****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はごろも」という、かわいい看板が目印の羽衣商店街は、西友とサミットがある広いメインストリートのほかは、寂れてひと気がなく、終わったような雰囲気が漂っていた

 

 

メインストリートと直角に交わる裏道の商店街は、この薬局から先は、完全に住宅街に飲み込まれており、その先には南武線の踏切があるぐらいで、店などはなさそうだった

 

 

 

 

 

 

 

 

住宅街の裏手には、なにかの工場があったが稼動しておらず、あたりは静まりかえっている

 

 

裏道をぐるっと回って、メインストリートに戻った

 

 

 

 

 

 

 

 

「日野屋金物店」という看板建築があったが、どう見ても廃業している雰囲気だった。日野屋ということは、川向こうの日野出身なのだろうか?

 

メインストリートには、「たましん」もあるし、さすがに店が並んではいるが、やはりあまり繁栄しているようには見えず、車の往来が激しく撮影しづらい

 

 

西友から伸びるメインストリートは……

 

 

 

 

 

 

 

 

この「羽衣会会館」というグリーンの建物のところで、丁字になっており、こちらの道も羽衣商店街のようだ

 

ところで、メインストリートの続きは、この羽衣会会館の横から、やけに細長い公園になっているが、この不自然な光景は、町歩きが趣味のひとなら、ピンとくるのではないだろうか

 

 

この場所をGoogleマップで見てみると

 

 

 

 

 

 

 

 

画面中央の都道《145》の青い記号と「ブリリアント西国立」のあたりが上の写真に写っている場所である

 

西友西国立店からまっすぐ伸びた羽衣商店街のメインストリートは、都道から先が、まるでグリーンベルトのようになっているのがわかるだろう

 

 

そう、これは川跡、つまり暗渠なのだ

 

この川は、緑川と呼ばれた人工河川で、立川飛行場の排水路として昭和18年から造られはじめたたものである

 

 

排水路は護岸もない素堀の素朴なもので、当初は、中央線と南武線が交わるあたりで、排水を地表に浸透させる計画ですすめられたが、思いのほか排水量が多く、浸透するどころか何度も氾濫してしまったそうだ

 

そこで、この排水路を多摩川に繋げることが計画されたが、戦争になり工事は中断。しばらく放置されてしまった。戦後になって米軍の援助を得て、ようやく多摩川に繋がったのは、昭和27年のことだそうだ

 

 

しかし、その後、例によって水質汚染などにより、暗渠化されるというお決まりのコースをたどり、暗渠にされてしまったのである

 

 

 

 

 

 

 

 

この川に、緑川という名前がつけられたのは、戦後になってからで、それまでは立川都市下水という、身も蓋もない名前で呼ばれていた

 

 

羽衣会会館の裏手には、暗渠につきものの風呂屋があった。まだ昼過ぎなので営業していなかったが、なかなか良さげな雰囲気である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都道145号線にかわった羽衣商店街の裏手に、かつて立川市内に3ヶ所あった赤線の跡地のひとつがあるということなので、ちょっと見に行ってみた

 

 

が……

 

 

 

 

 

 

 

 

住宅街のなかに、いきなり不自然に広い道路がある以外、完全に住宅街に上塗りされており、遺構らしきものは、なにひとつ存在しなかった

 

羽衣商店街もそうだが、このあたりは、宅地化の勢いが凄まじく、古いものは、次々とデリートされてしまっている

 

ここで、唐突に前回の……

 

 

 

 

 

 

 

 

この味わい深い薬局に話を戻す

 

この薬局、じつは赤線跡地の写真の左に写っているマンションを左に曲がってすぐの場所にあるのだ

 

 

暗渠に風呂屋と洗濯屋がつきもののように、赤線には質屋と薬局がつきものなのだそうだ

 

良い子のみんななら、なぜこのふたつがつきものなのか、言わなくてもわかるよね

 

 

 

 

 

 

 

羽衣町をあとにして立川駅のほうにゆくと、都道は、さらに交通量の激しい広い道路にぶつかり、町名が錦町にかわった

 

錦町にも「錦東会会館」という町内会の集会場みたいな建物があった

 

 

都道と斜めに交差している広い道路の向こう側には、こんな看板建築が建っている

 

 

 

 

 

 

 

 

この看板建築の左側の細い路地を入ったところにも、羽衣町と肩を並べる赤線があった

 

当時の立川には、3ヶ所の赤線があったそうなので「どうせついでだから、全部回ってやろう」と、このとき急に思い立ち、この路地に入ってみた

 

 

路地に入ると左側に、さらに細い路地があり、そこには、なんとも形容しがたい怪しい雰囲気が漂っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

写真の奥が細い路地の入り口である。このとてもカタギとは思えない怪しい建物はなんだろう?

 

路地の奥は、新しい住宅やマンションがびっしり詰まっていたが、それでもそこはかとなく不穏なオーラが漂っていた

 

 

赤線を取り上げたブログなどを読むと、ここもまた羽衣町と同じように、遺構は残っていないらしいが、赤線の形跡が、すっかり消去されていた羽衣町とは異なり、この錦町には、なんとなく残り香を感じる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その残り香の最大の理由は、この時代から取り残されたような昭和ちっくな飲み屋街であろう

 

この飲み屋街が、直接的に赤線と関わっていたということは、ないだろうが、佇まいからして、当時からこの場所にあったような佇まいである

 

 

周囲には、立川の市街地のビルと住宅街が押し寄せており、この一角だけが、違和感たっぷりな感じで残っていて、なんとも不思議な雰囲気を醸し出していた

 

この飲み屋から東に向かうと、もうすぐに立川駅だ

 

 

ということで、《立川 DEEP散策》の最初の記事は、これでいったん区切る

 

次の立川散策は、残ったもうひとつの赤線跡地に向かうが、そこには、たった1軒だけどカフェー建築の建物が残っているそうなので、期待してしまうが、はたして……

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

****