徳さんがお店を出したのは13年前。
オープニングスタッフとして
母が雇用された。
しかし、徳さんとの付き合いは
それ以前からあった。
7月に書いたこのブログ。
このブログに書いてあるとおり
私は小学6年生のときに
障がい者学級へお手伝いに行っていた。
新入生5人のうち1人が
徳さんの娘さんだった。
私が主にお世話していたのは
ブログに書いた男の子だったが
娘さんともよく遊んだ。
当時、私の母は
オールディーズバンドを組んで
年2回ライブハウスで
ライブをやっていた。
ある日、そのライブに
徳さんと娘さんが遊びに来た。
ドラムの人が徳さんと
知り合いだったらしい。
普段学校に送り迎えしていたのは
奥様のほうだったので
そこで初めて、徳さんに会った。
「ペッターちゃん、はじめまして。
○○のパパです」
と挨拶してくれた姿を
今でもハッキリと思い出せる。
私が小学校6年か
中学に入ったばかりの頃だ。
その数年後に
母が一緒に働くことになったので
不思議な縁があるものだなぁと思った。
お店は徳さんと母の2人でやった。
私が大学生の頃には
徳さんが築地で仕事をしている日中に
母が1人でランチ営業することになった。
母は料理が上手だけれど
あくまで家庭レベルだったので
夜の営業終了後に遅い時間まで
徳さんに修行をさせられたようだ。
料理に自信があっただけに
色々と言われるのが堪えたようで
珍しく弱音を吐いているのを聞いた。
ランチの初日は私も手伝いに行き
それから暫く、大学が休みの日に
ホール係として手伝いに行った。
ランチの営業が終わる頃に
徳さんが築地の仕事を終えて
お店に戻ってきた。
ラーメンの出前を取ってくれて
一緒にご馳走になった事もある。
そういえば
母がどうしても夜の営業に
出られないときには
私が代わりに働いたこともあった。
勝手がわからないので
全く使い物にならなかったと思うが
徳さんは優しく指示してくれ
営業終了後には海鮮丼を作ってくれた。
徳さんは音楽が好きだった。
でもシャイな人なので
自分から人前で何かやることは
まずなかった。
楽器も出来なかった。
でも、音楽が大好きだった。
1度だけ、カラオケで恥ずかしそうに
加山雄三を歌っているのを
聞いた事がある。
そんな徳さんなので
魚料理のお店なのに
お店の周年のときには
ライブイベントを開催した。
最初の内は狭い店内の
入口の隅っこで
マイクも何もない状態で
ギター弾き語りをしたり
キーボードを弾いたり。
そのうち、知り合いの
ライブハウスを借りて
ステージでしっかりと
やるようになった。
出演するのは、お店の客や
従業員である母の関係者。
もちろん私や弟、家族も総出。
私はギターが下手で歌も下手で
演奏する曲は
客は誰も知らないような曲で
それでも何故か毎回
トップバッターでやらせてもらった。
母が断っても徳さんは
「いや、前座はペッター。
それは譲れない」
と頑なに主張したらしい。
おかげで私は最初から最後まで
周年行事は毎回トップバッターで
好き勝手にやらせてもらった。
人前で演奏する機会が
他にはなかったので
これが毎回すごく楽しみだった。
徳さんが亡くなってから
母の携帯がひっきりなしに鳴っている。
どれだけ多くの人に
愛され、慕われていたのか
改めて感じた。
今日、徳さんが火葬場から帰ってくる。
8月30日に入院してから
半月以上ぶりにお店に戻ってくる。
お店を片付けて祭壇をつくり
弔問できるようにするそうだ。
今日から月曜日まで
当番制で必ず誰かがいるようにして
弔問客を迎えるらしい。
あぁ、本当に亡くなってしまったんだ。
なんだか、ようやくじわじわと
実感が湧いてきた。
寂しい。つらい。
でも、落ち込んでいたら
徳さんは絶対喜ばない。
そういう人だった。
