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神明町~喜多町(川越栗橋線)

 

 

 

 

 

 

西武池袋線の本川越駅前を南北に通る道は、駅前にあるホワイト餃子の先の交差点わたった先に、看板建築などが並んでおり、川越市は「昭和の町」を売りにしたいようだ

 

その道は、しばらくゆくとかの有名な「蔵造りの町」になるが、札の辻交差点から先にゆく観光客は、ほとんどいない

 

 

しかし、その先がおもしろい(マニアには)ことは「弁天横町」を紹介したことにより、少しは伝わったと思う

 

この道の正式名は「川越坂戸毛呂山線」というが、川越坂戸毛呂山線は、札の辻交差点で直角に左に曲がる。といっても、どう見ても道は、そのまま続いているのに、そこから先は「川越栗橋線」という名称にかわってしまう

 

 

その先も断続的に古民家が並んでいることは、すでに書いたが、さすがに新河岸川を越えると、その数は激減する

 

川越栗橋線は、川越駅から2キロ、本川越駅から1キロほど行った神明町交差点で、直角に曲がっており、その交差点の手前、神明町交番の先に、川越の商業圏内最後の古民家がある(念のため散策後に、street viewで確認済み)

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが川越駅から2キロほど離れた神明町にある最後の出桁造り商家だ

 

以前は商売をしていたように見受けられるが、僕がこの建物に気がついたときには、すでに廃業してしまったような感じだった

 

 

この古民家は個人的に「川越最強の塀を持つ古民家」と、認識している。というのも……

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで神社仏閣か、武家屋敷のようなあまりにも立派な塀があり、最初に見たとき度肝を抜かれたからだ。それにしても、どんだけ敷地か広いんだよ

 

久しぶりに訪ねてみると、隣に広大な敷地のファミレスとドラッグストアが出来ていて、せっかくの雰囲気は、ぶち壊しになっていたファッキン!

 

 

さて今回は、この川越商圏最後の古民家から、今までの記事とは逆に、川越の中心地に向かって戻るという、ちょっとヒネくれた展開で記事をすすめる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくゆくと、戦前物件の建物でよく見かけるタイルを模したブリキ外装の平屋の看板建築があった

 

こちらの建物は、5年ぐらい前に発見したときから、屋根瓦がヤバいことになっており、ネットで屋根を押さえつけていたが、相変わらずそのままで、想定どおりの写真が撮れたので、ちょっとニヤニヤする

 

 

以前は、この向かい側にも4棟ぐらい戦前物件が残っていたが、造形的にさほど見るべきところがない2棟しか残っていなかった

 

 

 

 

 

 

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この建物を撮影したかったのに、新しいオモチャみたいな建て売り住宅にかわっていて、跡形もなくなっていたファッキン

 

このすぐ先は……

 

 

 

 

 

 

 

 

新河岸川で、川のほとりにも戦前物件の古民家があるが、2年前には2棟並んでいたのに、片方が更地になっていた

 

この写真の道路が見えなくなるあたりには……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エチゴヤ靴店」という渋い出桁造り商家があり、戦前物件が4軒並んでいるが、どの店も廃業してしまったような空気を漂わせていた

 

 

 

 

 

 

 

 

エチゴヤ靴店と細い道をはさんだ向かい側にも出桁造り商家がある

 

この建物、遠くから見ると川越ではとくに目立つこつもない普通のデザインなのだが、よく見ると……

 

 

 

 

 

 

 

 

驚いたことに、かつて店舗があった部分だけ、洋風の造りになっているのだ

 

この日は小雨混じりで、しかもすでに日没後。このような真っ暗な写真しか撮影できず、細部がわからないので、参考のため2年前の写真を貼っておく

 

 

 

 

 

 

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ねっ、店舗部分だけ見事に洋風でしょ。しかも都市景観重要建築物に指定されており、川越市は、なかなか抜かりがない

 

そして、このエチゴヤの横の路地には

 

 

 

 

 

 

 

 

この中東風ともエスニックとも受け取れる摩可不思議な洋館がある

 

初めて見たときは一瞬、変わり者が最近建てたヘンテコ物件なのかと思ったが、どう見ても古い建物で、調べてみると、やはり昭和初期に建造された本物の洋館であることがわかった

 

 

この洋館の向かいには、古戦場でもある東名寺という寺院があり、その門前町の名残ではないだろうか?

 

そして、ここが川越の城下町の北側の入り口になっており、川越街道と同じような曲尺手になっている

 

その曲尺手の先の角には、幕末から明治初頭にかけて建造された梅原菓子店という老舗があったが、廃業してしまい以前通ったときは……

 

 

 

 

 

 

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このように、なにやら改装している最中であった

 

そんなことは、すっかり忘れていたのだが久しぶりに見てみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

洒落た雰囲気にリノベーションされていた

 

もう時間が遅いので閉まっていたが、気になってググってみると、どうやら江戸期の建物を惜しんで川越氷川神社が川越旭舎文庫(かわごえあさひのやぶんこ)という施設にリノベーションしたようだ

 

 

どういう施設なのか、名称からはさっぱりわからないが、要するに川越の文化や歴史に触れるためのフリースペースのような文化的な施設で、素敵な空間のなかで本を読んだりイベントを開催したりするらしい

 

まあ、もう真っ暗だからやってなかったけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

などと、あちこち寄り道していたら、すっかり夜のとばりがおりて、あたりは薄暗くなってきた

 

これで予定していた川越の古民家、洋館や看板建築はだいたい紹介し終わったので、この記事もおしまい……ではなく、読者諸兄は、覚えているだろうか?

 

 

まあ、もう確実に忘れていると思うけど、初回で予告したとおり、個人的な見解である“川越の蔵造り通りは夜のほうが素敵”だ。という説を、次の記事で証明する

 

しかし、川越の記事ばかり続いているので、次回は東急大井町線、目黒線が交差する大岡山で、古民家を探した顛末を前後編でお届けしよう

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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