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不思議なことに、目黒区には駅から離れた辺鄙な場所に、いくつかのレトロな商店街が存在している

 

今回は、そんな商店街から「油面地蔵通り商店街」を紹介してみよう

 

 

ところで油面と書いて「あぶらめん」と読むのだが、なんだか「油麺」というふうに聞こえてしまい「油そば」みたいだと、ひとりほくそ笑んでいたら、油面の商店街の外れに、油そばの専門店がありちょっと吹いた

 

 

 

 

 

 

 

 

目黒通りと環七は柿の木坂陸橋で交差している

 

この写真に写っている、なんだか壁が剥落してしまったように見える不気味な建物は、柿の木坂警察署だ。この壁を見たとき、一瞬かなりビビったが、よく見るとスクラッチタイルの品質が悪かったのか、変色しているだけのようだ

 

 

まあ、警察署の壁がこんなにポロポロ剥落して、歩行者にでも当たったら、それこそニュースのネタであろう

 

 

ここから目黒通りを目黒方面に少しゆくと、乗っ取り屋として名を馳せ、ホテル・ニュージャパンの火災で投獄された横井英樹の野望が頓挫したことで知られるダイエー碑文谷店がある

 

もともとボーリング場として設計された建物なので、ちょっと変わったデザインで、その偉容は、1キロほど離れたところを通っている東横線の車窓からも目に入るほどだ

 

 

 

 

 

 

 

 

この店は、ダイエーの売場面積あたりの売上高日本一を誇り、近隣に住んでいる芸能人が訪れるダイエーとして有名だったが、いつの間にかイオンになっていた

 

写真の左奥に見える樹木の繁っている場所は、かつて物凄い豪邸があったようだが、なぜか取り壊されて駐車場になっている。このあたりには、こうした超豪邸の跡地が数ヶ所あり、なぜかそのすべてが放置されたままである

 

おそらく固定資産税だけでも、サラリーマン十人ぶんの年収を超えると思われるこのような土地を、数十年間も放置している理由がわからない

 

 

この理由をネットで検索してみたが、まったく不明で、ご存じの方がおられたら、ぜひご教示願いたい

 

ちなみに、その一角には、碑文谷村名主の角田家長屋門が残っており、当ブログにおいて数回取り上げている

 

 

目黒通りをすすむと目黒郵便局前で、かつて品川用水が流れていた跡地の蛇行した道路と交差している。その道を左にゆくと学芸大学駅の商店街に出る。反対に右に曲がると武蔵小山駅だ

 

その先で目黒通りに、左から直角に交わる3つの商店街があり、最初に交わっているのが

 

 

 

 

 

 

 

 

清水稲荷に由来する清水商店街である

 

この商店街は、さほど賑わっているわけではないが、わりと駅に近い(といっても徒歩20分以上かかる)せいか、新しい建物しかなかった

 

 

あってもせいぜい戦後型看板建築で、目を惹くのが、この平屋の建物ぐらいしかなく、とくに見るべきものはない

 

交差している3つのうちで、いちばん目黒駅に近いのが元競馬場交差点からはじまる商店街だが、こちらは商店街としては終わった雰囲気で、ほとんどの店が廃業していた

 

 

唯一、目に止まったのが……

 

 

 

 

 

 

 

 

この奇っ怪な飲食店である。かなり目を惹く建物なので、通行人は、例外なくガン見しながら通過するのが可笑しかったただし、みんな興味を持つが、入ってゆくひとはいなかった

 

 

3つの真ん中にあるのが、今回取り上げる油面地蔵通り商店街である

 

目黒区にはユニークな地名が多い。この油面、元競馬場、衾、碑文谷、鷹番、月光など、一度聞いたら忘れないものばかりだ(碑文谷、鷹番以外はクソつまらない町名にされてしまったが……)

 

 

元競馬場は文字通り、昔そこに競馬場があったことに由来し、競馬場の楕円形のコースの半分ぐらいが、そのまま道路として残っている

 

などと、書くと楽しそうなビジュアルが思い浮かぶが、たしかに地図で見るとおもしろいが、実際に行ってみると単なる住宅街の道路で、ナスカの地上絵が地上から見てもおもしろくないのと同じように、実際に行くのは、あまりおすすめしない

 

 

ちなみに僕は、高校生のころ競馬場の跡地とは気がつかず何度も通っていたが、見た目はごく普通の道路で、予備知識がないと、それとは気がつかない

 

 

 

 

 

 

 

 

これが油面地蔵通り商店街である

 

3つの商店街のうちで、唯一そこそこ繁盛しているが、やはり昔と比べると寂れてしまったのは疑いようもなく、現在この商店街が賑わうのは、節分などのイベントのときだけだ

 

 

この商店街も戦前からのもので、僕が高校生のころには、銅板葺きの看板建築などもあった記憶があるけれど、ずいぶん前に取り壊されてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中身がなくなった電話ボックスがあった。なぜガワだけが残っているのか興味深いミステリである

 

 

久しぶりに訪れると、お目当てのバラック建築の布団屋、出桁造りの床屋など古い建物が、ほとんど取り壊されてマンションや更地になっていたファッキン!

 

 

この時点で、なかば取材の失敗を覚悟したが、この商店街には、メガトン級の物件があるので、残っていれば、それだけで取材成功間違いなしだが、一抹の不安は隠せなかった

 

このところ東京オリンピックの悪影響で、またぞろ土建屋どもが役人や政治家と結託して東京をメチャクチャにしているので、ひとときも油断できない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが商店街の名前の由来になった油面地蔵である

 

もともとは、目黒通り沿いにあったが、例によって道路拡幅工事で、この場所に移動されてしまった

 

 

しかし、移動した人物にはセンスがあったらしく、古道との交差点に移されたので、まったく違和感がない油面地蔵の隣には、昔ながらの町のパン屋さんがあった

 

 

この油面という変わった地名だが、目黒区のホムペによると江戸時代このあたりは菜種油の産地で、その油を芝増上寺や祐天寺に奉納するかわりに、租税が免除されたことから油免→油面になったと言われている

 

ただし、これには異論もあって、「面」というのは単に「村」という意味もあり、油の村というだけの可能性もあるそうだ

 

 

余談だが、東京にはあきる野市に、もうひとつ同じように、菜種油の産地であったことにより、油台と名付けられた村がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

商店街の奥のほうに、取り壊されてしまった平屋とは別の二階建てのバラック風建築が残っていた

 

4軒長屋のそれぞれが、自分勝手なデザインなところがおもしろい

 

 

しかし、そのどれもが廃業してしまっており、荒廃した気配が漂う。通りに面した部分は薄いモルタル塗装だが、サイドはブリキの波板むき出しなのは、隣の建物が解体されて更地になっているからであろう

 

この先で商店街は、学芸大学駅方面からくる道路と丁字に交わって終わる

 

 

その丁字路の左に、今回わざわざこの商店街にやってきた理由の物件が残っているはずだ……というか、残っていなければ、この取材はボツ決定である

 

 

その物件とは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これだ! うーん、素晴らしい!!

 

あまりにもファンタジスタな看板建築の床屋である。よかった。まだ無事に残っていたようだ

 

 

床屋にはレトロ物件が多いという僕の主張が、ここでも実証されたが、それにしても、見事なデザインで「フジミ」という屋号の床屋のファサードが、なんと富士山のかたちに看板の上から突き出ているではないか!!

 

よく見ると富士山にはちゃんと雪が積り、その横に//BAR BARの文字が入っている

 

 

店の横には円柱が配され、ファサードの下部には、凝った装飾が帯状に施されていた

 

 

 

 

 

 

 

 

残念ながらすでに営業はしていないようで、例の“ぐるぐる”はなく、店舗の1階部分はアルミサッシに変えられてしまっているが、それでも残っていてよかった

 

油面地蔵通り商店街は、期待したほど古い建物は残っていなかったが、この「フジミ」が見られただけで、わざわざ学芸大学から40分も歩いた甲斐があったというものだ

 

 

ということで、今回は、看板建築マニア垂涎の床屋「フジミ」を紹介できたので、とても満足である

 

 

じつは、この取材の前に、先ほど文中で触れた目黒郵便局前から武蔵小山に向かう道に移動して、三宝カメラを冷やかしたあと、武蔵小山と学芸大学の真ん中あたりにある「平和通り商店街」も取材したので、そちらは後日記事にする予定だ

 

平和通り商店街は、やはり戦前からの商店街で、油面地蔵通り商店街とは違い、戦前からの建物がいくつか残っているので乞うご期待

 

 

 

 

 

《目黒・油面地蔵通り商店街をゆく》おしまい

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

 

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