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🍖 ②いきなり核心部へ。名主・矢部家長屋門 

 

 

 

 

長年交通インフラから取り残されてしまったため、古くから繁栄していた原市の町はすっかり寂れてしまっており、かつては大宮より賑やかだったとは思えない、ひなびた風情の町並みになっていた

 

 

 

 

 

 

(明治時代の原市)

 

しかし、東北新幹線を通過させるバーターとして、埼玉新都市交通ニューシャトルの原市駅が開設されたことにより、遅まきながら駅のある町になることができたけれど、町の発展という意味合いに置いては、もはや手遅れと言わざるを得なかった

 

 

僕のような無責任なエトランゼにとっては、そのおかげで見所満載の町並みが残ったのだから、喜ぶべきか悲しむべきか迷うところである

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前にはコンビニひとつないニューシャトルの原市駅を出て県道を越えたところから、斜めに切れこんだ細い道がかつての市場通りで「原市大通り」と名付けられた商店街になっていた

 

原市大通りに入ると、なにもなかったニューシャトルの駅前とは裏腹に、いきなり川越にあっても退けをとらない見事な土蔵造りの商家があって驚く

 

 

これだけでも十分テンションが上がるが、原市の町のポテンシャルは

まだまだこんなものではなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土蔵造りの商家のすぐ先には、このような出桁造りの商家があった

 

看板は出ていないので廃業してしまったような感じに見えるが、店舗の部分は新しくされており、仮に廃業していたとしても、それはごく最近の出来事であろう

 

 

それよりも気になってしかたなかったのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

この建物の隣も埼玉県の宿場町ではお馴染みになってしまった駐車場という名前の更地にされてしまっていることで、近ごろはどこの町に行ってもコレばかりで、いい加減ウンザリする光景だ

 

 

しかし、前述のとおり長らく交通インフラから見放されていたおかげで、中山道の桶川や春日部のように、絶賛再開発中という最悪の状況にはなっておらず、原市には、まだ昔の風情が色濃く残されていた

 

ちなみに、冒頭に写真を掲載した土蔵造り商家の左側にも数年前までは、平屋の凸型看板建築が残っていたようだが、今回訪れたときには跡形もなくなっていた

 

 

ところで、本編の内容とはまったく関係がないが、記事を書くにあたり原市について検索していたら、お笑いコンビのハライチは、この町の出身なのでコンビ名をハライチにした

 

という、どうでもいい情報がヒットしたが、僕の自宅にはテレビはなく、基本的に職場でしか見ないので、どんな芸人なのかは知らない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その少し先には、立派な箱棟を持つ「つくね」という屋号の出桁造り商家があった

 

遠くから見たとき真っ先に「つくね」という文字が目に入ってきたので、てっきり焼き鳥屋だとばかり思っていたが、近くでよく観察すると「つくね」の上に「学生衣料 洋品」の文字があるではないか

 

 

ということは、どうやら埼玉県の宿場町にはやけに多い洋品店だったようである

 

しかし、なんとなく埃っぽくて色褪せた雰囲気が濃厚なので、廃業してしまっているものと思われる

 

 

 

 

 

 

 

 

その先には、またしても昭和中期頃の住宅と、廃業して住居仕様に改装された平屋の看板建築、そして前回の記事の地図の説明で引き合いに出した原市郵便局があった

 

地図を見たとき、どんなレトロな郵便局だろう。と、少し期待していたのに、日本全国どこにでもありそうな、ごく普通の新しい郵便局でガッカリした

 

 

並んでいる建物の様子から、この町が賑やかだったのは、おそらく昭和中期頃までだったのではないだろうか。もし埼玉新都市交通が1970年代前半に開業していたら、町の様子はもっと違うものになっていたであろう

 

 

――が、その先には、そんなダウナー気分を粉々に粉砕する目を惹きつけるような町並みがあらわれた

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと今度は1棟ではなく、町並みとして古そうな建物がズラリと並んでいるではないか!

 

 

このシリーズでは、埼玉県各所の古い建物を紹介してきたが、そのほとんどは(越谷ですら)新しくされた町並みのなかに、ポツリポツリと古民家が残っている

 

――というのがデフォルトの展開で川越、小川町を例外にすると、せいぜい向かい合った商家というのが関の山であったが、こちらは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは広い庭を持つこちらの、見るからに戦前物件の廃業してしまったと思われる商家があり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その並びには、土蔵造りを模したものと思われる主屋を持つ平屋の看板建築の商家があった

 

しかし、こちらの物件も屋号を記した看板などはなく、すでに廃業してしまっているようで、なんとなく荒廃した気配が漂う……

 

 

が、その隣には、今回の散策のクライマックスとでも言うべき物件が並んでいたのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

間口十二間の見事な長屋門である

 

こちらは原市の名主を勤めた矢部家の長屋門で、門前が空き地になっているのは、かつてこの町が市場町として栄えた名残だそうだ

 

 

というのもこの空き地は広庭と呼ばれており往時は、この場所に市が立ったのだそうで、そう思ってこの町並みを観察すると、あちこちの商家の前がやけに広いことに気がついた

 

市が行われなくなってから、矢部家の広庭は、長屋門に増築された平屋の店舗が門の両翼に設えられていて、ネットで検索するとその画像が何件もヒットした

 

 

長屋門にバラックじみた店舗が増築された風景は、いかにも場末といったカオスな感じで、僕の好みにピッタリの風景だったのに、どうやらごく最近になった解体されてしまい、シンプルなかたちに直されてしまったようだ

 

個人的には、増築というか魔改造された姿を見られなかったのは残念であるが、まあ、こちらのほうが正しい姿(シャッターは邪魔だけど)に近いと言えるだろう

 

 

 

ということで……続く。次回は、さらに原市の魅力に迫る

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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