****
小林家住宅をあとにして、砂川七番まで一旦戻ることにしたが、同じ道を通ってもつまらないので、畑の横の古道っぽい道を選んだ
方向はあっているので、なんとかなるだろう
途中の辻に馬頭観音があった
かなりデカイ。高さ2メートル近い
こんな大きなものは、初めて見たかもしれない。たいていの馬頭観音は、路傍にちんまりと祀られているのが普通だ
いつ頃のものか気になったので、側面や裏側などを調べるが、風化が激しく「嘉永□年」としかわからなかった
馬頭観音からすぐ先で古道は、タイヤ屋の横で五日市街道に合流していた
その近くにあった農家の蔵
薪が山積みされている。ということは、まだ囲炉裏があるのだろうか?
しかし、このあたりの農家は、間口が軽く20~30メートルはあり、母屋は入り口からかなり奥にあるため、どんな家なのか一切伺い知ることはできなかった
しばらく歩くと多摩モノレールの「砂川七番」の駅前に出る
砂川家に向かう前に、近くの図書館に、砂川の歴史について調べに行くが、小さな分館で郷土資料があまりなく、受付の親切なお姉さんに、「それなら立川駅前の本館に限る」と案内された
しまった。あらかじめ知っていれば、ブックオフじゃなくて図書館に寄ったのに……と、後悔しても後の祭り
とりあえずそこにあった砂川町発行の「砂川の歴史」という本をしばらく読んだ
駅前から五日市街道を西に、砂川家を目指して歩きはじめると……
駅前からすぐに古民家を発見して、かなりテンションが上がる
間口は、軽く30メートル。しかし、母屋までも入り口から軽く20メートルは、引っこんでいてよく見えなかった
しかし、この家にも薪の山があったので、やはり囲炉裏があるのかもしれない
しばらく歩くと、思わぬものを見つけて嬉しくなる
なんと、長屋門じゃないか!
プレハブの倉庫を昔ふうに装飾して、片袖をつけただけの「なんちゃって」長屋門だが、これぞ正しいなんちゃって長屋門である
嬉しくなって道をわたり、近くに行ってみた
うーん、やっぱり長屋門だ
おそらくこの家のひとが、景観を壊さないように気配りしたのであろう。心意気やよし!
五日市街道は、西に行くほど、つまり、都心から離れるほど風情が増すようで、路傍にいろいろなものが見つかる
と、思っていたら小さな道標があった
解説を読むと、この道標のある家の横の細い道は、柴崎道と呼ばれ、村山を……
「あっ、この道は、最初の記事で紹介した、所沢から日野に抜ける道ではないか!」
やっぱり江ノ島道ではなく、こちらを歩くべきだったと、少し後悔する
ところで、砂川といえば、誰もが連想するのが砂川闘争。安保反対運動につながる、最初の運動である
砂川闘争は、やがて左翼運動の波に飲みこまれてしまったが、最初は純粋な住民の怒りだった
その砂川闘争の本拠地「団結小屋」があった場所に、ひっそりと案内の看板があった
そこからしばらく歩くと、大山道との交差点に出た
大山道は、江戸時代に信仰を集めた大山詣りのための道で、巨大な木刀を奉納した
この道をゆくと、やはり最初の記事で紹介した、江ノ島道と交わるそうだ
大山道にあった農家の蔵と物置小屋
物置小屋は使われていないのか、廃屋のようだった
それにしても、蔵に荷車の車輪を飾るのは、うちの近所でも見たが。昔の流行なのだろうか?
その先には、阿豆佐味(あずさみ)天神社があった
七五三の親子連れで、かなりの賑わいをみせている
阿豆佐味天神社の斜め前には、流泉寺がある。いずれも砂川を開拓した、砂川家が中心となって勧進したものである
その流泉寺に、予想だにしていなかった「思わぬもの」を発見して、さらにテンションが上がるのであるが……
――続く
†PIAS†
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小林家住宅をあとにして、砂川七番まで一旦戻ることにしたが、同じ道を通ってもつまらないので、畑の横の古道っぽい道を選んだ
方向はあっているので、なんとかなるだろう
途中の辻に馬頭観音があった
かなりデカイ。高さ2メートル近い
こんな大きなものは、初めて見たかもしれない。たいていの馬頭観音は、路傍にちんまりと祀られているのが普通だ
いつ頃のものか気になったので、側面や裏側などを調べるが、風化が激しく「嘉永□年」としかわからなかった
馬頭観音からすぐ先で古道は、タイヤ屋の横で五日市街道に合流していた
その近くにあった農家の蔵
薪が山積みされている。ということは、まだ囲炉裏があるのだろうか?
しかし、このあたりの農家は、間口が軽く20~30メートルはあり、母屋は入り口からかなり奥にあるため、どんな家なのか一切伺い知ることはできなかった
しばらく歩くと多摩モノレールの「砂川七番」の駅前に出る
砂川家に向かう前に、近くの図書館に、砂川の歴史について調べに行くが、小さな分館で郷土資料があまりなく、受付の親切なお姉さんに、「それなら立川駅前の本館に限る」と案内された
しまった。あらかじめ知っていれば、ブックオフじゃなくて図書館に寄ったのに……と、後悔しても後の祭り
とりあえずそこにあった砂川町発行の「砂川の歴史」という本をしばらく読んだ
駅前から五日市街道を西に、砂川家を目指して歩きはじめると……
駅前からすぐに古民家を発見して、かなりテンションが上がる
間口は、軽く30メートル。しかし、母屋までも入り口から軽く20メートルは、引っこんでいてよく見えなかった
しかし、この家にも薪の山があったので、やはり囲炉裏があるのかもしれない
しばらく歩くと、思わぬものを見つけて嬉しくなる
なんと、長屋門じゃないか!
プレハブの倉庫を昔ふうに装飾して、片袖をつけただけの「なんちゃって」長屋門だが、これぞ正しいなんちゃって長屋門である
嬉しくなって道をわたり、近くに行ってみた
うーん、やっぱり長屋門だ
おそらくこの家のひとが、景観を壊さないように気配りしたのであろう。心意気やよし!
五日市街道は、西に行くほど、つまり、都心から離れるほど風情が増すようで、路傍にいろいろなものが見つかる
と、思っていたら小さな道標があった
解説を読むと、この道標のある家の横の細い道は、柴崎道と呼ばれ、村山を……
「あっ、この道は、最初の記事で紹介した、所沢から日野に抜ける道ではないか!」
やっぱり江ノ島道ではなく、こちらを歩くべきだったと、少し後悔する
ところで、砂川といえば、誰もが連想するのが砂川闘争。安保反対運動につながる、最初の運動である
砂川闘争は、やがて左翼運動の波に飲みこまれてしまったが、最初は純粋な住民の怒りだった
その砂川闘争の本拠地「団結小屋」があった場所に、ひっそりと案内の看板があった
そこからしばらく歩くと、大山道との交差点に出た
大山道は、江戸時代に信仰を集めた大山詣りのための道で、巨大な木刀を奉納した
この道をゆくと、やはり最初の記事で紹介した、江ノ島道と交わるそうだ
大山道にあった農家の蔵と物置小屋
物置小屋は使われていないのか、廃屋のようだった
それにしても、蔵に荷車の車輪を飾るのは、うちの近所でも見たが。昔の流行なのだろうか?
その先には、阿豆佐味(あずさみ)天神社があった
七五三の親子連れで、かなりの賑わいをみせている
阿豆佐味天神社の斜め前には、流泉寺がある。いずれも砂川を開拓した、砂川家が中心となって勧進したものである
その流泉寺に、予想だにしていなかった「思わぬもの」を発見して、さらにテンションが上がるのであるが……
――続く
†PIAS†
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