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前回は西府から百草園、高幡不動を経て日野まで、日没縛りがあり、10キロ越えのルートを4時間で踏破し、4棟の長屋門を取材するという、ちょっと……いや、かなりせわしない散歩だった
今回は、そんなことがないように、地元の駅を午前9時半に出て、ゆっくりと回る予定で出発した
今回のコースは、立川駅から立川通りを北へ、高松3丁目で江ノ島道をたどって五日市街道に出る
そこからいったん東に向かい、川越緑地公園の古民家を見学
五日市街道を西に戻り、多摩モノレールの砂川七番駅を経て、砂川村草分け名主の砂川源五右衛門の屋敷の薬医門を見学して、裏を流れる多摩川上水を見る
そのあと、まだ時間に余裕があったら、モノレールで柴崎体育館までゆき、前から見たかった根川にかかるつり橋を見学……という計画である
まずは立川駅へ……
到着したのは午前10時ちょっとすぎ。駅の北側は、相変わらず賑わいを見せている
とりあえず伊勢丹の横を抜けて、繁華街は、2階の中空遊歩道でパスする予定だったのに……
ロフトの看板を見て「ああ、10時すぎか……もうブックオフ開いてるなあ」と、いきなり魔が差し、フラフラと入る
百円コーナーで2冊購入してしまったテヘペロ
しかし、このシリーズ10冊以上出ているので、集めるのが大変である。それにしても、これからまた10キロぐらい歩くのに荷物を増やしてどうする
フロムは、まだ改装の最中で、グレーのシートがビル全体にかぶさり、かなり不気味だ
フロムの交差点をまっすぐ行かず、立川通りから外れて裏道に向かう
以前から、立川通りのちょっと裏に巨木が生えている一角があり、とても気になっていたのだ
今日は、時間に余裕があるから、余裕綽々で見に行ける
どうやら昔は、大きな農家があったような場所に出た
しかし、今はビルの裏で、屋敷林だけ残った広い駐車場と、その向かいは、モダンな豪邸になっていた
そりゃそうだわなぁ……こんな繁華街で畑を耕すより、ビルのほうが百倍ぐらい儲かるだろうから
とりあえず立川通りは、イヤってほど通っているので、一本裏のまっすぐな細い道を、行くことにした
このあたりは、立川通りに町家があっただけで、すぐ裏には、昔畑だったころの区画が残っている
(もちろん、びっしり家が建っているが)
この細い道は、昭和の雰囲気が濃厚に漂っていた
いかにも昭和初期の文化住宅
他にも昭和の家や廃屋が何軒かあったが、この家がぶっちぎりにカッコよかった
車1台がギリギリな、いかにも元畑道だった細い道が、どこまでも続いている
300~400メートルぐらいで、ついに道は途切れ、立川通りに出てしまった
しかし、駅から1キロもいかないのに、昔の大きな農家が何軒も残っていた
いきなりいい感じの蔵と、山茶花? らしき生垣を見つけた
隣のマンションの駐車場から母屋が見える。こちらも大正、昭和チックな豪華な古民家である
それにしても広大な敷地で、軽く40×40メートルはありそうだ
屋敷林もあるし、村役人(百姓代、年寄)クラスの家だろうか
そのすぐ先で、道標と史跡看板を発見。どうやら古道があるので、昔は村の中心部だったようだ
看板によると……
このあたりは芋久保新田という集落だったようだ。芋久保って大和市とか東村山じゃなかったっけ?
と、思ったら享保から元文のころ、芋久保から移住した者8軒が新田開発をし、昔は八軒新田と呼ばれていた。と書いてある。「新編武蔵風土記稿」のころはに28軒に増えたらしい
肝心の古道は、入間郡の所沢から、甲州道中の日野までをつなぐ道のようだ
この新田の東が榎戸新田、西は柴崎新田、南が青柳新田、北が砂川村と書いてある。今日の目的地である
そのちょっと先で、先ほどの農家より、さらに大きな農家があった
道の反対側にもポツポツ屋敷林を備えた農家があるが、この家はひときわ立派だなあ……
と、思ったら、威圧感たっぷりの冠木門がある。どうやらこの家が芋久保新田の名主ではないだろうか
(撮影したかったが、ハイエースが邪魔でできなかったファッキン!)
そこからすぐに、江ノ島道との交差点があった
立川通りの東側は、ほとんど昔の5間幅のままで、西側からいきなり広くなっていた
すぐ先にハードオフがあったが、シカトで、200メートルほど先にあるジャンブルストアに久しぶりに行ってみた
以前は古着がたくさんあったが、かなりガッカリだった。しかし、これから10キロぐらい歩くのに、古着なんて見に行ってどうする
とりあえず江ノ島道に戻り、砂川七番を目指した
肝心の砂川に着いてないのに、早くも……
――続く
†PIAS†
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前回は西府から百草園、高幡不動を経て日野まで、日没縛りがあり、10キロ越えのルートを4時間で踏破し、4棟の長屋門を取材するという、ちょっと……いや、かなりせわしない散歩だった
今回は、そんなことがないように、地元の駅を午前9時半に出て、ゆっくりと回る予定で出発した
今回のコースは、立川駅から立川通りを北へ、高松3丁目で江ノ島道をたどって五日市街道に出る
そこからいったん東に向かい、川越緑地公園の古民家を見学
五日市街道を西に戻り、多摩モノレールの砂川七番駅を経て、砂川村草分け名主の砂川源五右衛門の屋敷の薬医門を見学して、裏を流れる多摩川上水を見る
そのあと、まだ時間に余裕があったら、モノレールで柴崎体育館までゆき、前から見たかった根川にかかるつり橋を見学……という計画である
まずは立川駅へ……
到着したのは午前10時ちょっとすぎ。駅の北側は、相変わらず賑わいを見せている
とりあえず伊勢丹の横を抜けて、繁華街は、2階の中空遊歩道でパスする予定だったのに……
ロフトの看板を見て「ああ、10時すぎか……もうブックオフ開いてるなあ」と、いきなり魔が差し、フラフラと入る
百円コーナーで2冊購入してしまったテヘペロ
しかし、このシリーズ10冊以上出ているので、集めるのが大変である。それにしても、これからまた10キロぐらい歩くのに荷物を増やしてどうする
フロムは、まだ改装の最中で、グレーのシートがビル全体にかぶさり、かなり不気味だ
フロムの交差点をまっすぐ行かず、立川通りから外れて裏道に向かう
以前から、立川通りのちょっと裏に巨木が生えている一角があり、とても気になっていたのだ
今日は、時間に余裕があるから、余裕綽々で見に行ける
どうやら昔は、大きな農家があったような場所に出た
しかし、今はビルの裏で、屋敷林だけ残った広い駐車場と、その向かいは、モダンな豪邸になっていた
そりゃそうだわなぁ……こんな繁華街で畑を耕すより、ビルのほうが百倍ぐらい儲かるだろうから
とりあえず立川通りは、イヤってほど通っているので、一本裏のまっすぐな細い道を、行くことにした
このあたりは、立川通りに町家があっただけで、すぐ裏には、昔畑だったころの区画が残っている
(もちろん、びっしり家が建っているが)
この細い道は、昭和の雰囲気が濃厚に漂っていた
いかにも昭和初期の文化住宅
他にも昭和の家や廃屋が何軒かあったが、この家がぶっちぎりにカッコよかった
車1台がギリギリな、いかにも元畑道だった細い道が、どこまでも続いている
300~400メートルぐらいで、ついに道は途切れ、立川通りに出てしまった
しかし、駅から1キロもいかないのに、昔の大きな農家が何軒も残っていた
いきなりいい感じの蔵と、山茶花? らしき生垣を見つけた
隣のマンションの駐車場から母屋が見える。こちらも大正、昭和チックな豪華な古民家である
それにしても広大な敷地で、軽く40×40メートルはありそうだ
屋敷林もあるし、村役人(百姓代、年寄)クラスの家だろうか
そのすぐ先で、道標と史跡看板を発見。どうやら古道があるので、昔は村の中心部だったようだ
看板によると……
このあたりは芋久保新田という集落だったようだ。芋久保って大和市とか東村山じゃなかったっけ?
と、思ったら享保から元文のころ、芋久保から移住した者8軒が新田開発をし、昔は八軒新田と呼ばれていた。と書いてある。「新編武蔵風土記稿」のころはに28軒に増えたらしい
肝心の古道は、入間郡の所沢から、甲州道中の日野までをつなぐ道のようだ
この新田の東が榎戸新田、西は柴崎新田、南が青柳新田、北が砂川村と書いてある。今日の目的地である
そのちょっと先で、先ほどの農家より、さらに大きな農家があった
道の反対側にもポツポツ屋敷林を備えた農家があるが、この家はひときわ立派だなあ……
と、思ったら、威圧感たっぷりの冠木門がある。どうやらこの家が芋久保新田の名主ではないだろうか
(撮影したかったが、ハイエースが邪魔でできなかったファッキン!)
そこからすぐに、江ノ島道との交差点があった
立川通りの東側は、ほとんど昔の5間幅のままで、西側からいきなり広くなっていた
すぐ先にハードオフがあったが、シカトで、200メートルほど先にあるジャンブルストアに久しぶりに行ってみた
以前は古着がたくさんあったが、かなりガッカリだった。しかし、これから10キロぐらい歩くのに、古着なんて見に行ってどうする
とりあえず江ノ島道に戻り、砂川七番を目指した
肝心の砂川に着いてないのに、早くも……
――続く
†PIAS†
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