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それにしても、今年の冬は寒すぎる
去年は暖冬で、とても過ごしやすかっただけに、それを思い出すと余計に腹が立ってくるが、なにがムカつくかって、去年は、くるぶし丈のチャッカブーツを履けば、足元は暖かかったのに、今年はその程度の防寒装備だと、足先が冷たくなってしまうことだろう
お陰で普段あまり出番のない、ルケーシーのウェスタンブーツが大活躍している
前置きはこれぐらいにして、今回は、ほぼ全編を通して前回の記事の最後で予告した、とっときの物件を紹介する
大森新井宿の臼田坂の下には、高校生のころから通っていた古書店があった。ちなみに、臼田坂は、昔このあたりにたくさん臼田さんが住んでいたことに由来し、今でも臼田という家がけっこうある
その古書店は、ずいぶん前に廃業してしまったようで、現在は看板が出ていない
いわゆる町の古本屋だが、このあたりは客筋がよいのか黒っぽい本(本格的な古書)も置いてあり、昭和初期に改造社から出ていた岡本綺堂の戯曲集を買った記憶がある
さて、さんざん引っ張ったその物件であるが、それは、この廃業してしまった古書店の並びにある
このアンビリーバブルなパン屋の廃墟である
古書店には、高校生のころから通っていたが、その当時このパン屋が営業していたのか、まったく思い出せない
この年期の入った廃墟ぶりから、昨日今日に廃業したのではなく、店を畳んでから少なくとも10年や20年は経過していそうな雰囲気だ
それにしても、一等地とは言いかねるが、仮にも東京23区内の僻地ではない場所に、このような廃墟が残っているのは、奇跡に近い出来事である
大きく「製パン」と記されているので、この店でパンを焼いていたことは間違いないが、屋号を記していた部分が欠落しており、なんという店名だったのかわからない
この新井宿界隈は、まさに馬込文士村と言われていた区域にあるので、おそらく戦前からパン食だったような、モダンな住人がいたものと思われるので、かなり昔からあったような気がする
この店の横にある……
錆びついたペプシの看板が、なんとも言えない深い味わいを醸していた
ペプシの下には付近の地図があるが、道路以外の部分が、すっかり消えてしまっていて、地図の役に立っていないところもシュールである
店の横に回りこむと
朽ち果てた「COSMOS」の自販機が放置されていた
この自販機が現役だったのは、おそらく1980年代までだったような記憶があるので、だとすると、この建物は、30年近い年月のあいだ放置され続けていたのであろう
建物の奥のほうは、どうやら製パン工場だったような雰囲気だ
今回の目的は、これでほぼ果たしたので、さらに新井宿界隈を散策してみる
30メートルも行かないうちに、またしても貫禄たっぷりの廃屋があった。軒先テントには「和洋酒 岩崎屋酒店」と記されていた
運よくこの隣の建物は、すでに撤去されて駐車場になっていたので、横からも見ることができた
横から見るとほとんどがブリキで構成されていた。ブリキの波板は定番カラー、アーシーなブルーとグレーに塗装されている
どの窓枠もガタガタになっているが、この窓が開くことは二度とないだろう
この廃屋のすぐ先には、出桁造りの床屋があった
おそらく戦前の建物を昭和中期に部分的にモダナイズしたものだろう。ここでも僕の“さびれた町でも床屋は生き残る”それも、たいてい古い建物のままで……
という持論が証明された。しかし、床屋の隣にある
「利久庵」という料理屋だったような戦後型看板建築も廃業していた
こうして見ると、かつては栄えていた新井宿の町は、緩慢にゴーストタウン化しているように見えて、廃墟で盛り上がった気持ちが、なんとも言えない虚しさにかわる
あにこちで、駅から離れた場所の商店街を巡っているが、昔より栄えていた例を見たことがなく、この臼田坂の商店街も、その例外ではない
しかし、その先にあった「のんちゃんの店」という脳天気な店には、ちょっと笑った。のんちゃんって誰だ?
どうやら八百屋と肉屋を兼ねているようだ。さびれた新井宿にあって、唯一の流行っている店のようで、次から次へと客が訪れていた
この「のんちゃんの店」の先の信号が臼田坂下で、そこを曲がると川端龍子の記念館がある
川端龍子記念館に向かう曲がり角の戦後型看板建築は、モダンに改装されて美容室になっていた
ちなみに、臼田坂を登ったところには川端康成と石坂洋次郎が、川端龍子記念館とは、反対側に曲がると子母澤寛の家(現在は中学校)があった
以前、臼田坂とは方角の違う坂にある大田区の郷土博物館に行ったついでに、この坂の上を散策したことがあるが、坂の上にも商店街があったが、やはり「終わった」気配が濃厚だった
ということで、今回は新井宿のパン屋の廃墟を紹介した
《旧・池上道さんぽ》おしまい
†PIAS†
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