラントのジョンロブ・ロンドンを「D」とすると……

 

 

 

 

 

 

 

 

といった塩梅だから、神に祝福されているとは言いがたい僕の懐具合では、よほどの偶然がなければ、この靴を入手するなどは、あり得ない状況といってよいだろう

 

 

入荷した店に入り、馴染みのお姉さんに声をかけると

 

「まだありますよ~。何人かトライしたひとはいたけど靴が細いから、みなさん諦めました」

 

 

値段を聞いてみると、ちょっと無理すれば手が届くプライスだ。でも半世紀以上前にロンドンで、どこの誰とも知れない英国人(まず間違いなく貴族であろう)が注文した靴が履ける日本人はあまりいない

 

なぜならば、多くのアングロサクソン人(とくに上流階級)は、日本人と比較すると足幅が狭く甲が低いのだ。しかし、僕は平均的な日本人より幅が狭く甲が低い足型なので、もしかしたらイケるかも知れない

 

で、おそるおそる履いてみると……

 

 

財布の中身を確認すると、お姉さんに「キープ!」と、ひと声かけて、そのままコンビニのATMに向かった

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、気合いで購入したニコラス・タックゼック、それもトゥの形状を見れば、靴に詳しいひとならば誰が造ったのか一目瞭然の歴史的逸品、まさにミュージアムピースのアイテムである

 

ということで詳細は次回の記事で!

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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