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哲学堂の公園を出て次なる目的の野方配水塔を探す。いつものように当然それがどこにあるのか……などの事前情報は仕入れていない
以前取り上げた駒沢の給水塔は、住宅街にすっかり埋もれていて探すのに手間取ったので、日没タイムアウトが心配である
とりあえず丘の上にある哲学堂の出口からやや広い通りをわたってまっすぐすすむ。完全なる野生の勘だ
それにしても、このあたりは住所が入りくんでおり、哲学堂は中野区だが、道の反対側は新宿区、そのすぐ先は練馬区……と、自分がどこにいるのかよくわからない
これは先が思いやられる、と、思ったら
配水塔は、あっさりと見つかった。なんてことはない、哲学堂のすぐ先にあったのだ
この配水塔は多摩川から取水した水を、荒玉水道道路を通して板橋区の大谷口まで運ぶため、昭和4年に建造された。駒沢のものと時期が近いためか、よく似たデザインである
現在は配水という機能は果たしておらず、災害時のための貯水槽になっていて、国の有形文化財に指定されている
最初の写真の窓がある付近には、第二次世界大戦のとき米軍の機銃掃射によって穿たれた、いくつもの弾痕が残っている。窓の左側の脇にある黒く見える部分がそうだろう
ところが、その部分に面した場所の前には幼稚園が建っていて、近付くことができなかった
なんとか弾痕を見ようと周りをぐるぐる回ったが、幼稚園によって完全にふさがれてしまっていて、遠くからしか確認できなかった。こういうときだけはズームレンズが欲しくなる
配水塔の裏側は公園として整備されていたが……
塔の高さは36メートルもあるので、こんな見上げた構図しか撮影できなかった
少し離れて撮ればいいじゃんーーと、思うだろうが、給水塔の下の公園は狭く、細い道路をはさんだ密集した住宅街に阻まれて、塔の先端部しか見えないのだ
住宅街にあった立体駐車場に無断で入り込んで無理矢理撮影した写真がこれ
米軍機は東側から機銃掃射したようで、こちら側には弾痕は一切なく綺麗なまんまである
前述のとおり、配水塔の前には幼稚園があり、若くて綺麗なお母さんが頻繁に出入りしていた。あまり長居すると不審者として通報されそうなので、さっさと撮影を切り上げて移動することにした
この塔の住所は中野区だが、道路に出ると住所は練馬区の江古田である。江古田なら昔から馴染みのある町なので、久しぶりに「太陽」という老舗のラーメン屋に行きたくなった
そこで現在位置をGoogleマップで確認すると、たしかに住所は江古田だが、駅までは軽く2キロぐらいはありそうな感じで、さんざん歩き回ったあとなので、どうしようかと迷っていたところに、都合よく江古田行きのバスが来たので乗車した
江古田に着いて、カフェで撮影した写真の整理をしていたら、すっかり真っ暗になった。お腹が空いたので「太陽」に移動する。この店に行くのは、4年ぶりぐらいである
煮干が効いた昔ながらの東京ラーメン。シンプルだが味わい深いラーメンである。そして、この店は餃子が美味い
ラーメン屋にはよくある市販の皮ではなく、プリプリした皮にオーソドックスなニラとキャベツ、ひき肉が織り成す至福の味わいに舌鼓を打った
かつて江古田には何人かの知人がいて、よく遊びに行っていた
このブログによく登場する漫画家の「えのあきら」がまだあまり売れていないころ、たまに仕事を手伝っていた漫画家S氏の仕事場が、落穂舎という古書店が入っていたマンションの上にあり、何度も遊びに行った
S氏の上の階には、しげの秀一の仕事場があり、締切前になると「手伝ってくれ」と窓越しに依頼が来るという、まるで漫画のような一幕もあったそうだ
ちなみにしげの氏は、大ヒット作「イニシャルD」の主人公と同じAE86レビンに乗っていたが、その車は僕の知り合いが買うはずだった車を、しげの氏に譲ったものだそうだ
その知り合いは、だからイニシャルDのヒットは、俺のおかげだ。と、意味不明の自慢をしていた
江古田の雰囲気は、そのころとあまりかわっていなかった。変貌が激しい西武線の沿線では珍しい例である
練馬駅や東久留米駅などは、あまりにも激しくかわってしまい、まるで別の町のようだが、江古田は駅前にタリーズができたぐらいで、いかにも日大芸術学部の町といった雰囲気をとどめていた
しかし、なくなってしまった店も多く、前述の落穂舎はなくなり、よく食べに行っていた線路沿いにあった肉豆腐が旨かった中華料理屋も今はもうない
昔、何度か食べたことがあるたい焼き屋に行ったら、すでに店仕舞いしたあとで、ご近所さんと井戸端会議中だった
そのころは、たしか5軒ぐらい古書店があった記憶があるが、残念ながら、ほとんどなくなっており、そのかわりブックオフができていた
今どきの大学生は古書店に通ったりしないのかね
地下鉄や私鉄の相互乗り入れのおかげで、帰りは楽になった。あのころは、高田馬場と渋谷での乗り換えがめんどくさかったが、東横線直通で、寝ているうちに地元に戻れる。便利な世の中になったものだ
ちなみにタイトルバックのセルフポートレートは、乗った車両に僕しかいなかったので思わず撮影した
《中野から哲学堂へ》おしまい
†PIAS†
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