こんばんは。
2014/02/27今夜の「ニュースウオッチ9」で春山満さんの訃報
を知りました。
春山さんは筋ジストロフィーを発症しながら、
介護・福祉ビジネスの第一線で活躍。
ハンディ ネットワークインターナショナル社長。
2月23日午後0時37分、進行性 筋ジストロフィーによる
呼吸不全のため自宅で死去した。兵庫県出身。
「ニュースウオッチ9」では彼の言葉をいろいろ紹介していました。
たとえば、「それでも前を向く」、
「なくしたものを考えない、残ったものを考える」、
「残っている可能性をしっかりみて、知恵、力、たくましさを
身につけてきた」、「お楽しみはこれから」、
「今あるものに感謝して」など。
彼は2003年アメリカのビジネスウイーク誌の「アジアの星25人」
の一人に選ばれたとか。
ネットでも少し調べてみた。彼の語録には素敵な言葉がいっぱい。
たとえば、「宿命を嘆くな、自らの命を立てよ」という言葉。
それについて彼はこう書いています。
「人生にはどうしようもない定めがあり、それは「宿命」と呼ばれる。私にとって進行性筋ジストロフィーの発症は、まさにその宿命そのものだった。しかし、宿命の裏には立命というものがある。「こうしたい、ここへたどり着きたい」そう自らを勉励することによって、宿命は立命に変えることができる。自らの命を知って、自らの命を立てる。人生は実に面白いと思う。宿命を嘆くのではなく、限りある命を知り、自らの力で人生を切り開いていく。そういう志や気力のもとに、大きな道が開けてくるものなのだ」
彼の著書、これからいろいろ読んでみたいと思っています。
それで今日、新たなテーマ「春山満」を設定したので、
以前に書いた彼の著書「僕はそれでも生き抜いた」の読後感想文を
再度投稿して、彼への追悼の言葉としたいと思います。
以下は以前の投稿記事のコピペです。
昨夜(2013/10/05)、春山満の「僕はそれでも生き抜いた」を読了。
著者は26歳で進行性筋ジストロフィーという病気を発症。
最初、不動産業をやっていたが、一時、5億円の借金ができ、
病気の宣告も受けて、一時は死のうとも考えたという。
このまま誰の心にも残らずに死んでしまうということの
悔しさから、「死ぬのはいつでもできる、何としても、
生き残りたい」という生への執着心が芽生えた。
気持ちを切り替えてから、運が向いてきて、
不動産トラブルで泥沼化していた裁判にも勝訴し、
大きな仕事もまとまって、借金も全額返済できたという。
自分の障害者としての体験をもとに、福祉ビジネスに
進出する。お客様の立場に立った「究極のサービス業」
を目指し、「ニーズ」の裏の「ウォンツ」に着目。
「ハンディを持った人のための生協」ということで、1988年、
福祉のデパート「ハンディ・コープ」という会社を設立した。
1991年、介護・医療のオリジナル商品を開発・販売する
「ハンディネットワーク・インターナショナル」を設立。
消費者が真に必要としている、より快適な商品の開発・販売を行う。
そのほかに「高齢者安心住宅」のプロジュースをしている。
この本で、私が本の耳をおった箇所を紹介しますね。
とても読んだ後、清々しさを感じました。
障害者福祉に関心のある私にとって非常に参考になった本でした。
どんな絶望の中でも、心のギアを切り替えれば気持ちも変わる。僕は首から上を使って、金を稼げばいい。悔し紛れだったとはいえ、僕はこういうふうに発想を変えた。これなら、生き残れるかもしれない。(第1章 26歳の死刑宣告、19頁)
「人生はニコニコ顔で命がけ」(中略)これは「喜神と胆識」という中国の教えを安岡正篤先生の高弟、豊田良平氏が見事に解説したもの。どんなに辛くても、どんなに悲しいことに遭遇しても、心にいつも喜びの気持ちを持つように。どんなことがあっても笑顔でいる人には、喜びの神様が宿る。これが「喜神」。知識をしっかり身につけて、経験をしっかり積み重ねる。すると見極め力「見識」が上がってくる。ここ一番というときは「見識」を超えて、どんな抵抗があっても乗り越えていく「胆力」が必要だ。これが「胆識」。人生はニコニコ顔で命がけで生きるもの。(第5章 迷路に入ったら古典を読め、171頁)
「若くして学べば、壮して成すあり。壮して学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」(佐藤一斎「言志四緑」)(中略)「憧れ」に向かって、コツコツと努力して積み上げていく、それが「学び」だ。(第5章176-178頁)
今の日本に、いちばん足りないもの。それは、生き抜く力だ。(第6章 僕がやり残したこと184頁)
ご冥福をお祈りします。
2014/02/27今夜の「ニュースウオッチ9」で春山満さんの訃報
を知りました。
春山さんは筋ジストロフィーを発症しながら、
介護・福祉ビジネスの第一線で活躍。
ハンディ ネットワークインターナショナル社長。
2月23日午後0時37分、進行性 筋ジストロフィーによる
呼吸不全のため自宅で死去した。兵庫県出身。
「ニュースウオッチ9」では彼の言葉をいろいろ紹介していました。
たとえば、「それでも前を向く」、
「なくしたものを考えない、残ったものを考える」、
「残っている可能性をしっかりみて、知恵、力、たくましさを
身につけてきた」、「お楽しみはこれから」、
「今あるものに感謝して」など。
彼は2003年アメリカのビジネスウイーク誌の「アジアの星25人」
の一人に選ばれたとか。
ネットでも少し調べてみた。彼の語録には素敵な言葉がいっぱい。
たとえば、「宿命を嘆くな、自らの命を立てよ」という言葉。
それについて彼はこう書いています。
「人生にはどうしようもない定めがあり、それは「宿命」と呼ばれる。私にとって進行性筋ジストロフィーの発症は、まさにその宿命そのものだった。しかし、宿命の裏には立命というものがある。「こうしたい、ここへたどり着きたい」そう自らを勉励することによって、宿命は立命に変えることができる。自らの命を知って、自らの命を立てる。人生は実に面白いと思う。宿命を嘆くのではなく、限りある命を知り、自らの力で人生を切り開いていく。そういう志や気力のもとに、大きな道が開けてくるものなのだ」
彼の著書、これからいろいろ読んでみたいと思っています。
それで今日、新たなテーマ「春山満」を設定したので、
以前に書いた彼の著書「僕はそれでも生き抜いた」の読後感想文を
再度投稿して、彼への追悼の言葉としたいと思います。
以下は以前の投稿記事のコピペです。
昨夜(2013/10/05)、春山満の「僕はそれでも生き抜いた」を読了。
著者は26歳で進行性筋ジストロフィーという病気を発症。
最初、不動産業をやっていたが、一時、5億円の借金ができ、
病気の宣告も受けて、一時は死のうとも考えたという。
このまま誰の心にも残らずに死んでしまうということの
悔しさから、「死ぬのはいつでもできる、何としても、
生き残りたい」という生への執着心が芽生えた。
気持ちを切り替えてから、運が向いてきて、
不動産トラブルで泥沼化していた裁判にも勝訴し、
大きな仕事もまとまって、借金も全額返済できたという。
自分の障害者としての体験をもとに、福祉ビジネスに
進出する。お客様の立場に立った「究極のサービス業」
を目指し、「ニーズ」の裏の「ウォンツ」に着目。
「ハンディを持った人のための生協」ということで、1988年、
福祉のデパート「ハンディ・コープ」という会社を設立した。
1991年、介護・医療のオリジナル商品を開発・販売する
「ハンディネットワーク・インターナショナル」を設立。
消費者が真に必要としている、より快適な商品の開発・販売を行う。
そのほかに「高齢者安心住宅」のプロジュースをしている。
この本で、私が本の耳をおった箇所を紹介しますね。
とても読んだ後、清々しさを感じました。
障害者福祉に関心のある私にとって非常に参考になった本でした。
どんな絶望の中でも、心のギアを切り替えれば気持ちも変わる。僕は首から上を使って、金を稼げばいい。悔し紛れだったとはいえ、僕はこういうふうに発想を変えた。これなら、生き残れるかもしれない。(第1章 26歳の死刑宣告、19頁)
「人生はニコニコ顔で命がけ」(中略)これは「喜神と胆識」という中国の教えを安岡正篤先生の高弟、豊田良平氏が見事に解説したもの。どんなに辛くても、どんなに悲しいことに遭遇しても、心にいつも喜びの気持ちを持つように。どんなことがあっても笑顔でいる人には、喜びの神様が宿る。これが「喜神」。知識をしっかり身につけて、経験をしっかり積み重ねる。すると見極め力「見識」が上がってくる。ここ一番というときは「見識」を超えて、どんな抵抗があっても乗り越えていく「胆力」が必要だ。これが「胆識」。人生はニコニコ顔で命がけで生きるもの。(第5章 迷路に入ったら古典を読め、171頁)
「若くして学べば、壮して成すあり。壮して学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」(佐藤一斎「言志四緑」)(中略)「憧れ」に向かって、コツコツと努力して積み上げていく、それが「学び」だ。(第5章176-178頁)
今の日本に、いちばん足りないもの。それは、生き抜く力だ。(第6章 僕がやり残したこと184頁)
ご冥福をお祈りします。