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👞 奇跡再び・小笠原製靴のヴィンテージ2足目
いつもの修理屋に靴を受け取りに行った帰りに、練馬区(および東京西部と埼玉南部)あたりのリサイクルショップを回るのは、僕のなかではすでに恒例行事となっている
というのも、この地域をわざわざ巡回したときは、ほぼ間違いなく収穫がなく手ぶらで帰る羽目に陥るくせに、修理屋に行ったついでに回るとミラクルが起こるからだ
ある日、いつものように修理屋帰りに某リサイクルショップに立ち寄ると、我が国を代表する高級靴ファクトリー小笠原製靴が製作した銀座ワシントン靴店の素晴らしいキャップトゥを見つけた
しかしその靴は、以前同じ地域で発見した同じ小笠原製靴によるギンザ・ヨシノヤのものと比べて状態が悪く、レストアすることにした
――というのが前編のあらすじであるが、当ブログは「風景写真」というカテゴリに属しているため、靴ネタ単独の記事にするわけにはゆかない
そこで以前チラッと写真を掲載したが、写真の出来に不満が残った中目黒に残るバラック建築を、再度撮影した写真を紹介しよう
これがシャレオツな街、中目黒にある風景だと誰が信じるだろう
どこをどう見ても、墨田区京島や足立区千住柳原にあるようなこのバラックだが、これは正真正銘、中目黒の目黒銀座商店街から少し外れたところにある町並みである
これが1棟だけならば「この土地は、俺かご先祖様から受け継いだ大事な土地だ! てめえらなんぞには、死んでも売ったりしねえ。けえれ、けえれ! おい母さん、塩撒いてくんな!」
――と、泉谷しげる演じる頑固親父が意地を張って、土地建物をそのままにしている……というドラマのようなシーンが浮かんでくるが、少なくとも6棟の別の建物が、戦後間もなくのような姿で残っており、その可能性は少ないものと考えられる
いずれにせよ、個人的にこういったパンクなレジスタンス活動は、心の底からリスペクトしたい
そういえば僕の親戚に、築地の魚河岸では知らぬ者はいない頑固者の魚屋がいたが、某電鉄会社や某デベロッパーから、魚屋の土地を○億円で譲ってくれとしつこく迫られたが、死ぬまで首を縦に降らず、その江戸っ子気質を尊敬している
もちろん、その土地は、オヤジが亡くなったとたん、鼻息の荒い子息たちにより一瞬にして売り払われてしまったことは、言うまでもない。当然のことだが、そいつらのことは、一片たりとも尊敬していない
という前おきが終わったところで、肝心の靴の話である
前述のように、修理屋をあとにしてリサイクルショップで入手したときには、かなり状態が悪く、ヒドゥンチャネル(ドブ伏せ)仕様により隠された出し縫いが露出するぐらい靴底が減っていた
そこで、そのまま修理屋にとんぼ返りして、底にハーフラバーを施してもらい、そのあとレストア作業に移った
(写真は再掲載)
さて、こちらの小笠原製靴による銀座ワシントン靴店のキャップトゥ。素晴らしい造りではあるが、長年放置されていたと思われ、革がカサカサに乾きクラック寸前まで痛んだ状態であった
しかも荒い扱いを受けていたようで、靴べらを使わず足入れしたのか、踵にわずかな切れ目があり、底はすり減って出し縫いの糸が露出していた。にも関わらず、履きジワはさほど入っていないのが不思議だが、おそらく店でちゃんとフィッティングしてもらったのだろう
こちらの靴は、一見すると普通のストレートチップのように見えるが、パーツの接する部分には、ごく細かいパンチングが施されており、正確にはクォーターブローグと呼ぶべきかもしれない
こよような異様に小さなパンチングの穴は、イギリスやフランスの靴にはあまり見られず、アメリカや日本の古い靴に時おり見られる仕様である
以前、80年代に三越が別注したチャーチに、似たようなパンチングが施されているのを見たことがあるが、こちらの靴の飾り穴は、直径わずか1ミリ程度しかなく、それがおそろしく正確な間隔で並んでいた
ステッチや出し縫いも小笠原製靴ならではのピッチの細かさで、日本人が精密な作業に長けていることがよくわかる見事な出来映えだ
革はカサカサに乾燥していたが、グリセリン保湿とオイルを補給して、乳化性クリームをすりこんだただけで見事に甦った。ということは、それだけ高品質の革を使用していることがわかる
まさかここまで綺麗に甦るとは思っていなかったので、かなりテンションが上がると同時に、またしてもちょっと履くのが恐ろしくなるのが困りものだ
こちらの靴もヨシノヤのものと同様に我が国の高級靴の特徴のひとつである、靴底を華奢に見せるための矢筈掛け仕様になっていたが、矢筈の角度が、ヨシノヤのものと比べて遥かに鋭角になっていた
また、ウェルトの出し縫いも英国のビスポーク靴のように、土踏ま半ばあたりで終わっていたヨシノヤとは異なり、踵の寸前まで施されている
どちらの靴もパーツの合わせ目は、すべて折り込みになっており、切りっぱなしの部分はひとつもない
よくレベルソ仕上げは手間が……などと雑誌に書いてあるが、海外のレベルソの靴を見ると、たいてい折り目の部分がわずかに段差のようになっているが、小笠原の靴はいずれも段差が一切ないのが凄い
おそらくこれは、パーツの折り目になる部分の革を薄く削いで、折った段階で他の部分と同じ厚さになるように仕上げているからではないかと思われ、その手間のかかり方に戦慄を覚える
靴のインソックと踵の造りは、どちらの靴もほとんど同じで、ご覧のように踵の補強部分には、特徴的なVステッチが施されている。左がギンザ・ヨシノヤ、右がワシントン靴店のものだ
どちらも見事な吊りこみによる立体的なヒールがセクシーである。こちらの2足を並べてみると
(左がギンザ・ヨシノヤ、右がワシントン靴店)
靴を上から見ると、ポッテリした外観のヨシノヤと比べて、ワシントン靴店のものは、かなりトンがったポインテッドトゥで、古いアメリカ靴を思わせるが……
靴を底から見るとその印象は、完全にひっくり返り、恐ろしくウェストを絞って攻めた、モデファイドラストのような内振りの木型のヨシノヤに対して、ワシントン靴店のものは、既成靴のようにストレートな木型をしていた
攻めた木型のヨシノヤが、スタイリッシュにせず地味に徹しているのに、ワシントン靴店は英国靴のようなスマートな外観をしており、性格の違いが際立っている
おそらくワシントンの靴は、当時、世界最高峰だったチャーチの靴をアメリカ的に解釈してデザインされたものなのではないだろうか?
ジャパニーズのアイデンティティを前面に押し出したヨシノヤの靴は、スーツ以外の服装には、どうにもマッチせず、したがって履く機会がほとんどなかったの対して、英国調デザインのワシントンの靴は、カジュアルなスタイルにもマッチしそうな雰囲気だ
履いた感じは、ヨシノヤのものは見た目を裏切らずモデファイドラストのようなコンフォータブルな履き心地だが、ワシントン靴店のものは、エドワード・グリーンの32ラストや808のようなタイトなフィッティングであった
(見た目でいちばん似ているのは、ロブの7000ラストのような気が……)
1990年代後半に高級靴ブームになる以前は、日本の靴はダン広、甲高の昔の日本人に合わせてEEや、EEEなど僕の足には絶対に合わない幅が広いのが標準だったので、当時こんなタイトな靴をよく造ったものだ
ちなみに僕はエドワード・グリーンの202ラストならD、808ならEがジャストだが、この靴は、まさにその程度の幅しかないので、団塊世代が履くのはかなり厳しいかもしれない
ということで、せっかくレストアしてハーフラバーも張ったことだし、こちらの靴は普段履きすることに決めた
とはいえ、この他にも黒のキャップトゥは、オールデンをはじめ何足かあるので、出番はなかなか回ってこないような気がしないでもない
†PIAS†
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