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川の手通りというパチもん臭い名前の道をしばらくゆくと、住居表示が堀切にかわった。いつの間にか葛飾区に入っていたようだ
堀切には、昭和30年代で時間が止まったような一角があり、しばらく撮影したあと、暗渠沿いをすすむと、それまでの湿気の多そうな閉鎖的な暗渠道は、開放的な雰囲気にかわった
相変わらず暗渠は、川の手通りとは建物1軒ぶんの間隔で続いていたが……
この写真のあたりから、少し奥にひっこんでいた。画面の奥が僕の歩いてきた綾瀬方面である
暗渠は、真っ赤なデュースクーペが停められている家の脇を通りすぎると、その先は、ごく普通の歩道に化けていたが、暗渠歩きを趣味とする者ならば、見落とすことのないわかりやすい展開だ
その歩道、つまりかつての川跡のほとりに
思わず立ち止まらずにはいられない、見事な古民家が建っていた
ズラリと車止めが並ぶ歩道が、かつての川の跡だ。ここでは軽く区画整理が行われたようで……
歩道が角ばったかたちにされていたが、おそらく緩やかに湾曲している古民家の板塀の曲線が、かつての川跡の痕跡だと思われる。ということは、この家は、川沿いに建てられていたのだろう
もはや、その当時の風景は、想像するしかないけれど、さぞや長閑な眺めだったにちがいない
この古民家の並びには
ブリキと木材のハイブリッドの、なにやら作業場のような建物があった
川の手通りに戻って、この作業場のような物件の正体を探る前に、暗渠の先行きを見ることにして、さらに辿ってゆくと
薄いブルーに塗装されたブリキの波板の集合体のような建物があった
2階部分のでっぱりの下部が、三角形になっているのは、スペース効率を追求したからだろうが、そのおかげで建物に不思議な表情をあたえていた
看板を見ると、どうやらリラクゼーション系の店舗が、テナントで入居しているようだが、このドアを開けるには、かなりの勇気が必要だろう。少なくとも僕は絶対に躊躇してしまう
このブリキの芸術品の先の細い路地を抜けると、川の手通りと同程度の広い道に出たので、いったん引き返して、先ほどの作業場風の建物を、川の手通りから見に行った
川の手通りは(ところどころに、邪魔なマンションがあることに目を瞑れば)、昭和30年代のような町並みが続いていた
平屋の看板建築や、モルタル外壁の建物がズラリと並んでいるが、窓には板が打ちつけられていたり、雨戸が固く閉ざされている建物が目立つ
そこから少し歩くと
先ほどの作業場の正体が判明した。なるほど、やはり材木店だったかと、ひとり納得する
材木店は、古くからある町や街道沿いでは、わりとポピュラーな物件だが、新興の町ではあまり見かけない。したがって、これがあると「歴史のある町だ」ということの傍証になりそうな物件である
川の手通りの反対側にわたり、材木店のある町並みを遠望してみると
このあたりには、昔からの町並みが残っていることがわかる
僕が撮影している場所には
「ごはん亭 のもと」という居酒屋があった。おそらく以前のテナントの店名(たぶん中華料理屋)であろう「味一兆」の文字が完全には消えていないファサードと、軒先の赤提灯が郷愁を誘う
川の手通りにあった看板を見ると、暗渠を辿って先ほどぶつかった大通りは、平和橋通りといい、左にゆくと以前取材した四つ木、右にゆくと千住方面に出るようだ
四つ木と千住は、かなり執拗に取材で歩き回ったので、これでふたつの町を結ぶミッシングピースの一部が埋まったことになる
川の手通りと平和橋通りの交差点あたりから、明らかにひと通りが増えて、それまでのやや寂れた空気から一転して、賑やかな雰囲気にかわった
暗渠は平和橋通りを横切ると
こんな感じで続いていた。驚いたことに、それまでの川跡を感じさせない歩道から、見るからに暗渠といった、コンクリート蓋暗渠に変わっているようだ
このまま暗渠を追跡しようと思ったが、今回は暗渠がテーマではないので、川の手通り沿いの堀切中央通り商店街のほうを、先に見にゆくことにした
この写真の右側に、チラリと写っているのが川の手通り、つまり堀切中央通り商店街だ
平和橋通りから先の商店街は、それまでの閑散とした雰囲気とは正反対の、いかにも東京DEEP EASTらしい、飲食店がズラリと並んだ活気のある雰囲気にかわった
どうやら本格的に、堀切菖蒲園の駅前商店街に入ったようだ
ということで、次回は堀切菖蒲園駅の周囲をうろうろするが、そのあとは、またしても気まぐれで、予想外の展開に……
続く
†PIAS†
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