信頼していた人に強姦されて・・・過去.未来を奪われた人生の記録...

信頼していた人に強姦されて・・・過去.未来を奪われた人生の記録...

信頼していた自然食品店社長にレイプされ、第二次被害(妊娠)。精神が壊れていく過程、
更に3年後社長の虚偽発信による裏切りが原因で、人格破壊。
強姦されてから12年経った2015年、勇気を出してブログに記録を残そうと決意しました。最後の願い.助けを求めて。。

............日記.........2009年1月15日(木)



雪が降ってさぶい。
RRが15時まで来ていた。

長女が受験生だけど、
推薦で通ってるらしい。
 

RRが帰ってから徘徊した。



17時のサイレンに苦しみ、

涙流し、

 

やっとやっと離れ家にたどり着き、


20時過ぎるまで、

涙流して倒れていた。




電気もスト-ブもつけず、

体をグ-にして泣いていた。


 

苦しい。


 

誰も気づいてくれない。


 

くるしい。


 

メ-ルしても、誰も来ない。


 

苦しい。




 

..............................................

 

ずっと心の中で、
誰か、、気づいて!!!

 

を波動で発信していた感だった。

 

電気はつけない。
スト-ブもつけない。

 

通りすがり人が居たら、
この姿を見て、
何かあった!!!!  と気付ける。

 

残念だけど、
この部屋には、家族も来ない。

 

RRが居る時は、スト-ブつけてあげるけど、
帰ったと同時に、
カ-テン閉めて、スト-ブ消す。

 

体をグ-にしたと同時に、
大粒の涙がこぼれる。

 

この繰り返しだった。

 

心休まる場は、無い。

 

17時にI市ではサイレンの代わりに
相馬御風曲が流れる。

 

指導していた合唱団で、
どれだけ指導してステ-ジに立った事か。

 

全部苦しみに代わっていた。

 

涙は、
勝手に零れだす。
何時間経っても、
終わりは来ない。

 

子供の話とか、
無理だ。

 

全て言葉に連動してしまう。


 

..........日記.....2009年1月14日(水)



何もない。

体も停止。


15時過ぎて、やっと着がえ終わり、

今日やる事が終わった。



 

強風で、歩けない。


自分の車で会館まで行こうと

出たら、
ラ-ラの家の近所のクリニック前に
Tさんが居た。


ラ-ラの車は黄色で、目立つので

Tさんの方から見つけて、
手を振っていた。



診察に来たというので、

待っててあげた。

 

Tさんは、
運転しないので、バスで来たという。


 

17時くらいになった。


お家まで送ってあげたら、

お餅2つ食べていけと言われた。


 

19時に戻った。



スタインウェイのフタを開けて

演奏した。

 

指が切れた。


 

夜は苦しむだけ。




 

...................................

 

リアル時間は2024年7月。

 

Tさん、今は亡き人。

 

Tさんとの出会いは、
ラ-ラがお母さんコ-ラスのピアニスト任命され
勤め出してからなので、
歴史は長い。

 

Tさんはソプラノの位置に居て、
背が高いので端っこが定位置。
その位置にピアノがセットされるので、
初めての日から、挨拶されて
親しくなっていった。

 

10年近く、お母さんコ-ラスを
指導していたラ-ラ。

 

S氏にレイプされた事が原因で
お母さんコ-ラスピアニスト・指導・指揮の
仕事をもクビになったのだけど、

 

クビになった後も、親しく交流していた。

 

当時S氏店の裏にTさんの家があった。
S氏にレイプされた後のラ-ラは
病気になって、重症になっていく経過も
Tさんは全部見ていた。

 

店とTさんの家が近すぎる事もあって
毎日店に来るようになっていた。

 

S氏店は間借りで、
大家さんとTさんは大親友だった。

 

S氏にレイプされた事を
大家さんとTさんに告知したのは、
2006年5/28、
S氏が虚偽発信し裏切った日。

 

その後の生活は、
レイプされた出来事よりも残酷状態。

 

大家さんが教えてくれた事は、
残酷で、人間の感情が全ての事件を
ヤヤコシク難しくさせた事を知って

 

太刀打ち不能と感じた。

 

「Tさんは、ずっと旦那さんの事を(S氏)愛していた。
 未亡人になってから、ずっと愛していたから
 ラ-ラちゃんに対して酷い行動しかしなかったんだよ!!
 愛していた人がラ-ラちゃんをレイプしちゃったから。

 

大家さんに言われた時、
希望が絶望になった瞬間だった。

 

Tさんはラ-ラの味方と信じていた。
レイプしたS氏が最も恐れていた人が
ラ-ラの彼とTさんだった。

 

S氏は「絶対に松本の彼に言うなっ!!
    「Tさんにも絶対言うなっ!!!

 

毎回強く言われていた。

 

なのに、
TさんはS氏に着いたので、
S氏自身も驚き、驚くと共に喜んだ。
敵だと思って恐れていた人が、
S氏に着いたのだから。

 

大家さんが言うに、
愛していたS氏に着くのは当然って。
それで、
ラ-ラに冷たく当たって、
酷い事をしていたと言う事を納得した。

 

これ程酷い事されても、
行き場が無いラ-ラは、
Tさんの所へ行くしかなかった。

 

酷い事を言われたり、されたりしても
耐える以外の方法は無かった。

 

珍コロ始まる前の年、
Tさんは突然逝ってしまった。

 

新聞のお悔やみ欄に載ったのが
Mさんの誕生日1/18だった。

 

最後は、ラ-ラの味方になってくれたと
確信した。
酷い事をされ続いたけれど、

 

良い人だったんだよ。
言葉汚くて、残酷行動しか
出来なかったTさんの愛情表現だったと
今も感じている。

 

2009年、
病院に通院していた事は知っていた。
大腸系と言っていた。

 

幾度か送り迎えした事がある。


 

レイプの真実知っている人達から
死界へ逝きだす程、

 

時間が年月が経過していると言う事。


 

虚しい。
悲しい。

 

未だ続いている。

 

................2009年1月13日(火)



雪が降っている。
積もっている。

寒い。



RRが来るので1時間前から

部屋を暖めた。



大阪の弁護士Oさんに、

島さんに言われた事を全て語った。



精神薬が抜けて、

2005.11月頃から、
精神薬を飲む事を止めて、

 

止めると、
荒れて、全部抜けるまで
相当時間かかったけど、

 

抜けると、
これが普通状態と感じると、



精神薬を飲まされていた
相当苦しかった4年間を思うと

苛立つ。


 

体の具合がすごく悪い。


 

屋根に何かいる。


 

寒い。


 

履く靴も無くなった。


 

お金がない。
毎日徘徊し、靴が壊れた。


天気が悪くなると

履く靴がない。



底がはがれたり、
靴裏が穴空いたり、

破れたり、



こんな状態まで履いた事って

今までない。

 

残された靴も、全部壊れた。



 

........................................

 

O弁護士と島さん。
とっても素敵な人達。

 

必死に共鳴してくれる。

 

知恵もくれる。

 

残念な事は、
私達は、攻撃力が無い。
文句みたいな人に言える質を
持ち合わせていない。

 

弁護士達も人間だから、、、
知恵ではなく威厳威力で
相手を滅多打ち出来る人は多い。

 

情や心や気遣い優位だと
ソレが出来ない。

 

裁判に、感情はいらないと
W氏に言われた言葉、
今更響く。

 

書面に情も感情もいらない。
言葉でけで良いと以前言われた。


 

レイプされた日だけで良いみたいな

 

ラ-ラが最も苦手な文章。

 

ラ-ラは感情論が長い。
その日の思いは譲れない。

 

O弁護士も、ご自身は若いので、
年功序列が生きている日本では
無力もある事を語ってくれた。

 

島さん、
法律に関しては相当知恵を
持ち合わせている。
だからと言って、リ-ドしてくれる人ではない。

 

両親が支えてくれていたら、
まだ生きれたかもしれない。

 

ウチの両親も、戦う事は出来ない。

 

精神薬、、
S氏が「どうしても飲んでくれ!!!

 

強制だった。

 

薬は毒、、と言い張って、
ラ-ラも薬を絶った16歳時代から
飲まないで体の改善に
至ったのに、

 

飲めと言われて、

 

それ以前に、
強制堕胎手術の時、
抗生物質飲まされて、

 

折角虚弱な体を改善したのに、
どれだけも泣いた。

 

なのに、
1年経った2004年、
S氏のケアが無かったから
こうなったのに、
これ程、重病になってしまったのに、

 

更に精神薬を飲めと、、。

 

投げやる以外の方法は、
無かった。

 

精神薬が、
どれ程、体を蝕んだ事か。


 

抜くと、更に荒れる。

 

まだ、2009年時代は、
完全に抜けていない。

 

どれだけも苦しみ、

 

苦しいと言った所で、
聞いた人達の感情の「苦しい」にしか
ならないので、

 

「アナタだけではない!!

 

と返ってくる。

 

文句ではない。

 

報告です。