「教育虐待」という言葉を聞くようになり

現在、問題視されるようになりましたが

これは境界線が難しい面もありますよね。


可愛い我が子の為にと思う気持ちは

決して嘘ではないけれど、そこには

周りからのプレッシャーだったり

親自身のリベンジを我が子に託したりと

そういう感情が絡み合っている事もある

のは否めなかったりするのではないかと。


グローバル化が進んできたことで

英語教育を早期から始めるようになり、

最近は英語嫌いになる子が増えてきている

という事を知りました。


これね、音楽(ピアノ)にも共通する事で

親としては英語を話せるようになってほしい

(ピアノ、音楽が好きな子になってほしい)

という親としての純粋な願いであるのは

私も同じ親の立場としてよかわかります。


でも、親自身が興味を示さない事柄に

子供が勝手にのめり込む事はないのですよね。


例えば旅行やお出かけ先。

未知の場所に行った経験のない子は

その場所を知らない…

当然、知らない場所を好きになる事も

魅力を感じる事もないですよね。


いくら写真で見せられたとしても

写真だけをみるのと、実際にその場所に行き

五感で感じるのは大きな違いですし

親子で同じ空間、時間、を過ごす事で

子供がそこに興味を待ち始めるというのは

よくある事だと思うのです。


食事にしてもそうだと思います。

時々は家族で素敵なお店に行った方がよい

と言われている理由も

「これ、とっても美味しいね」

「この盛り付け,すごく綺麗だよね」

「お店の雰囲気が◯◯みたいで素敵よね」

こんなふうな親子の会話が成り立つことで

子供は感性を磨き、自分にあったものに

惹かれていくからではないかと思うのです。



英語も音楽も習わせるだけ習わせて

両親のどちらもそこに関心を示さない、、、

これで自然に身につくなら誰も苦労はしない

という事は、私自身が子育て中に学んだ事で

周りをみていてもまさしくでした。


演奏会を聴きに行く度に思うのが

今は親子の姿はほとんど見かけなくなり、

数組見かけたらよい方かもしれません。 

場合によっては0組という事もあります。


コンクールにはバンバン出ていて

SNSでもその手のものは大量に出ているのに

プロの演奏会に親子の姿がほとんどない😂

なにこれ?って思います。


ピアノを習っている、習わせている

というステイタスが欲しいだけですか?

と思ってしまうのですよね。


生の演奏を聴かないで耳が育つことは

まずあり得ないですし

お子さんが練習している間にまさかですが

スマホをいじったりしていませんよね?

近くでテレビを見たり、ゲームをしている

という家族がいる環境ではないですよね?

と思う事が、正直あります。

お子さんがお勉強をしている時間も然りです。


例えば吹奏楽部、オーケストラ部の

楽器を学んでいる生徒達のどれくらいが

実際に年間何回の演奏会に足を運んでいる?

(プロのオーケストラによる演奏会です)

と問われた時、今の子達のほとんどが

恐らくですが、、、一度も行った事がない

という回答になるのではないでしょうか。


チケット代が高いから?

面倒くさいから?

他人の演奏には興味がないから?

↑これ、他人から学ぶものはないと思っている証拠


など、いろいろな理由があると思いますが、

プロの生演奏を聴かないで、楽器を学び、

「音楽が好きです、得意です」と答えるのは

日本のカタカナ英語を学んでいるだけで

「英語はできます、得意です」

と言っているのと同じだと思うのです。


子供の語学の習得においては、

ネイティブ英語に触れる時間に比例し、

そこに親自身がどれだけ一緒に共有できるか?

によっても大きく変わると言われています。


お金をかけ、送迎しているだけで

あとは子供に丸投げし、親は興味を示さない

という姿勢で勝手には育たないというのは

音楽にしても同じなのです。


最初は興味をもっていたとしても

どちらの親にも関心がなければ

子供の興味は薄れてきてしまうもの。

それに対してガンバレ‼︎と言うのであれば

子供にとってはただただ酷な話です。


子供の教育に併走するというのは

そういう事なのではないのかな?

と思うのは私だけでしょうか。


習い事にお金を出し、送迎するだけが

親のサポートではないのですけどね。


自分はやらない、できない、共有しない、

でも子供には「やりなさい」と言えば

それは教育虐待になるのかもしれません。