..........日記.....2009年1月14日(水)
何もない。
体も停止。
15時過ぎて、やっと着がえ終わり、
今日やる事が終わった。
強風で、歩けない。
自分の車で会館まで行こうと
出たら、
ラ-ラの家の近所のクリニック前に
Tさんが居た。
ラ-ラの車は黄色で、目立つので
Tさんの方から見つけて、
手を振っていた。
診察に来たというので、
待っててあげた。
Tさんは、
運転しないので、バスで来たという。
17時くらいになった。
お家まで送ってあげたら、
お餅2つ食べていけと言われた。
19時に戻った。
スタインウェイのフタを開けて
演奏した。
指が切れた。
夜は苦しむだけ。
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リアル時間は2024年7月。
Tさん、今は亡き人。
Tさんとの出会いは、
ラ-ラがお母さんコ-ラスのピアニスト任命され
勤め出してからなので、
歴史は長い。
Tさんはソプラノの位置に居て、
背が高いので端っこが定位置。
その位置にピアノがセットされるので、
初めての日から、挨拶されて
親しくなっていった。
10年近く、お母さんコ-ラスを
指導していたラ-ラ。
S氏にレイプされた事が原因で
お母さんコ-ラスピアニスト・指導・指揮の
仕事をもクビになったのだけど、
クビになった後も、親しく交流していた。
当時S氏店の裏にTさんの家があった。
S氏にレイプされた後のラ-ラは
病気になって、重症になっていく経過も
Tさんは全部見ていた。
店とTさんの家が近すぎる事もあって
毎日店に来るようになっていた。
S氏店は間借りで、
大家さんとTさんは大親友だった。
S氏にレイプされた事を
大家さんとTさんに告知したのは、
2006年5/28、
S氏が虚偽発信し裏切った日。
その後の生活は、
レイプされた出来事よりも残酷状態。
大家さんが教えてくれた事は、
残酷で、人間の感情が全ての事件を
ヤヤコシク難しくさせた事を知って
太刀打ち不能と感じた。
「Tさんは、ずっと旦那さんの事を(S氏)愛していた。
未亡人になってから、ずっと愛していたから
ラ-ラちゃんに対して酷い行動しかしなかったんだよ!!
愛していた人がラ-ラちゃんをレイプしちゃったから。
大家さんに言われた時、
希望が絶望になった瞬間だった。
Tさんはラ-ラの味方と信じていた。
レイプしたS氏が最も恐れていた人が
ラ-ラの彼とTさんだった。
S氏は「絶対に松本の彼に言うなっ!!
「Tさんにも絶対言うなっ!!!
毎回強く言われていた。
なのに、
TさんはS氏に着いたので、
S氏自身も驚き、驚くと共に喜んだ。
敵だと思って恐れていた人が、
S氏に着いたのだから。
大家さんが言うに、
愛していたS氏に着くのは当然って。
それで、
ラ-ラに冷たく当たって、
酷い事をしていたと言う事を納得した。
これ程酷い事されても、
行き場が無いラ-ラは、
Tさんの所へ行くしかなかった。
酷い事を言われたり、されたりしても
耐える以外の方法は無かった。
珍コロ始まる前の年、
Tさんは突然逝ってしまった。
新聞のお悔やみ欄に載ったのが
Mさんの誕生日1/18だった。
最後は、ラ-ラの味方になってくれたと
確信した。
酷い事をされ続いたけれど、
良い人だったんだよ。
言葉汚くて、残酷行動しか
出来なかったTさんの愛情表現だったと
今も感じている。
2009年、
病院に通院していた事は知っていた。
大腸系と言っていた。
幾度か送り迎えした事がある。
レイプの真実知っている人達から
死界へ逝きだす程、
時間が年月が経過していると言う事。
虚しい。
悲しい。
未だ続いている。