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今回の取材は約640枚と撮影枚数が多い。ただでさえ、取材したまま未編集の写真が1500枚ぐらいあるのに、いくら記事を書いても更新が追いつかない

 

ちなみに、この取材、気合いを入れすぎて翌日は、久しぶりに筋肉痛に見舞われた上に、寝坊までしてしまった

 

 

ところでアメブロは、一回の記事に掲載できる写真の容量があまり大きくない(もっとも画像が大きいと、スマホで見てるひとには迷惑だろうけど)。そこで、今回は「玉の井のカフェー建築」の「Ⅰ」と「Ⅱ」を、2回に分けて一挙に公開する

 

「Ⅰ」のほうは、コメント欄を閉じて「Ⅱ」のほうだけ開けるので、そこんとこヨロシク!

 

 

 

――と、状況説明おしまい

 

直感のおもむくままテキトーに歩いていたら、なんとか玉の井の赤線跡に出ることができた

 

ここで玉の井遊郭について簡単に記しておくと、このあたりが拓けたのは、明治以降のことで、江戸時代は草深い田舎にすぎなかった。したがって遊郭というのは、正確な表現ではなく、時代を鑑みると銘酒屋街もしくは私娼窟あたりが適当だろう

 

 

最初にこのあたりが銘酒屋街として成立したのは大正時代だそうだ。有名になったのは、間違いなく永井荷風の「墨東綺譚」がその理由であろう

 

しかし、その私娼窟は戦災で焼けてしまい、戦後に復活した玉の井は、荷風の通った玉の井とは、まったくの別物で場所も違っており(戦前は、いろは通りの反対側)、僕が訪ねるのは、戦後の玉の井私娼窟である

 

 

そして荷風が愛した玉の井は、あくまでも戦前のもので、戦後になると玉の井だけではなく、変わりゆく東京の下町そのものに愛想をつかし、千葉県の市川真間に引っ越してしまった

 

たしかに昔の市川は、いにしえの江戸の場末の雰囲気があったようで、ぼくの大好きな作家、落語や講談に耽溺した正岡容も、荷風のあとを追うように、市川(本八幡)に転居した

 

 

 

 

 

 

 

 

赤線とはまったく関係がない、最近建てられたなにかのNPO法人の建物には、なぜかカフェー建築のような円柱が

 

まさか玉の井に敬意を表したのか? んなわけないか

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらも玉の井の赤線とは関係ないであろうけれど、ドアの左側に注目

 

むむっ、このケースはコンビニなどで缶コーヒーなどを温かく保つためのものではないか。そういえば友人の漫画家えのあきらも、コレをアンティークショップで見つけて、調味料入れとして使ってたな……

 

 

などと、話が横道に逸れてるかと思いきや、この建物こそ玉の井の有名物件だった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、素晴らしい。赤線と関係あるかどうかはともかく、アングラな臭いがプンプン漂ってくる建物である

 

「小料理せいこ」は営業しているようだが、隣にあった「スナック プリンス」は、看板もなく廃業してしまったようだ。以前はもう1軒「バー 恋心」という店もあったが跡形もなくなっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、その並びにあったカラオケ屋「おたまじゃくし」という店であるが、なぜかカフェー建築の特徴のひとつ、怪しいバルコニーを備えていた

 

 

こちらも玉の井に敬意を表したのか?

 

いや、建物のサイドを見ると不自然な窓や、でっぱりにアールがつけられていたりして、こちらも元カフェー建築なのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

「おたまじゃくし」の建物には、サイドまでカフェー建築では定番の意味不明のバルコニーが……やっぱり怪しい

(写真がえらくアンダーな理由は、次の写真のあとに説明する)

 

 

そのすぐ近くには……

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらも有名物件。これは、数々の先達が調査しており、赤線のカフェー建築と確定している物件である

 

気合いを入れて撮影したかったのに、近所のひとが洗車をしていたので、やむを得ず通り過ぎる一瞬だけ、0.5秒ぐらいノーファインダーでカメラを向けて瞬撮した

 

 

この日は、どうにも巡り合わせが悪く、このように撮影に支障がある状況が多いので、いったん別の場所に回ってから、日暮れどきに再び撮影しに戻ったので、2枚前の写真がアンダーなわけだ

 

しかし、運がいいのか悪いのか、この後どんどん天気は下り坂になり、どんよりとした不気味な雲が低く垂れこめ、怪しげな仕上がりの写真になった

 

 

この先、色温度が低くアンダーな写真があったら、ああ、この写真は引き返したあと、夕暮れに撮影したのか。と、思って間違いない

 

などと説明していると

 

 

 

 

 

 

 

 

うおっ、こりゃスゲエ。タイトルバックに使った、こちらもカフェー建築確定物件。「美春」というカフェーだったらしい

 

 

錆びついたブリキの波板なのに、やはりバルコニー状のものが付随しているあたり、このディテールは、やはりカフェー建築のお約束というものなのたろう。段違いになった窓がおもしろい

 

しかし、困ったのは、このあたりにある建物が、どれもそれっぽくて怪しいことである

 

 

おそらく、その多くは赤線とは関係ないカタギな建物なのだろうけれど、どういうわけか、カフェー建築のような雰囲気のものばかりなのだ

 

たとえば、この路地なんかも……

 

 

 

 

 

 

 

 

ねっ、見るからに怪しい雰囲気でしょ

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは玉の井を訪れたブロガー諸氏が、たいてい撮影している「焼肉 玉の園」思わず僕も無意識にシャッターを切っていた

 

これだけフォトジェニックな物件をスルーしてしまうのは、もったいない。なんとも言いがたい気だるげな風情が漂っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり住宅仕様に改装されているが、2階の庇に注目。おそらくこれもカフェー建築を改装したもので間違いないだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

売春禁止法によって、玉の井の私娼窟は滅ぶのだが、飲み屋街としては存続していて、このように、いたるところに飲み屋が残っている

 

このような物件は、飲み屋と認識できるからよいのだが、困るのがこのあたりにある一見、普通の住宅である

 

 

 

 

 

 

 

 

この家なんて、普通の住宅のはずなのに、なぜかカフェー建築のような怪しいバルコニーがあったりして、非常に紛らわしいのだ

 

だって、どう考えても普通の住宅に、こんな看板みたいな大袈裟なバルコニーは、いらないでしょ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これも怪しい。ピンクのモルタル外壁に、カフェー建築の定番、青いスペイン瓦。そして店の名前が「らむーる」って!

 

菊池桃子がいたアイドルユニットはラ・ムーだけど、こいつは平仮名で「らむーる」ですよ奥さん!

 

 

などと、ちょっとネタ気味の写真を載せたところで、次のカフェー建築が見えてきた

 

 

 

 

 

 

 

 

これはもう、どこをどう見てもカフェー建築以外のなにものでもない。典型的なカフェー建築である

 

意味不明のバルコニー、エッジが落とされた建物の角、円柱、しかもタイル張りだ。2階の窓が野暮なアルミサッシなどに変えられておらず、昔のままのところも評価が高い

 

 

なぜこのような物件に惹かれてしまうのか、自分でもその理由が合理的に説明できない。しかし、近ごろはカフェー建築や赤線跡地に魅せられている若い女性も多いという

 

こうしたアングラなカルチャーの遺構というものは、なにかしらひとを惹きつける魔力があるのだろう

 

 

ということで、引き続きこの素晴らしいカフェー建築の詳細を。さらに、この界隈で見つけたカフェー建築、もしくは、カフェー建築っぽいテイストの物件を紹介しよう

 

ということで「Ⅱ」へ続く

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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