静岡県の浜松とその周辺が、ピアノ産業が盛んな地域だった事で、関連する部品等を作るメーカーや個人も多かったのですが、皆さん年齢を重ねていくに従って次々と引退し、今はその殆どの方が、姿を消してしまいました。

いずれこうなることは分かっていましたが、遂に自分より上の世代が、ほぼ居ないという状況になった訳です。


この一年程の間に、「特注サイズの鍵盤製作は可能か?」とか、「六郷にあったメーカーについて取材したいので、当時の職人を紹介して欲しい」と言った問い合わせが、なぜか僕のところにありました。


東京・大田区の六郷という街も、ピアノメーカーが沢山あったそうで、その中に《キャッスル》というピアノを作っていたメーカーがありました。

六郷を離れた後は、茨城県土浦市に移転してピアノを作っていたそうですが、長くは続かず、そこにいた木工職人が、そのまま土浦で工房を営んでいたのです。

(土浦にピアノメーカーがあった事など、知っている方は殆どいないと思います。)

その木工職人が、前述の問い合わせに応えられる唯一の方なのですが、工房の電話は解約されており、ご自宅はずっと留守電のまま連絡は取れず、何度かお邪魔したご自宅も、尋ねる勇気が無いままです。


僕自身その方とは、浜松のメーカーの研究生時代に知り合い、独立後も度々、土浦の工房を訪ねたのですが、遠方ということで実際に仕事をお願いしたのは、アップライトの前土台を作ってもらったのが唯一でした。

しかも、届いたものに請求書は入っておらず、電話したところ「請求書なんかめんどくせェな❗️独立のお祝いだ😄」 で済ませてしまう、そんな感じの方でした。

個人的な感覚ですが、昭和のピアノ職人と言えば、遠州弁が強いイメージですが、この方の東京訛りむき出しの喋りは、とても心地良いものでした。


そして、東京近辺でピアノのケースを作れる方は、恐らく唯一だったはずで、特に塗装屋さんなどにとっては、とても貴重な方だったようです。


木工の中でも、特に突き板に精通していたそうで、キャッスルのピアノは、ケースの木目の美しさに定評があったそうです。

ご自分の工房を始めてからは、鍵盤作りが中心で、オルガンの業者さんに鍵盤を供給していたようですが、詳しい供給先のことは分かりません。

こういうタイプの木工職人は、今後現れることは無いと思います。