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🏦 ⑧黒須銀行と繁田醤油の長屋門  

 

 

 

 

 

昨日のマクラに書いた、真夜中なのに、いきなりアクセスが集中した件だが、予想通り最初のクライマックスを過ぎると、いきなり数字の上昇率は鈍ってしまった

 

しかし、午前中には500アクセスを越えたので、これは久しぶりに2000の大台に乗るか?

 

 

と、思いきや、その後も上昇率は鈍り続け、まるで景気の悪い会社の株価のような情けない状態に陥って、蓋を開けてみれば、いつもとさほど変わらない1096という数字に終わった

 

まあ、こんなマニアックなブログのアクセスが1000を越えるのだから、むしろもって冥すべし、と言うべきであろう。あれっ、日本語間違ってる?

 

 

という、どうでもいい前おきはともかく……今回は、まさに黒須宿のクライマックスだ。前回の記事にて紹介した入間豊岡教会のすぐ裏手には

 

 

 

 

 

 

 

 

霞川という中小河川が流れている。清流とは言いかねるが、埼玉県の市街地を流れる川では上等な部類に入る川で、源流は多摩川が流れる東京都の青梅市にある

 

ところが分水嶺を越えているので、こちらの川は多摩川ではなく隅田川/荒川水系に属している

 

この川をわたった先で、中武鉄道馬車の跡地と交差しているのが千人同心街道(日光脇往還)である

 

 

街道はそのまま坂戸方面に向かっているが、しばらくすすむと大きく右に湾曲しており、その曲がっているところが、入間市で最大の見所と言えるだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街道がぐねっと曲がっているところには、黒須銀行と繁田醤油の建築群が、ズラリと並んでいた。この一角だけ明治時代が凍結されたような風景だ

 

繁田家は黒須宿名主の家柄で、醤油は分家の興した事業である。通りをはさんだ向かい側には、繁田家が経営している茶舗もあったが、その店が明治期にアメリカに狭山茶を輸出した繁田家だろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒須銀行は、明治42(1909)年に設立された銀行で、もちろん繁田家も創設に関わっている。顧問は渋沢栄一がつとめていた。大正時代に不況により武州銀行に併合され、戦時中は国策によって、さらに統合化が行われ埼玉銀行となった

 

 

明治期の土蔵造りの銀行建築は、首都圏近郊には先日紹介した同じ埼玉県の小川町の小川銀行、佐藤彦五郎の四男が養子に入った有山家が設立した日野銀行などしか類例がなく、きわめて貴重な物件と言えるだろう

 

 

この建物は、大きく改装されることなく、昭和30年代なかばまで埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)の豊岡支店として使われていた。その後郷土資料館に転用され、しばらく公開されていたが、老朽化が激しく閉鎖された

 

 

しかし台風により、建物の裏側の屋根が落ちるなど悲惨な状態のまま、もうずいぶん長い間放置されており、有形文化財がこんな有り様なのだから、埼玉県が文化に対して理解がないことは明らかである

 

抜け落ちた屋根は、4年前に見たときと同じように、ビニールシートを被せた応急処置のまま放置されており、倒壊しないか心配である。というか、埼玉県はやる気がないようなので、東京たてもの園に寄贈したほうがいいんじゃないだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒須銀行の隣にある繁田家は、名主の家柄という上級農家なので、このような立派な長屋門を構えている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門の内側には、明治時代と変わらぬ姿を保った主屋も残っていた。繁田醤油が醸造している醤油の銘柄は「キッコーブ」という

 

以前は長屋門の右側に、キッコーブのホーロー看板が掲示されていたのだが、いつの間にかなくなっていたので、営業をやめてしまったのかと思ったら、醸造施設は地方に移転したようだ

 

ググってみると、どうやら現在は「西山荘street」という施設にリノべーションされているようなのだが、開いているような気配はなく、どうなっているのか、消息に詳しい方にぜひご教示願いたい

 

 

ところで、醤油といえば野田の「キッコーマン」を代表として、キッコーなんとかという商標のものが多いが、このことは、過去に書いているので、そちらから引用すると……

 

 

 

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醤油は、キッコーマンをはじめとして、頭に「キッコー」がつくものが多く、全国に180近いキッコーなんとかがあるそうだ(僕の地元川崎にも昭和20年代まで、キッコーブンザンという醤油があった)

このキッコーは、もちろん「亀甲」のことで、由来は諸説あってはっきりしない

 

わかっているのは、キッコーを最初に使用したのは、元禄元年創業、土浦市に現在も盛業中(茨城県内シェア1位)の柴沼醤油の「亀甲正-キッコーショウ-」だということ
 

そして、同じく土浦の大國屋醤油の「亀甲大-キッコーダイ-」が、江戸中期に江戸の町で流行り、「キッコーなんとか」が、全国に波及したようだ
 

 

 

 

 

 

 

 

 

繁田家長屋門の少し先には、茶所らしく廃業した茶屋の廃墟が、4年前に見たときのまま残されていた

 

その廃墟と道路をはさんだ向かい側には、こんな古民家が残っている

 

 

 

 

 

 

 

 

戦前の出桁造りの建物に、後年になって看板建築の部分を増築した、僕の言うところの「小川町タイプ」の物件である

 

シャッターは真っ赤に錆びつき、軒は歪んでしまっているが、出桁造りの母屋は、さすがにビクともしていないようで、凛として時雨……じゃなくて、凛としたたたずまいだ

 

 

余談だが、このすぐ先の交差点周辺には、郊外型の大型商業施設が集まっており、アウトドアワールドという店は、フライフィッシング用品も扱っているので、飯能在住の漫画家えのあきらと釣りに行くときは、前の日に慌てて消耗品を買いに来る馴染みの場所である

 

閉店直前に慌てて来店して、たいして儲けにもならない消耗品を買って帰るだけの、迷惑きわまりない客にちがいない(もちろん、たまに高い買い物もするが)

 

 

アウトドアワールドは、以前は比較的近所のたまプラーザ店があり、何度か利用したが、いつの間にかドラッグストアになっていた

 

 

この小川町タイプのすぐ先にも、こんな見事な建物が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらはまだ現役で営業中の茶屋である。店舗の部分は、いかにも武州の商家といった雰囲気の出桁造りのものだが、そこに平入で土蔵がくっついているところがユニークな物件である

 

というのも、店舗に付随した土蔵は、通常は妻入のかたちで増設されていることが多いからだ

 

 

しかし、この商家は、平入で土蔵の側面が見えているので、通常のパターンより建物がスマートに見えるところがおもしろい

 

 

これで黒須宿の主だった物件は紹介したので、次回は当ブログの真骨頂である知られざる物件を紹介して、このシリーズを終えたいと思う

 

ということで、次回で黒須宿は完結!

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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