先日、ある特集を読んで思ったのですが

2025年問題について、今どれだけの人が

危機感を感じているのだろうか?と。


日本の暗い未来を背負っている子供達が

辛いだけの人生を歩む事にならないように

子供達の成長(教育)に携わる一員として

自分自身も含めてですが、そこを認識し、

少しでも導いていけているのだろうか?


そんな事をね、思ったりしたのです。


あえて私は忖度なく発信していますが

決して特定の何かを批判したいのではなく

もっと子供達の未来を考えてあげようよ

と伝えていきたいだけなのです。



奨学金という名の学生ローン(借金)を抱えて

社会人としてスタートする若者が多い事、

それが若者達にとってどれだけ酷な事なのか

そういった現状も理解されていますか?

今投資させているそれは本当に価値あるもの?

優先すべきもの?と思ってしまうのです。

最終的に何を選択し、判断するかは保護者自身なので

親の自己責任といえばそれまでではありますが

無知な相手に対してちょっとそれは酷ではないかと。

今はまだよくても、数年後には保護者自身の生活ですら

安泰という保証はどこにもありません。


それでなくても地方の子達は

都会の子達と比べると居住地という時点で

すでに立ち位置がとても不利なのです。


当然ですが、どの分野においても

優秀な人材は都会に集まっていますし

有益な情報を得られるチャンスも

都会の方がはるかに多いのも事実。

私自身、子育てにおいても有益な情報は全て

関東の友人が教えてくれていたからで

それがなかったら完全に乗り遅れていたと思います。


地方の子達にとっては

遅れた情報、狭い社会の中にいる時点で

そもそもとしてスタート地点が違うのです。


ネットが発達したとはいえ,ネット上には

信憑性のない情報もたくさんあるので

リテラシーが低いと何を信じてよいかも

わからなかったりしますよね。


だからこそ、その道を歩んできた先人として

生徒達が少しでも良い方向へ向かうようにと

アドバイスしていくのが私達の役割なのでは?

とそう思っているのです。



そして何よりも私が懸念しているのは

答えのない芸術で競わせる事によって

自己肯定感が低くなり、他人の目を気にし、

常に人からの評価でしか生きられなくなり

自分軸がなく、承認欲求や劣等感から

他人を妬み、蹴落とす事しか考えられない

身も心も貧しい品のない大人を

量産していくのではないかという事です。



点数で競わせる事が問題なのではなく

答えのない、聴き手の主観のみでしかない

芸術をわざわざ点数化し、競わせる事に

子供達にとって何のメリットがあるだろうか?

と疑問しかないのです。


誰が採点しても同じ点数になるような

勉学であれば、平等に結果として出るので

むしろ切磋琢磨させるには良いと思いますが。



答えのない芸術はのびのびと

自由に自己表現ができる分野であるのに

型にはめたような演奏をさせて点数をつける、

そんな教育になってしまっている事が

とても残念でなりません。


点数化したいのであれば、基礎の部分を

AI審査で統一し、スケールやアルペジオを

抜粋でその場でランダムに弾かせるとかにして

基礎力の部分ではかるべきだと思うのです。

音の粒を揃える、音を外さないとかの基準になり、

AIが決めるので平等な採点になるのでまだマシですし

基礎力をつけさせる事は無駄にはならないので。


そもそも作曲家本人でもないのに

単なる個人的な主観で点数をつけて競わせ、

音楽性云々と言ってる時点で矛盾しているし

作曲家はそんな事をさせる為に

素晴らしい曲を作ってきたのだろうか?


その曲が作られた背景を考えたら

子供達にそんな競い合い方をさせる行為は

作曲家に対する冒涜のようにも感じるのです。



そんな事より、もっと大切な事があり、

音楽は辛い事や悲しい事があった時に

言葉ではなく、音に落とし込むことによって

自分で自分の心を慰めることができるし

聴く人の心も癒せる力がある魅力を

伝えていくべきなのではないかと思うのです。


むしろ作曲家が望んでいるのは

そっちではないかと思えてならないでいます。




ちなみに世間でいう社会的地位の高い方ほど

クラシック音楽を好む傾向があることを

ご存知でしょうか?


ご本人は楽器演奏はされなくても

高い頻度で「聴くのは好きです」と仰います。


それもなぜだか分かりますか?

あえてここでは書きませんが、その理由がわかる方は

クラシックの本質を理解されている方です。


今の日本のピアノ教育界では、ピアノが

承認欲求の為の道具にされているようにしか

思えず、本当に残念な気持ちでしかないです。


これは地域性もあると思いますが

悪しき習慣やローカルルールがいまだに

根強く残っているのも問題なのかも。


狭い社会の中にいると周りが見えず

どうしても視野が狭くなるのが人間の性。


リクナビさんより引用させていただきました。


日本のピアノ教育界の組織の在り方が

まさしくこれと同じかのかもしれません。