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前回の「松本酒店」前のカーブの外側、歩道橋の下には、明治42年に建造された「黒須銀行」の建物が残っている
松本酒店の前のカーブは、国道にしては、かなりRがきつく、平仮名の「し」のようなかたちをしている
「し」の右側のハネたあたりの内側に松本酒店があり、下の丸くなった部分に黒須銀行がある
黒須銀行は、渋沢栄一を顧問に、当初は順調に経営されていたが、大正時代に不況のあおりで武州銀行に吸収合併され、最終的には埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)黒須支店として、昭和35年まで営業されていた
その後、郷土資料館のような感じの使われかたをしていたが、最近は、月イチで公開するだけだったようだ
しかし、建物の痛みが激しく、現在は修復工事のため、閉鎖されている
裏側から見ると、窓ガラスは割れ、屋根瓦は落ちて悲惨な現状である
有形文化財なんだから、早いとこきれいに修復してほしいものだ
ところで、今回の入間市訪問の最大の目的は、この黒須銀行の隣にある繁田(はんだ)醤油店の建物である
手前の屋根瓦が黒須銀行、奥に見える建物が繁田醤油である
繁田家は、入間郡黒須村の名主の家系で、黒須銀行の創立にも関係しているし、前々回紹介した石川組製糸の創立者は、もともと繁田家に奉公していたようだ
さらに、この並びにある文化年間創業の、狭山茶を海外に輸出していたお茶屋さんも、繁田という名前であることから、繁田家は、入間きっての名門といえよう
繁田醤油店は、いかにも昔の街道の風情を感じさせる、脇道との追分にある
この一角は、入間市内を車で移動するさいは、必ず通るような幹線道路なので、前を通りすぎたことは、百回ではきかないだろう
しかし、このあたりは交通量が激しく、いつも車が詰まる名所で、こうしてゆっくり見学するのは、はじめてのことだ
見事な長屋門が名主の格式を現代に伝える
右側に見える二階建ての立派な木造建築(おそらく明治期のもの)が、繁田家の母屋のようだ
撮影しようと中に入ると、どうやら現在もお住まいのようだったので、撮影は自粛した
長屋門を入って左側には大きな土蔵があり、その奥には、奥行きが20~30メートルはありそうな工場がある
現在は、土蔵も工場も使用されていないような雰囲気だった
地元のえのしに聞いたら、繁田醤油は埼玉ローカルで、まだ販売されているそうだ
しかし、所沢や入間では買えるが、なぜか飯能では売っていないらしい
繁田醤油の商標は「キッコーブ」
醤油は、キッコーマンをはじめとして、頭に「キッコー」がつくものが多く、全国に180近いキッコーなんとかがあるそうだ
(僕の地元にも昭和20年代まで、キッコーブンザンという醤油があった)
このキッコーは、もちろん「亀甲」のことで、由来は諸説あってはっきりしない
わかっているのは、キッコーを最初に使用したのは、元禄元年創業、土浦市に現在も盛業中(茨城県内シェア1位)の柴沼醤油の「亀甲正-キッコーショウ-」だということ
そして、同じく土浦の大國屋醤油の「亀甲大-キッコーダイ-」が、江戸中期に江戸の町で流行り、「キッコーなんとか」が、全国に波及したようだ
繁田醤油の周りをぐるぐる見物しているうちに、すっかり陽が傾き、えのしと事務所で落ちあう時間が迫ってきたので、僕は入間市駅に向かった
そう、この日は、えのし宅に一泊し、翌日釣りに行く予定だからだ
唯一の懸念は、台風による大増水で、どこの川も釣りにならないことだろうか
ということで、次回は釣りに行った話などを……
†PIAS†
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前回の「松本酒店」前のカーブの外側、歩道橋の下には、明治42年に建造された「黒須銀行」の建物が残っている
松本酒店の前のカーブは、国道にしては、かなりRがきつく、平仮名の「し」のようなかたちをしている
「し」の右側のハネたあたりの内側に松本酒店があり、下の丸くなった部分に黒須銀行がある
黒須銀行は、渋沢栄一を顧問に、当初は順調に経営されていたが、大正時代に不況のあおりで武州銀行に吸収合併され、最終的には埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)黒須支店として、昭和35年まで営業されていた
その後、郷土資料館のような感じの使われかたをしていたが、最近は、月イチで公開するだけだったようだ
しかし、建物の痛みが激しく、現在は修復工事のため、閉鎖されている
裏側から見ると、窓ガラスは割れ、屋根瓦は落ちて悲惨な現状である
有形文化財なんだから、早いとこきれいに修復してほしいものだ
ところで、今回の入間市訪問の最大の目的は、この黒須銀行の隣にある繁田(はんだ)醤油店の建物である
手前の屋根瓦が黒須銀行、奥に見える建物が繁田醤油である
繁田家は、入間郡黒須村の名主の家系で、黒須銀行の創立にも関係しているし、前々回紹介した石川組製糸の創立者は、もともと繁田家に奉公していたようだ
さらに、この並びにある文化年間創業の、狭山茶を海外に輸出していたお茶屋さんも、繁田という名前であることから、繁田家は、入間きっての名門といえよう
繁田醤油店は、いかにも昔の街道の風情を感じさせる、脇道との追分にある
この一角は、入間市内を車で移動するさいは、必ず通るような幹線道路なので、前を通りすぎたことは、百回ではきかないだろう
しかし、このあたりは交通量が激しく、いつも車が詰まる名所で、こうしてゆっくり見学するのは、はじめてのことだ
見事な長屋門が名主の格式を現代に伝える
右側に見える二階建ての立派な木造建築(おそらく明治期のもの)が、繁田家の母屋のようだ
撮影しようと中に入ると、どうやら現在もお住まいのようだったので、撮影は自粛した
長屋門を入って左側には大きな土蔵があり、その奥には、奥行きが20~30メートルはありそうな工場がある
現在は、土蔵も工場も使用されていないような雰囲気だった
地元のえのしに聞いたら、繁田醤油は埼玉ローカルで、まだ販売されているそうだ
しかし、所沢や入間では買えるが、なぜか飯能では売っていないらしい
繁田醤油の商標は「キッコーブ」
醤油は、キッコーマンをはじめとして、頭に「キッコー」がつくものが多く、全国に180近いキッコーなんとかがあるそうだ
(僕の地元にも昭和20年代まで、キッコーブンザンという醤油があった)
このキッコーは、もちろん「亀甲」のことで、由来は諸説あってはっきりしない
わかっているのは、キッコーを最初に使用したのは、元禄元年創業、土浦市に現在も盛業中(茨城県内シェア1位)の柴沼醤油の「亀甲正-キッコーショウ-」だということ
そして、同じく土浦の大國屋醤油の「亀甲大-キッコーダイ-」が、江戸中期に江戸の町で流行り、「キッコーなんとか」が、全国に波及したようだ
繁田醤油の周りをぐるぐる見物しているうちに、すっかり陽が傾き、えのしと事務所で落ちあう時間が迫ってきたので、僕は入間市駅に向かった
そう、この日は、えのし宅に一泊し、翌日釣りに行く予定だからだ
唯一の懸念は、台風による大増水で、どこの川も釣りにならないことだろうか
ということで、次回は釣りに行った話などを……
†PIAS†
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