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石原町~弁天横町
さて、今回からサブタイトルが、ちょっとかわる。というのも主役が洋館、看板建築から廃墟にかわるからだ
川越の洋館、看板建築に関しては、まだ紹介しきれていないが、それはシリーズ後半の記事で、再び取り上げる予定である
前回の記事の最後で掲載したこの写真。画面を横切る通りを、右にしばらくゆくと札の辻交差点、つまり蔵造りの町に出る
写真の右上の樹木の下を新河岸川(赤間川)が流れている
新河岸川のほとりには、2棟の出桁造り商家が向かいあっている。この横切っている道を左にゆくと
さらにこんな出桁造り商家がある
郵便ポストが新しいのが残念だ。隣にはベージュとピンクのツートーンカラーの看板建築があるが、どうやら廃業しているような雰囲気だった
この2棟の建物の斜め向かい側に……
こんな不可解な物件がある
初めて見たときは古いことは古いが、いったいどんなカテゴリに属するのか、頭を悩ませた建物だ
寄せ棟造りの古民家ではあるが、1階部分は民家というより事務所的な造りで、壊れた「ヤンマー」の看板があることから、どうやら農機具の販売店、代理店だったものと類推できる
最初は、昭和30年代ごろの建物かと思ったが、屋根の上に後付けっぽい看板建築のパラペットが乗せられ、2階部分の壁面は、戦前型の看板建築でお馴染みの石積みを模したブリキが貼られている
という、いろいろな意味で年代判定や用途が難しく、似たような建物を見たことがないが、おそらく昭和初期ごろの建物だろう
この少し先の向かい側には
このような平屋の戦前型とおぼしき建物がある。よく見ると、屋根裏部屋の存在を示唆する格子窓がついている
「マキタ電動ミゾキリ」の看板が出ているので、こちらは工具や工作機械類を扱う店のようだ。ちなみに現役で営業している
建物の手前にある屋根がついた物体も謎である。物置にしては細長く背が高過ぎるし、焼却炉というわけではなさそうだし……
建物本体にも、屋根の上から似たようなものが突き出ていた
この屋根の上に屋根つきの突起物があるのは、戦前型の建物でたまに見かけるが、どういった役割を果たしているのだろうか? 順当に考えると換気口としか思えないが……
今回は時間がなくて回れなかったが、新河岸川のほとりにも
このように、何棟かの古民家が残っている
ひとつ気がかりなのは……
このあたりにあったはずのこの建物が見つからなかったことで、もしかしたら解体されてしまったのかもしれない
先ほどの平屋の先にも何棟か古民家があるけれど、特筆すべき物件ではないので、はしょって次に向かう
ここからさほど遠くない場所には、こんな
倒壊寸前の古民家がある
この建物は、廃墟には珍しく、とくに封鎖されているわけではなく自由に入れてしまう(ちなみに土蔵はカラッポである)が有名になると困るので、どこにあるのか、あえて場所は書かない
土蔵を構えた立派な建物で、このまま朽ち果てさせるには惜しい物件なので、リノベーションしてカフェなどの飲食店にしてほしいが、色々と大人の事情があるのだろう
この建物にも例の屋根から突き出た換気口のようなものがあった
それにしても、建物の痛みが激しく、数年も経過すれば修復不可能な状態になってしまうだろう
だが、今回の主役はこの建物ではない。以前に一度このブログで紹介した色街が、ワンブロック丸々廃墟になったこんなDEEPな場所があるのだ
ここは、蔵造りの町が終わる札の辻の交差点から、わずか数十メートルほど行った場所で、つまり蔵造りの町とほとんど連なった場所なのに、観光客は誰も訪れない穴場中の穴場――弁天横町である
レトロな入り口の看板も素晴らしいが、この並びにある建物のどれもが戦前物件というのがすごい
左側の店舗などはファサードが味気ないアルミ製と思われる外装に変えられてしまっているが、屋根の部分を見ると見事に緑青を吹いた銅板であることがわかる
横の部分は、煉瓦を模したようなブリキの外装であるが、それが錆びついて本物の煉瓦のような雰囲気だ
そして窓枠と屋根の部分は銅板……窓ガラスもへなへななので、おそらく戦前のものだろう
ちょうど蔵造りの町並みが尽きる場所なので、喜多院の裏手にあった高級な遊郭に対して、どちらかと言えば庶民的な色街だったのではないだろうか
ここは、散策していて偶然見つけた場所で(というより川越の記事で紹介している物件のほとんどがそうだが)、最初にブログで紹介したころは、あまり知られていなかった。しかし久しぶりにググってみたら、かなりこの場所がヒットした
ということは、今はけっこうメジャーになってしまったのかも。ということで、次回はこの弁天横町の写真を中心にお届けしよう
†PIAS†
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