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さんざん引っ張ったが、ようやく長屋門の記事である





では、早速……







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川辺家の長屋門の前には、久地梅林公園があるが、この梅園は川辺家と深い関係にある





公園の一角には、この地を訪れ詩を作った、北原白秋の文学碑があった







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川辺家の先祖は室町時代には、北条家の家臣で、川辺伊賀守伊右衛門という。北条が滅亡する前に、世田谷の久地(現在の世田谷区鎌田)に帰農した



その後、暴れ川の多摩川のおかげで久地が両岸に別れ、川辺家も是政と久地に別れ、共に名主を勤めている





17代目の当主・森右衛門の代に、幕府から梅の栽培を命じられ、屋号は「梅屋敷」



以後、久地は梅園が名所になり、戦前は久地駅の名前も「久地梅林駅」だった

* なお川辺家の歴史に関しては、川辺家のご子孫の方が《川辺家の歴史》というホムペを開いているので、詳しくは、そちらをご覧ください







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川辺家の古写真を見ると、以前は門前に松などの樹木が植えられている



現在のほうがスッキリしているが、古民家には鬱蒼とした樹木がよく似合う





下は、内側から見た写真。個人宅なので、なかに入るわけにもいかず、したがって昔の写真でごまかす





さて、この長屋門だが、明治初期の建築で、桁行が9・5間、梁行が2・5間と、市内に現存するものでは、子母口の伊藤家長屋門につぐ大きさで、堂々たる風格である



屋根は普通の切妻で、茅葺きからトタンに変えられている





都市部において、茅葺きは火事の危険があるので、やむを得ない処置だが、趣にはちょっと欠ける

(川崎市内の長屋門が、放火と子どもの花火で火事になった記録がある)







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この長屋門で感心したのは、バランスのとれた美しさだ





屋根と漆喰、木材の比率、そして縦横比が、非常に美しい調和を見せている





このバランスが、ともすれば威圧的になりがちな長屋門を、とても優雅な雰囲気にしている

(もっとも武家屋敷などは、威圧するのが目的なので、威圧的なのは、当たり前ではあるが……)







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さらに感心するのが、母屋は新しくされているが、その母屋と庭が見事に調和していることで、川崎市内の長屋門を持つ家屋では、ベストバランス賞をあげたいぐらいだ





隣の豪邸と背後に見えるマンションが景観をぶち壊しにしているが、それさえなければ……と非常に悔やまれる







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いくら地主でお金持ちとはいえ、こうした家を趣味良く(残念ながら金持ちは、たいてい趣味が悪い)守っていくのは、並々ならぬ努力が必要であろう



とりあえず、環境を含めて考えると、僕のなかでは川崎市内の“best of 長屋門 ”である

(隣の横浜市には、関家、飯田家という横綱クラスがあるが……)







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門の前にいた鳩





この川辺家の裏側は、府中街道である。だから川崎市民の僕は、知らずに何度も通っていた道だ





以前から「ずいぶん広い藪があるなあ……」







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と、思っていたら、その藪の裏側が川辺家だったのだ





この長屋門が、渋谷から電車で20分の場所にあるというのが、にわかに信じられない佇まいである





裏庭には竹藪が繁っていて、江戸時代のような眺めに、さすが名主の家だと感心した







さて、これで現存が確認できた川崎市内の長屋門は、残らず紹介した



残った3棟に関しても、調査は続行予定である







†PIAS†







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