皆様、こんばんは
また少し間があいてしまいましたが、
先日ムジカマジカのワンマンを終えたことで、
やっと自分の中で
何かが動き始めた気がしている
ピアニスト 伊藤愛です
改めて 先日は
素晴らしい時間をありがとうございました
書きたいことが山積みではありますが、
今日は、
「余裕ができたら」
と言いながら、
結局今まで何も書けずにいた
葬儀のこと
母のこと、家族のこと
を書きたいと思います。
葬儀後すぐに
熱海でのディナーショーもあり
仕事に明け暮れ連絡もあまり取れない私に、
家族でさえも
「あなたを1番心配してたけど、
毎日充実して楽しんでるみたいだね。」
と言ってくるほど
私の表面上は元気だったようです。
それでもSNSは書けませんでした。
友人からのLINEすらまともに返せませんでした。
私と母は、
壮絶な反抗期を経て
一卵性親子と家族に言われるくらい、
心の絆が固く結ばれていました。
随分歳の離れた末っ子だった
というのもあるかもしれませんが、
壮絶な反抗期に、
母が私にしっかり向き合ってくれたことで
私も母に向き合うことができたのかもしれません。
それを除いても、
私の家族は本当に仲が良く、
家族みんなで
ありとあらゆる方法を探し、試し、
癌と闘ってきた7年間で
より絆が深まったと思います。
だから今後は支え合って、、
と思っていましたが、
1人暮らしに戻ると
働いていないといられなくなり、
家族や母をよく知るような
近しい友人達や家族には
会いたくない
なるべく話したくない
何も思い出したくない
しばらくは
そんな感情に包まれていました。
母のことを現実として受けとめることで
きっと仕事ができなくなることを
わかっていたからかもしれません。
葬儀の前後はとても忙しく、
悲しくても
それ以上にやることが多過ぎて
悲しむ暇もありませんでした。
でも、
東京に戻って1人になると、
何もやる気がしなくなり
誰かが呼び出してくれたり
仕事が入っていないと
本当に引きこもってしまいそうでした。
でも仕事をするには
悲しい感情を出すわけにはいかず
その気持ちから
離れるしかありませんでした。
少し前に
葬儀後初めて実家に帰った時に、
実家が近づくにつれて
動悸がしてきて
玄関に入る前に
涙が止まらなくなってしまい、
実はまだまだ向き合えてないし、
現実から目をそらしていることに
気がついて、、、
そんな中で
1人で暮らす父のことを思うと、
ツラくてツラくてたまりませんでした。
そんな思いの中で
ずっと書けずにいたこの記事を
やっと書く気になれたのは、
元宝塚のトップの娘役さんで、
現在は振付や演出をされてる
檀ひとみさんの
blogを読ませて戴いたのが
きっかけです。
川﨑麻世さん座長の
朗読活劇『スパイス』で
ご一緒させて戴いてから、
とっても仲良くさせて戴いていて、
檀さんのご家族にも良くして戴き
まるで昔から知っているような、
本当の姉のような檀さん。
可愛くて優しくて
大好きなお姉さん。
そんな檀さんが、
東京からわざわざ駆け付けて下さり
葬儀の様子を、私の家族を
とても客観的に
素敵な言葉で
残してくださいました。
SNS離れしていた私は、
このあたたかい文章すら
今まで目にすることもありませんでした。
少し余裕ができて、
久々に檀さんのblogを読ませて戴いて、
母の葬儀について
こんなに素敵な残し方をして戴いてたことに
心から感動しました。
そして、こんな風に
あたたかく残しておけるなら
是非書いておきたいと思えました。
檀さん、本当にありがとうございます
葬儀には、
本当に沢山の方々がいらして下さいました。
前夜式(クリスチャン家庭なので)には、
座れない方々が沢山いらっしゃるほどで、
葬儀にも沢山の方にご参列戴き、
母が本当に
皆さんに愛されていたことに
心から感動し
母を大切に思って下さった皆様に
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
私の関係の皆様も、
東京や遠方から
檀さんをはじめ、
何人も友人や先輩、
高校時代の仲間、
元バンドメンバーが駆けつけてくれたり、
弔電を送ってくださったり
昨年の初夏に共演させて戴いた
朗読活劇『スパイス』の方々や、
関係者の方々が
お花を送って下さったり、
駆けつけて下さり、
そのお心遣いに涙が溢れました。
昔からの友人である作家の
杉山大二郎さんも、
出張からそのまま立ち寄って下さいました。
皆様の優しさやあたたかさが、
私や家族の胸に
本当にあたたかく沁み渡りました。
全く連絡を取っていなかった
古い友人達が来てくれたり
たまたま葬儀屋さんが
中学の同級生だったり
懐かしい方々にお会いできたり、、
母が
また皆に会わせてくれたんだと思います。
母は、
本当に最後まで
「天晴れ!」と言える人生を歩んだ人でした。
明るくて前向きで、努力家で、、
自分のやりたいことは
全てやり尽くして亡くなった気がします。
ステージⅣでありながら
周りに言いたがらず、
聞かなければ病気だなんて全く思えない程
元気に笑顔で仕事をしていました。
今年の頭に
いよいよ危ないと言われ
海外で仕事していた私は緊急帰国しましたが、
持ち直し
最後の数週間まで
本当に元気に生活していたと思います。
最後まで、叱られていましたし(笑)
母の葬儀で私が賛美歌の伴奏をすることは
生前から家族皆で決めていたことでした。
母が元気な時に
姪っ子が歌ったのを聴いて
「この歌を葬儀で歌って欲しい」と言ってきて、
姪っ子が教えてあげた歌。
亡くなる5日前に、
姪っ子達がベッドにいる母を囲んで
大きな声で歌ってあげていた賛美歌。
その前にも家族全員で母を囲んで歌った賛美歌。
葬儀でも子供達が
大きな声で一生懸命歌っているのが聞こえ
演奏中も涙が止まりませんでした。
今でもその賛美歌を聞くと涙が出ますが、
そんな家族の思い出の曲が残ったことは
とても幸せなことだと思います。
そして誰よりも母を愛していた父。
母への揺るぎない愛は
召されてもなお続いていて、
清水の田舎に1人残った父が
本当に心配にもなりますが、
周りの方々が
あたたかくサポートしてくださっていることに
心から感謝致します。
昨晩はすぐ上の姉の家に久々にお邪魔して、
2人で懐かしいアルバムを沢山見ました。
姉達もまた、
それぞれの母に対する思いを抱えていて
それで何度もぶつかりましたが、
母を思う気持ちに変わりはなく
姉妹の絆が
より一層 深まったように感じます。
こうして少しずつでも
母の思い出を大切に思い出していけたら、
私のペースで前に進んでいけたら
と 思います。
東京にいると
まだまだ
あまり考えないようにしてしまいますが、
私にも
こうして支えて下さる方々がいること、
気にかけて下さる方々がいること
笑顔にさせて下さる方々がいること
それを忘れずに
少しずつ前に進んでいきたいと思います。
きっと母もそれを望んでいる気がします。
これが書けたので、
また一歩前に進めたような😌
その後も感謝したいことが沢山ありましたが、
少しずつ書かせて戴きます
いつも支えてくださる皆様に
心からの感謝を込めて✨
伊藤 愛