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👧 ⑥川越坂戸毛呂山線に天使を見た 

 

 

 

 

 

僕は芸能人には、まったく興味がないし、また永続的に、特定のミュージシャンのファンだったこともない。海外や日本のいくつかのアーティストのアルバムを追うこともあるが、駄作だと感じたり、僕の趣味から外れたら、それ以上買うことはない

 

たとえば、たまたま輸入されたばかりの無名だったアイスランドのシガーロスというバンドは、かなり気に入ったので、しばらくミニアルバムまで購入していたが、メジャーな英国人がプロデュースしたアルバムは駄作だったので、それ以降は買う気が失せてしまった

 

 

そんな性格なので、芸能人が書いた本などは、なぎら建壱とタモリの本、あとは宍戸錠の自伝ぐらいしか持っていない

 

 

したがって、誰かの写真集も買うことがない。唯一の例外が、石田ゆり子が二十歳ぐらいのとき出した写真集だ

 

しかし、芸能人の写真集ではなく、芸能人が撮影した写真集は、1冊持っている。THE ALFEEの坂崎幸之助がニューヨークを撮影した、本編には(著者近影すらない)、ALFEEはおろか、本人の顔など一切出てこないシリアスなスナップ写真集である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもを撮影したつもりだったのに、帰宅して写真を確認してみると、たまたま外国人にフォーカスが合っていたが、それを狙ったわけではない

 

まるでこの瞬間を狙ったかのような神業の写真。まさにスナップの神様が降りてきた瞬間である

 

 

――話を戻す。では、なぜ坂崎幸之助の写真集を買ったのかといえば、写真集の後半が、坂崎幸之助と写真家の田中長徳の対談になっており、それがとてもおもしろかったからだ(以下、敬省略)

 

その対談は、坂崎の撮影した写真をチョートクが解説するという体になっているが、その実、スナップ写真論を語っていて、それが興味深い

 

 

チョートクは、坂崎の写真を見て「フォトコンテストなら、審査員が見る前の、一次選考で落とされる写真」と、かなり手厳しい。しかし、そうしたコンテストで目を惹く決定的瞬間の写真は、写真集で見ると豪華な料理ばかり出てくるのといっしょで、すぐに飽きてしまうと続ける

 

(だからアンリ・カルティエ・ブレッソンには批判的というあたりに共感する)

 

坂崎の写真は、そうした狙いすました瞬間ではなく、とくにドラマも起こらないニューヨークの日常を写したところに良さがあるという

 

 

さらに興味深かったのは、普通なら、たとえば街中の通行人を画面に入れる場合、人物の頭から電柱が飛び出したりしないように構図を考えたりするが、坂崎の写真には、そうした“あざとさ”がないところがよい、と語っている

 

 

つまり坂崎の写真は、こういう写真を撮ってやろう。という作為的、恣意的な姿勢ではなく、あっ、と思ったときに、無意識に切り取った風景そのものであるところに、スナップショットの真髄があるというのだ

 

この対談でチョートクが語るスナップ写真の論は、僕の目指すとことは微妙に異なっているが、基本的な理念には深く頷けるものがある

 

 

 

 

 

 

 

 

という長い前おきは、あまり本編とは関係ない

 

 

祭りのクライマックスは十分撮影したので、旧埼玉銀行、旧山吉デパートの前から、再び先ほど撮影した本川越駅とのあいだの暗い道に戻ることにした

 

というのは、どうやら今度は、山車がそのあたりに集まりはじめたからだ

 

 

そういった風景をロングで収めるには、GRの28mmの画角は不向きである。そこでサブ機として持ち込んでいたソニーのRX 100を、カバンから取り出した

 

このカメラ、センサーサイズが大きく、なおかつバリオゾナーというズームレンズを備えているので、こういうときは便利である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見よ! このズームならではの圧縮感

 

ところが、このカメラのテスト記事で書いたとおり、取り出してから撮影までのタイムラグがカッタルく、シャッターチャンスを逃すことが多い

 

 

じつはこのあと「飯能まつり」の取材のとき、このRX 100だけで取材してみた(GRを忘れたから)のだが、撮影枚数はたったの200枚ちょっと。なぜかと言うと、3分2以上のシャッターチャンスを逃しているからだ

 

というのも「あっ!」と思ってカメラを起動させて、立ち上がったころには、撮影しようと思った被写体は移動し撮りたかった瞬間は、とっくに終わってしまっているからである

 

 

やはりテストで結論づけたとおり、動かない被写体をじっくり撮影するのには問題ないが、スピードが命のスナップショットには、不向きと言わざるを得ない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで山車の写真は撮影している僕も、いささか飽きてきたので、ここからはオーディエンスに注意を払って、通りを流すことにした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも蔵造りの町と違い、やっぱりこっちは暗いなあ……

 

などと、ちょっと投げやりになっていたら、そんな気分など跡形もなく吹き飛ばすフォトジェニックな女性を見つけた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おおっ、スーツを着た知的なショートカットの女性、しかもメッチャ好みの雰囲気!

 

逸る気持ちを抑えて、モデルになってもらおうと近付くと、あっという間にママチャリで走り去ってしまってガッカリ。まだ声すらかけていないのに、猫といっしょで、殺気を感じたのかにゃ?

 

 

うーん、修行の足りなさを痛感するにゃあ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

などと、ふてくされて猫モードになりながら、しかたなく再び通り過ぎる山車を撮影する

 

とくに気合いを入れたわけではないのに、こういうときに撮影した写真は、なぜかバッチリ構図が決まっているから不思議だ。もちろんモニターOFF、ノーファインダー撮影なのに……

 

 

 

 

 

 

 

 

あっ、自撮りしてる。と、思ってよく見ると、自撮りではなく近ごろ流行りのタピオカティーを撮影していた。おそらくインスタにでも上げるのだろう。インスタ蝿ってやつだな

 

僕はタピオカが入っていない普通の紅茶が好きだ。コーヒーも余計なものは入れないブラックが好き。紅茶はミルクと砂糖もアリだが……

 

 

などと、他人にはどうでもいい個人的な好みはともかく、ふと歩道に目を向けると

 

 

 

 

 

 

 

 

天使を見つけた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、かわいい。君、そのかわいさは反則だぞ。あまりのかわいらしさに、もうキュン死寸前である。個人的には本日一番の盛り上がりだ

 

このまま密着取材したい気持ちだが、確実に不審者として通報されると思うので、一瞬の邂逅にとどめてておくのが、美しい思い出にするコツであろう

 

 

それにしても、先ほどの知的なショートカット美人を逃したのが、悔やんでも悔やみきれない

 

って、あれっ、なんか祭りから主旨が逸れてきてるので、次回はシリーズ最終回……祭りにやって来たオーディエンスの写真のみで構成する

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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