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以前も書いたが、僕はあまりアクセス数とか、ランキングなどは気にしていない

 

というのも、いくら「ブラタモリ」がブレイクしたとはいえ、今どきこのようなマイナーなテーマを扱ったブログが、一般的な層に受け入れられるとは、ぜんぜん思わないからだ

 

 

ーーところが、だ

 

 

 

 

 

 

 

 

ええっ! 風景写真1位⁉

 

マジか? この風景写真って部門はSEO対策だけバッチリで、ぜんぜん風景写真とは関係ない商業用ブログが上位を独占してるんじゃないの?

 

 

うん、きっとこれはなにかの間違いにちがいない。アメブロはテキトーだからなあ。と、思ってふと、アクセス数を見ると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ええっ! マジか? かなり前に、1670とか、1870ってのがあったけど、それは以前のカウント方式で、新しいシステムになってからは、1018が最高記録だったから、なんと倍ではないか!

 

この1位の効果は絶大で、この日は0時になって、一度カウンターがゼロになったあと、寝る前に見てみると、時速100以上で数字が伸びて驚いた

 

 

まあ、その翌日になったら、普段どおりに戻ったけどね

 

 

という前おきはともかく……

 

 

 

有楽町は、あちこちに更地が目につき、廃業してしまった店舗が多いようだ。しかし、昭和初期ごろは所沢の歓楽街だった面影を、わすかにとどめていた

 

 

前回紹介した木材平屋の商家とは、駅の反対側方向にしばらくゆくと……

 

 

 

 

 

 

 

木材トタン張りのバラックのような店舗があった

 

外壁のブリキの波板が錆びつき地のブルーとまだらになっている。手前にある傾いだ煙突が、まるでジブリの世界である

 

 

それにしても、背景のタワーマンションとの対比がシュールで、地上げ屋に荒らされたバブル期の西新宿のような雰囲気だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建物は、入り口のアルミサッシを除いて、すべてが木製の素材で造られていた

 

角に面した部分には、出窓というか、窓口のようなものがあるので、焼き鳥とか団子とか、そういった食べ物を商っていたのだろう

 

 

昭和初期にはこの先にもズラリと店舗が並んでいたが、現在は、まばらに店舗が点在しているだけで、飯能の歓楽街と同様に、凋落する一方なことがわかる

 

 

 

 

 

 

 

 

こにらの建物は、窓や入り口部分がすべて格子にされていることから、飲み屋などの粋筋の店だったことがうかがわれた

 

 

かつては人びとが行き交い賑わった町並みに、現在は、ほとんど通行人すら見かけない。諸行無常という言葉が脳裏をよぎった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真は、わざわざ無人の光景を狙ったものではなく、たまたま歩いてきた所沢駅のほうを振り向いて撮影した写真だが、夕方前の時間なのに、まるでゴーストタウンのように、誰ひとり歩いていない

 

このすぐ先で、かつての歓楽街は、薬王寺にぶつかり道路が鍵の手に曲がっている

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらも振り向いて撮影した。長屋形式の戦後型看板建築があったが、営業しているのかは、微妙な店ばかりだった

 

道は右に曲がると、すぐにまた左に曲がっていた。そのふたつ目の角を曲がると、唐突にこんな景色が目に入った

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと、白壁の土蔵が2棟並んでいるではないか

 

 

何事かと思い正面に回ってみると……

 

 

 

 

 

 

 

 

そこにあったのは、白壁が眩しい2棟の土蔵だった

 

ここは、本当に所沢なのか? まるで川越の町に迷いこんまったかのような錯覚にとらわれる

 

 

これはタダモノではない……と直感し、検索してみると、どうやら幕末に創業された深井醤油という醤油屋の醸造蔵のようだ

 

 

道路をはさんで反対側には

 

 

 

 

 

 

 

 

出桁造りの事務棟のような建物があったが、敷地内なので入れず外側から撮影した

 

昔の地図を見ると、奥に見えているオレンジっぽい建物のあたりまで、すべて深井醤油の敷地で、その敷地の一部に旅籠屋があった

 

不思議なことに、井筒屋の店舗は秩父往還に面していなかったようで、地図には往還沿いは本家と記されており、店舗は、先ほどの土蔵の奥にあったように見受けられた

 

 

それにしても、オレンジっぽいマンションの後ろ側に見えているタワーマンションが、いかに町の景観を台無しにしているのかが、よくわかる

 

ミスマッチのおもしろさと言えなくもないが、それは、ほかの場所がマッチしている場合で、すべてがコレなのは、ミスマッチですらない

 

 

深井醤油から先には、とくになにもなさそうだったので、来た道を戻り、途中から裏路地に曲がってみた

 

 

 

 

 

 

 

 

裏路地の先には、たった1軒の店のために、アーチがしつらえてあった。アーチには割烹「三好」の文字があった

 

どうやら浦町が歓楽街だったころの名残のようだ。店のほうまで回ってみると、

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、まだ現役で営業しているようだ。うーん、でも割烹ってお高いイメージだから用事がないなあ

 

 

このあと少し周辺をうろうろしたが……

 

 

 

 

 

 

 

 

あたりは、すっかり住宅街になってしまっていた

 

唯一、その真ん中あたりに、このかわいい小さな土蔵があったぐらいで、歓楽街だったころの遺構は、とくに見当たらなかったので、東川の下流を見に行った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東川に架かるいかにも昔からありそうな橋のたもとには、出桁造り(看板で見えないから推測)らしき家具店があった

 

 

同じ建物の角の部分は、飲み屋になっており、どんな構造なんだ?

 

と、頭を悩ませながら、もう少し下流域まで見にゆくことにした

 

 

 

続く。次回、ようやくこのシリーズ最終回

 

 

 

東川のほとりに残る所沢のDEEPな飲み屋街と、そこに残っている見事な古民家を紹介する

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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