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すっかり司馬遼太郎の「街道をゆく」みたいになっているが(あんなに格調高くないが)、「青梅街道を歩く」の続きである





と、その前に青梅街道のおさらいを……





青梅街道は、江戸時代には青梅裏道などと呼ばれていた



東海道など五街道は、道中奉行の管轄で「往還」と呼ばれ、人馬の継ぎ立てが義務づけられていた



その他の街道で、継ぎ立てがあるものは、勘定奉行の管轄で「脇往還」といった





一方で、継ぎ立てがない街道も多く存在している



青梅裏道には、継ぎ立てがなく、甲州道中の裏街道として甲府と新宿を結んでいた

(継ぎ立てがないので、正しくは、青梅裏道は“脇往還”ではなかった)





甲府の先、酒折宿から、大菩薩峠を越えて、丹波、河内、氷川などの山村を抜けて、青梅、箱根ヶ崎、小川、田無、荻窪、中野を抜けて、再び甲州道中と合流していた







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さて前回は、青梅に行ったので、今回は、その次の宿場である箱根ヶ崎を訪ねてみた







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JR八高線の箱根ヶ崎駅から西側を見る



西側は、最近整備されたばかりで、いまだ道路の工事中だった





奥多摩方面の山々を見ながら、駅前通りをまっすぐ行くと、青梅街道にぶつかる







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そちらとは反対の東側が、八王子から日光に至る日光街道(千住を通る、奥州日光街道とは別物)と、青梅街道が交差する箱根ヶ崎宿である



ちなみに、日光街道は、奥州日光街道と区別するため、千人同心街道とも呼ばれていたそうだ





駅を出るとすぐ南側に、加藤神社が目に入る





加藤神社は、天正十年(1582年)武田家の家臣加藤影忠が家族と家来を伴い、落ちのびたこの地で力尽きたことを哀れんだ、宿場の人びとが祀ったものだ





加藤神社のすぐ近くを新青梅街道のアンダーパスが通り、交差点の脇に味のある店が……







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『かどま』。居酒屋? 開店準備中で、何の店かよくわからなかった





この店のすぐ横は、米軍の横田基地である







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真ん中の芝生が横田基地。右にゆくと国道16号線、左の細い道が、日光街道で、この道は、横田基地にぶつかって消滅している



――が、本来は、基地を斜めに横切り拝島につながっていた





残った日光街道に足を向けると……







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古い街道の雰囲気満点だった



箱根ヶ崎駅は、漫画家えのあきらの家に遊びに行くとき必ず通るので、毎月のように通過していたくせに、降りるのは初めてである





というのは……




この箱根ヶ崎が古い宿場町だということは知ってはいたのだが、ネットで街道を紹介したブログなどを見ると、たいてい「あまり昔の面影がない」



などと書かれているので、行ってみようなどとは、考えてもみなかったのだ





今回は、別の場所を取材する予定だったのが、諸問題(寝坊)により中止になり、そのかわりにダメ元で訪れてみた







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江戸時代には、八王子千人同心が日光火の番のときに通る道として、また、奥多摩の御嶽詣での道として、上州や信州から東海道に抜ける近道として、かなり栄えていたらしい



当時は青梅街道沿いよりも、日光街道沿いがにぎやかで、9軒の旅籠が並んでいたそうだ





たしかに江戸時代の建築物は、ほとんどなく、隣の青梅に比べて地味ではあるが、個人的には、さびれ加減が、なかなかツボな町だ



この町には古い蔵はあっても、母屋は新築されてしまっているパターンが多く、そういう意味では物足りないが……





ふしぎなのは、その新築されてしまった家が、どの家も競うように、過剰に豪華な和風建築だったのが興味深い







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青梅街道と日光街道の交差点にある「漢方の會田」





インパクト抜群である



そのせいか、どのサイトを見ても、この店が紹介されていた





店のすぐ横は青梅街道で、すごく狭いくせに、交通量がすさまじく、ひっきりなしに車が通る





次回は、ようやく青梅街道を歩きます







†PIAS†







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