以前は、時代小説以外の[現代日本]の小説はあまり読まなかった。というのも、僕が“昔の本”以外で読んでいたジャンルが、冒険小説やサスペンスに分類されるものだったからだ。







なぜ日本のものを読まなかったかと言うと、正直フレデリック・フォーサイスやジェフリー・ディーバーなどの海外作品に匹敵するような、スケールの大きなサスペンス。クライブ・カッスラーとかボブ・ラングレーやギャビン・ライアルのような冒険小説は、日本人の作家に望むべくもなかったからだ







舟戸与一の「山猫の夏」矢野徹の「カムイの剣」田中光二の「白熱」など、冒険小説の傑作はたしかにあるものの、では、ジェフリー・アーチャーの「大統領に知らせますか?」とか、ボブ・ラングレーの「北壁の死闘」などと、日本人の小説家が書いたサスペンスのどちらを優先して読むかと問われたら、躊躇なくアーチャーやラングレーを取るだろう。







ところが、あることをきっかけに、読む小説の9割が日本人のものになってしまった。そのきっかけは森博嗣だ。いわゆる本格物の推理小説は、冒険小説のように日本人が活躍したりすると、些か不自然になってしまうという欠点はないし、徒に大仕掛けにする必要もないので、すんなり世界に入ることができたからだ。







森博嗣の次に夢中になったのが、北村薫だ。もちろん北村薫も本格物ではあるのだが、いわゆる殺人事件が云々……。といった本格推理とは赴きが異なっている。僕が最初に読んだ「円紫師匠と私」シリーズなどは、殺人事件がおこるわけでもなければ、テロリストやCIAが陰謀を巡らすわけでもない。







そこでおきるのは、いわゆる日常の小さな事件だ。このシリーズは、私が提示するそれらの謎を、師匠が類い稀なる推理力で解き明かすという体裁を取ってはいるが、物語の本質は私を見守る師匠の慈愛に満ちた眼差し、そして少しずつ成長する私……。といったひとりの女性が成長していく話だ。







推理小説というよりも、私の日常と成長を描いたこの小説が持つ世界に、僕は完全に虜になった。







それ以来、北村薫のシリーズ物はだいたい読んだが、単発物の中にこの小説を見つけたときは、嬉しくなってしまった。








それが……







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北村薫 絵 おーなり由子


月の砂漠をさばさばと


新潮文庫


¥514+税







この小説は、児童小説だ。つまりお子様向けに書かれた、お子様のための小説だ。しかし、そこには、いつもの北村薫の世界が展開する、大人が読んでも十分楽しめる小説だ。というよりも、この小説の深い部分は、大人でなければわからないニュアンスを秘めている。







話自体は、小学校3年生の「さきちゃん」と、シングル・マザー(ここ大事)の、物書きのお母さんの日常を描いたもので、特に何か事件がおこったりするわけではない。そこには、ふたりの日常が淡々と描かれるだけだ。







しかし、その親娘の情景が実に生き生きとしている。「ワンニャン大行進」をさきちゃんが「般若大行進」と聞き間違えるユーモラスな「聞きまちがい」。







お母さんと、さきちゃんのクラスメートのムナカタくんが、連絡帳でやり取り(お母さんは交換日記と言い張る)する「連絡帳」(この話、かなり萌えました)など、この本は、何か胸が締め付けられるような、懐かしくて暖かい気持ちになれる話が、いっぱい詰まっている本だ。







そして、僕が個人的にとても嬉しく思ったのが、イラストを描いているのが、おーなり由子だったということだ。







おーなり由子は、集英社のりぼんマスコット・コミックから「秋のまばたき」「六月歯医者」「グリーン・ブックス」「ともだちパズル」の4冊の単行本を出したあと、絵本作家に転身してしまった僕の大好きな漫画家だ。







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おーなり由子は、乙女チックな漫画が多かった「りぼん」系の中では明らかに異質な漫画家で、少女漫画というよりも、絵本のような絵柄で、愛だの恋だのではなく、日常のひとこまや、宮沢賢治ばりのファンタジックな作品を描いていた。







中でも「ともだちパズル」は、関西弁で展開する、小学生の日常を優しい眼差しで描いた傑作で、漫画は引っ越しのときほとんど処分したけれど、おーなり由子の作品は、今でも大切に取ってある。







そんな大好きなふたりがタッグを組んだこの小説が、僕の大切な一冊になったのは言うまでもない。





†PIAS†