今回の名古屋城見学で、金鯱についてもいろいろ学びました。
まず、2対の金鯱は同じではない事を知りました
ずっと、同じものが2つ並んでいるのだと思っていました。
こちら、名古屋城のパンフレットの写真です↓
南側の金鯱が雌、北側の金鯱が雄。
大きさもうろこの数もビミョーに違います。
高さは2.6mほど。かなり大きいですね
初代の金鯱は、海外にも渡っています。
1873年のオーストリアで行われたウィーン万博に、日本の代表として金鯱が出展されたのだそうです(≧∇≦)
書籍「探検・発見 名古屋城」より
ウィーン万博の写真↓
そして2005年の愛知万博では、2代目・金鯱が屋根からおろされ展示されました。
この時は金鯱に触れるようになっていました。
2回も万博に登場したとは
スゴイぞ金シャチ
また、名古屋城の金鯱はうろこが本物の金でできているのですが、名古屋城のお殿様は、お金が無くて困った時に、この金鯱の金を溶かしてお金を作ったそうです
金鯱は、名古屋城の貯金箱の役割も果たしていたんですね
そんな黄金の金鯱ゆえの悲劇もありました。
金鯱のウロコ窃盗事件です。
これは昭和12年1月29日に発行された名古屋新聞の写真です↓
(名古屋新聞と新愛知が合併して、現在の中日新聞となりました)
雄鯱のヒレの上部の金鱗がソックリ剥ぎ取られていて、大騒ぎとあります。
鱗58枚分盗まれたそうです
ペンチで剥ぎ取ったようですが、その様子が図解されています(笑)
犯行に使われたペンチは濠に捨てたらしい。
しかし、地上から50m以上ある金鯱のところまで登って、鱗を58枚も剥ぎ取るって、スゴイ根性ですよね
「眼がくらむぜ」って書いてありますよ↓
「凧の金助以来これで三度」
とありますので、何度も盗まれているみたいですね
凧の金助(柿木金助)は江戸時代の盗賊で、大凧を使って名古屋城の鱗を盗んだといわれているそうですが、これはただの伝説のようです。
実際の盗難事件としては・・・
①明治4年(1871)
金鯱を政府に献納するため足場を組んでいた際、駐屯していた軍の番兵がウロコを盗んだ
②明治9年(1876)
東京博物館に保管されていた時にウロコが盗まれた
③昭和12年(1937)←今回の事件
城郭下賜記念事業として実施した実測調査の時、足場を上って盗まれた
金鯱も何度もウロコ剥がされて大変
しかし、そんな金鯱も1945年、戦争で焼け落ちてしまいました
書籍「探検・発見 名古屋城」より
岩田一郎氏撮影の焼け落ちる天守の写真↓
焼け落ちている時の写真が残っているのですね。
驚きました。
せっかく、
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