****
以前記事に書いたように、このところ、やけに品川用水に関わる場所に出くわす
まあ、品川用水が僕の幼いころからの行動範囲内を、ビシッと横切っていたのだから“当たり前”という話もあるが……
しかし、意図したわけではないのに、偶然何度も顔を合わせる女の子と恋に落ちるように、なんとなく品川用水が気になって、その遺構を見に行ってきた
とはいえ品川用水は、そのほとんどが埋めらてしまい、川崎の二ヶ領用水はもとより、六郷用水などと比較しても、残された遺構は、極端に少ない
![2016063017520000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160714/05/pias-202/e0/ee/j/t02200165_0640048013696845248.jpg?caw=800)
つい先日の記事にて紹介した、品川用水がS字カーブを描いていた桜新町に続く地点
同じように学芸大学駅前商店街を抜けて、目黒通りに出る寸前でもこのようにS字カーブを描いているが、護岸の跡とか橋跡のような、暗渠マニアが喜ぶような遺構は、たぶん一切ない
(個人的に“そうかもしれない”と思っている物件は、ふたつみっつあるが)
これは、比較的最近まで農地が残っていた二ヶ領用水などに比べ、早い時期に市街化して埋めらてしまったからだろう
![F00044_1_4.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160426/20/pias-202/86/69/j/t02200151_0640043913629868243.jpg?caw=800)
埋めらている品川用水の様子
風景から埋められたのが、古い時代だとわかる。この時代、二ヶ領用水や世田谷区内の六郷用水は、バリバリの現役だ
と、前置きしたところで、ようやく本題に入る
今回訪ねたのは、世田谷区の桜丘。馬事公苑から世田谷通りをわたった、東京農大の前の道である
このあたりは、品川用水を通すため、地面を深く堀下げていた
その堀下げた部分は玉石で護岸され、その護岸がかなりの距離、そのまま残されているのだ
![2016070617080000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/06/pias-202/2f/a9/j/t02200165_0640048013697645292.jpg?caw=800)
これが品川用水の通っていた道。沿道には桜並木があり、世田谷区の桜名所のひとつだ。地名は桜丘。桜ヶ丘ではなく「さくらおか」というのが珍しい
撮影した方向は、千歳船橋駅を背に農大方面、つまり品川用水の上流から下流に向かって、である
早速、品川用水の護岸跡を見にゆくと
![2016070716210000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/51/d7/j/t02200165_0640048013697660738.jpg?caw=800)
![2016070716130000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/9b/c3/j/t02200165_0640048013697661039.jpg?caw=800)
品川用水に橋が架かっていた場所に、モニュメントのようなものが設置されていた
この場所に架かっていたのは、南橋というようだ
![image0004.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160727/07/pias-202/57/d7/j/t02200298_0473064013707666326.jpg?caw=800)
橋は、地図の真ん中の信号のあたりにあった。画面を横切る道のはじっこを品川用水が通っていた
モニュメントとは、なかなかの心遣いではあるが、どうせなら橋の欄干や親柱を残してほしかった
とはいっても、品川用水が廃止されたのは、まさに日本が、戦災から復興しようかという時期
過去をモニュメントにするより、未来の発展。文化遺産などという考えは、なかったのだろう
えっ、前置きが長い?
じゃあ、いよいよ護岸跡を紹介するが、まず目を惹かれたのがこれ
![2016070716140000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/1d/18/j/t02200165_0640048013697664539.jpg?caw=800)
![2016070617060000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/b5/0b/j/t02200165_0640048013697664740.jpg?caw=800)
新しいマンションの土台に、品川用水の石積み護岸が、そのまま活かされているのだ
僕は最初、てっきり世田谷区の行政指導などにより、このような建物になったのかと思っていたら……
この石積み護岸は、文化財などには指定されておらず、行政が指導するような権限も根拠もない。つまり、これは住民や地主が「自主的」に残しているのだ
マンションの近くには、品川用水の説明看板が設置されていた
![2016070716240000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/65/00/j/t02200165_0640048013697664967.jpg?caw=800)
このあたりに居住するひとたちは、品川用水に、誇りと愛着を持っているようだ
暗渠や用水跡を回っていると、ゲンナリする話ばかり聞くが、これは、なんだか嬉しくなるいい話ではないか
このマンションのあたりは、さほど深く掘削されていないようだが、この先は……
![2016070617010000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/2d/18/j/t02200165_0640048013697668696.jpg?caw=800)
![2016070617020000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/19/31/j/t02200165_0640048013697669045.jpg?caw=800)
用水を通すため、4~5メートルぐらい掘ったようで、沿岸の家から用水に降りる階段が2階ぐらいの高さである
![2016070617030000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/b1/8f/j/t02200293_0480064013697670174.jpg?caw=800)
護岸は、石積み、コンクリート、ブロック塀の三段構え。ずいぶん高いところに古いホーロー看板がある
これには萌えた。石積み護岸から古いヒューム管が飛び出している。間違いなく当時のものだろう
![2016070617050000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/0e/4c/j/t02200165_0640048013697672328.jpg?caw=800)
こちらは、石積み、大谷石、ブロック塀の三段構え。地上2メートルぐらいのところから、排水パイプが突き出ている
![2016070716180000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/0c/b5/j/t02200165_0640048013697673375.jpg?caw=800)
たまたま工事中の場所を見つけた。レアな護岸の断面図
![2016070617100000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/66/c1/j/t02200165_0640048013697673885.jpg?caw=800)
ほかに遺構がないかしらん、と、うろうろしたが、それらしいものは、これしか見つからなかった
農大の外れにあった、なにやら古い擁壁らしき遺構
目的の石積み護岸は見たし、このまま帰ってもよかったが……
この近辺の暗渠を回る予定はないが、暗渠ブロガーの先達たちの記事を読むと、この農大付近には、いろいろ暗渠があるようなので、ちょっとうろついてみた
農大の裏手で、明らかな暗渠を見つけたが、今回は“ついで”に追跡している時間がなかったので、写真も撮らず見ただけ
しかし、気になったのは、農大の裏手の細い路地は、どうやら古道だったらしく
![2016070617180000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/f6/f6/j/t02200165_0640048013697677597.jpg?caw=800)
このような古い道標が建っていた
いつ設置されたのか年号を見たが、磨耗しており、よくわからなかった。が、江戸時代のものには間違いないとは思う
![2016070617200000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/e6/75/j/t02200293_0480064013697678030.jpg?caw=800)
![2016070617190000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/d5/4a/j/t02200293_0480064013697678415.jpg?caw=800)
今は住宅街の細いこの道は、かつて北が「四谷」、南が「大山道」に続いていたようだ
大山道は、かすかに二子の文字が見えるので、矢倉沢往還のことだと思う
それにしても、ここから四谷につながる道があるとは意外だった。どういうルートなのか知りたいものだ
ということで、品川用水が残した石積み護岸の話でした
†PIAS†
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以前記事に書いたように、このところ、やけに品川用水に関わる場所に出くわす
まあ、品川用水が僕の幼いころからの行動範囲内を、ビシッと横切っていたのだから“当たり前”という話もあるが……
しかし、意図したわけではないのに、偶然何度も顔を合わせる女の子と恋に落ちるように、なんとなく品川用水が気になって、その遺構を見に行ってきた
とはいえ品川用水は、そのほとんどが埋めらてしまい、川崎の二ヶ領用水はもとより、六郷用水などと比較しても、残された遺構は、極端に少ない
![2016063017520000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160714/05/pias-202/e0/ee/j/t02200165_0640048013696845248.jpg?caw=800)
つい先日の記事にて紹介した、品川用水がS字カーブを描いていた桜新町に続く地点
同じように学芸大学駅前商店街を抜けて、目黒通りに出る寸前でもこのようにS字カーブを描いているが、護岸の跡とか橋跡のような、暗渠マニアが喜ぶような遺構は、たぶん一切ない
(個人的に“そうかもしれない”と思っている物件は、ふたつみっつあるが)
これは、比較的最近まで農地が残っていた二ヶ領用水などに比べ、早い時期に市街化して埋めらてしまったからだろう
![F00044_1_4.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160426/20/pias-202/86/69/j/t02200151_0640043913629868243.jpg?caw=800)
埋めらている品川用水の様子
風景から埋められたのが、古い時代だとわかる。この時代、二ヶ領用水や世田谷区内の六郷用水は、バリバリの現役だ
と、前置きしたところで、ようやく本題に入る
今回訪ねたのは、世田谷区の桜丘。馬事公苑から世田谷通りをわたった、東京農大の前の道である
このあたりは、品川用水を通すため、地面を深く堀下げていた
その堀下げた部分は玉石で護岸され、その護岸がかなりの距離、そのまま残されているのだ
![2016070617080000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/06/pias-202/2f/a9/j/t02200165_0640048013697645292.jpg?caw=800)
これが品川用水の通っていた道。沿道には桜並木があり、世田谷区の桜名所のひとつだ。地名は桜丘。桜ヶ丘ではなく「さくらおか」というのが珍しい
撮影した方向は、千歳船橋駅を背に農大方面、つまり品川用水の上流から下流に向かって、である
早速、品川用水の護岸跡を見にゆくと
![2016070716210000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/51/d7/j/t02200165_0640048013697660738.jpg?caw=800)
![2016070716130000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/9b/c3/j/t02200165_0640048013697661039.jpg?caw=800)
品川用水に橋が架かっていた場所に、モニュメントのようなものが設置されていた
この場所に架かっていたのは、南橋というようだ
![image0004.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160727/07/pias-202/57/d7/j/t02200298_0473064013707666326.jpg?caw=800)
橋は、地図の真ん中の信号のあたりにあった。画面を横切る道のはじっこを品川用水が通っていた
モニュメントとは、なかなかの心遣いではあるが、どうせなら橋の欄干や親柱を残してほしかった
とはいっても、品川用水が廃止されたのは、まさに日本が、戦災から復興しようかという時期
過去をモニュメントにするより、未来の発展。文化遺産などという考えは、なかったのだろう
えっ、前置きが長い?
じゃあ、いよいよ護岸跡を紹介するが、まず目を惹かれたのがこれ
![2016070716140000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/1d/18/j/t02200165_0640048013697664539.jpg?caw=800)
![2016070617060000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/b5/0b/j/t02200165_0640048013697664740.jpg?caw=800)
新しいマンションの土台に、品川用水の石積み護岸が、そのまま活かされているのだ
僕は最初、てっきり世田谷区の行政指導などにより、このような建物になったのかと思っていたら……
この石積み護岸は、文化財などには指定されておらず、行政が指導するような権限も根拠もない。つまり、これは住民や地主が「自主的」に残しているのだ
マンションの近くには、品川用水の説明看板が設置されていた
![2016070716240000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/65/00/j/t02200165_0640048013697664967.jpg?caw=800)
このあたりに居住するひとたちは、品川用水に、誇りと愛着を持っているようだ
暗渠や用水跡を回っていると、ゲンナリする話ばかり聞くが、これは、なんだか嬉しくなるいい話ではないか
このマンションのあたりは、さほど深く掘削されていないようだが、この先は……
![2016070617010000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/2d/18/j/t02200165_0640048013697668696.jpg?caw=800)
![2016070617020000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/07/pias-202/19/31/j/t02200165_0640048013697669045.jpg?caw=800)
用水を通すため、4~5メートルぐらい掘ったようで、沿岸の家から用水に降りる階段が2階ぐらいの高さである
![2016070617030000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/b1/8f/j/t02200293_0480064013697670174.jpg?caw=800)
護岸は、石積み、コンクリート、ブロック塀の三段構え。ずいぶん高いところに古いホーロー看板がある
これには萌えた。石積み護岸から古いヒューム管が飛び出している。間違いなく当時のものだろう
![2016070617050000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/0e/4c/j/t02200165_0640048013697672328.jpg?caw=800)
こちらは、石積み、大谷石、ブロック塀の三段構え。地上2メートルぐらいのところから、排水パイプが突き出ている
![2016070716180000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/0c/b5/j/t02200165_0640048013697673375.jpg?caw=800)
たまたま工事中の場所を見つけた。レアな護岸の断面図
![2016070617100000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/66/c1/j/t02200165_0640048013697673885.jpg?caw=800)
ほかに遺構がないかしらん、と、うろうろしたが、それらしいものは、これしか見つからなかった
農大の外れにあった、なにやら古い擁壁らしき遺構
目的の石積み護岸は見たし、このまま帰ってもよかったが……
この近辺の暗渠を回る予定はないが、暗渠ブロガーの先達たちの記事を読むと、この農大付近には、いろいろ暗渠があるようなので、ちょっとうろついてみた
農大の裏手で、明らかな暗渠を見つけたが、今回は“ついで”に追跡している時間がなかったので、写真も撮らず見ただけ
しかし、気になったのは、農大の裏手の細い路地は、どうやら古道だったらしく
![2016070617180000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/f6/f6/j/t02200165_0640048013697677597.jpg?caw=800)
このような古い道標が建っていた
いつ設置されたのか年号を見たが、磨耗しており、よくわからなかった。が、江戸時代のものには間違いないとは思う
![2016070617200000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/e6/75/j/t02200293_0480064013697678030.jpg?caw=800)
![2016070617190000.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20160715/08/pias-202/d5/4a/j/t02200293_0480064013697678415.jpg?caw=800)
今は住宅街の細いこの道は、かつて北が「四谷」、南が「大山道」に続いていたようだ
大山道は、かすかに二子の文字が見えるので、矢倉沢往還のことだと思う
それにしても、ここから四谷につながる道があるとは意外だった。どういうルートなのか知りたいものだ
ということで、品川用水が残した石積み護岸の話でした
†PIAS†
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