私がスランプだった頃 | ピアニスト 清水信守 Nobumori Shimizu

ピアニスト 清水信守 Nobumori Shimizu

埼玉県川口市在住のピアニスト、清水信守のブログです。
埼玉県川口市の清水ピアノスクール(https://shimizu-piano-school.com/)主宰

私には昔スランプのような時期がありました。


確か2010年、2011年くらいでフランス留学の4,5年目くらいだったと思います。


当時フランスで通っていた音楽院の卒業試験に2年続けて落ちたり、コンクールの予選通過ができないことが続いたりしました。


少なくともピアノに関しては、何をやっても上手くいかない時期でしたが、今振り返ってみるとなるべくしてなった感があります。


いくつか要因はあるかと思いますが、何よりも身の丈に合わない難曲に数多く取り組んでいたことが大きいと思います笑


私はフランスでの最初の3年間に習っていた先生は、私の力量をよく見定めて学ぶべき曲、試験で弾く曲を綿密に決められていました。


もちろんある程度私の希望も尊重して下さいましたが、難しすぎる曲を選ぶと「それよりも今はこっちを弾いたほうが良いよ」といった感じ他の曲を勧めて下さいました。


今思うと決して常に順調だったとは言えませんが、その頃は割と右肩上がりで上達していたように思います。


さて3年目も終わりになる頃、なんと先生が一時的に学校を離れられることになりました。


そして4年目からは別の先生に習うこととなりましたが、新しい先生は選曲に関してはどちらかというと生徒の自主性に任せる方でした。


更には私がとんでもなく難しい曲を弾きたいと言っても、「よし!じゃあ一緒に頑張ろう!」と言って下さり、調子にのった私は身の丈に合わない難曲をどんどん練習するようになりました笑


例えば1~3年目はベートーヴェンの変奏曲op34、シューマンのアベッグ変奏曲、ドビュッシーのエチュード「装飾音のために」のような曲を弾いていました。


それが4年目からは急にベートーヴェンのエロイカ変奏曲、シューマンのトッカータ、シューマンのピアノソナタ第1番、ラフマニノフの音の絵op39−1といった感じで曲の難易度が数段階くらい上になりました笑


さて難曲ばかりに取り組むようになった私ですが、自分が選んだだけあってモチベーションも保つことができ、更には先生のほとんど付きっきりに近い熱心なご指導おかげで(学校でのレッスンは水曜日でしたが、土曜日も先生のご自宅で見てもらっていました)徐々に形にすることができました。


しかしどの曲も完成とは程遠く、暗譜ができたとしても何箇所か弾けないところがあり、そこだけテンポを落としたり誤魔化したりする有様でした。


この状態で試験やコンクールを受けたとしても決して通るはずもなく、毎回散々な演奏になっていたように思います。



続く