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🔧 ①知られざる荒川の河岸町・平方   

 

 

 

 

 

つい先日、当ブログの看板建築、じゃなくて看板記事である「埼玉県の宿場町」シリーズにて、上尾を取り上げた

 

上尾は、メジャーな街道(五街道)の中山道の宿場町で、飯盛女(宿場女郎・安直な売春婦)までいたわりには人口は千人程度と、マイナーな街道、矢倉沢往還の宿場町だった二子溝口宿と同じ程度のこじんまりとした宿場であった

 

 

ということは、中山道より一段ランクが落ちる上に、宿場女郎すらいなかった甲州街道の日野の半分強の規模しかない

 

そのかわり、そのシリーズでも紹介した市場町から発展した原市は、上尾宿よりも賑やかな町だったとの言い伝えがある

 

 

が、その原市も上尾市域においては、最大の宿場町ではなかった。これは、取材を終えて帰宅してから、調べものをしていてわかったことである

 

では、上尾市域で最大の宿場町はどこかというと、それは、荒川水運の河岸として物流を担っていた平方という町だ……が、その平方河岸は、明治時代に鉄道が開通するとその役目を終えてしまった

 

 

あとは、そのような町にありがちな緩やかな衰退を迎え、昭和初期頃を最後に、賑わいは上尾駅周辺に奪われてしまったようだ

 

原市、上尾宿(上尾駅周辺)と平方の位置関係はというと……

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな感じ。画面の右側の赤丸が原市、真ん中のが宿場町があった上尾駅、そして左の青丸が平方の町だ

 

ご覧のように交通インフラはバスしかない僻地で、このような立地の町だから、水運が衰退すると運命を共にしたのも宜なるかな、である

 

 

原市は、手遅れとはいえ埼玉新都市交通の駅が開設されて、まだ発展する余地はなくもないが、平方のほうは、完全に忘れ去られてしまったような状況が続いている

 

 

ちなみに、青丸の左側の川が荒川で橋をわたると、もう川越市に入ってしまうから、まさに上尾の最果てにあったわけだ

 

しかし、江戸時代の物流の中心は水運が担っていたから、中山道と川越の中継地点として栄え、人口は1400人と上尾宿を凌ぎ甲州街道の日野に迫る勢いである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回のシリーズで取り上げた上尾駅を、中山道と反対側で降りると、こちらは中山道側よりも徹底的な再開発が行われたようで、駅前の商店街に、懐かしい雰囲気の物件などは皆無であった

 

まるで埋め立て地にある新興の町、あるいは、なんとかニュータウンのような無機質な風景には、あまり温もりとか生活の匂いを感じることができず、このシリーズで取り上げた町のなかでも筆頭のツマラナイ眺めである

 

 

もともとこちら側の町は、中山道側と比べて規模が小さかったようで、再開発された区画を抜けると商業区域も終わってしまうような感じで、とくに見所といったものはなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唯一、目を惹いたのはこの2軒並んだ戦後間もない頃の建物だと思われる妻入のペラペラ看板建築と商家であった

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、どちらの物件もすでに廃業してしまっているようで、向かって右側の商家は、ポスターを見ると寂れた町によくある私設自転車置き場に転業しているようだ

 

 

 

 

 

 

 

 

その奥には、木造モルタルの懐かしい雰囲気のアパートのような建物があった

 

ブルーに塗装されたブリキ波板と、ベージュのモルタルが組合わさると、そこには下町的な雰囲気が生まれ、まるで墨田区にいるかのような錯覚に陥る

 

 

上尾駅のこちら側には、ほかに見所はないものと判断して、川越行きのバスに乗車して、平方の町へ移動した。ちなみに所要時間は20分ほどなので、歩いたら1時間はかかるだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが河岸から発展した平方の宿場町の入り口と思われる場所である

 

上のだだっ広い道は県道53号線という幹線道路で、下の写真のカクッと切れこんでいるのが、川越と上尾宿を結んでいた旧道で、この道沿いに宿場町が展開していた

 

 

このあたりは平方の外れで、現在の状況から推測すると曲尺手の真ん中あたりを、新しく敷設された県道が見事にぶった切ってしまっているように見える

 

平方の中心地は、僕がカメラを向けているのとは正反対の真後ろだが、慣例にしたがって、栄えていなさそうなほうから見にゆくと……

 

 

 

 

 

 

 

 

おおっ、いきなり煉瓦色の真四角な戦後型の看板建築ではないか

 

ファサードには大きく「南金物店」と記されているが、壁面は見るからに手入れされていない様子なので、おそらく廃業してしまっているものと思われる

 

 

そのすぐ先には……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、二階建ての主屋から出っ張るように平屋の看板建築をくっつけた青梅スタイルのおもむき深い物件である

 

看板は錆びついてしまっており、もはやどんな商売をしていたのか知ることはできないけれど、このような建物が並んでいたのだから、県道にぶった切られる以前は、このあたりまでは宿場町の範疇だったのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

角度を変えて撮影してみると店舗の部分は片流れの造りになっており、主屋の部分は立派な造りの破風と、その下にポチっと丸いものが出ている典型的な戦前物件の様式だ

 

この先も見に行ってみたが、数軒の戦後型看板建築や、古そうな平屋住宅があるぐらいで、すっかり新しい住宅街に上書きされてしまっていた

 

 

これで寂れている方面は見たので、旧道をぶった切った県道をわたって、宿場町の核心部に向かうと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり見事な出桁造り商家があって度肝を抜かれる

 

残念ながら2階の高欄はアルミ製に変えられてしまっていたが、店舗の部分には美しい格子がそのまま残されていて、往時の平方の風景に想いを馳せた

 

 

ということで、いよいよ次回は平方の中心部へと向かう

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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