ロシアのワグネル創設者、プリゴジンの反乱。1日で終わったようです。この件について、北野幸伯さん発行『ロシア政治経済ジャーナル』の記事をご紹介します。

(以下引用)

昨日、2023年6月24日は、実にドラマチックな一日でした。
メルマガで、

<プリゴジンが逮捕される、あるいは殺害される可能性は日に日に高まっています。>

と書いて配信した直後、ロシアから、「プリゴジンが反乱を起こした!」という情報が入ってきたからです。

ところが今朝起きたら、プリゴジンが「部隊を引き返す」と宣言していました。ワグネルの反乱は、1日で終わったようです。

何が起こったのでしょうか? もちろん、現時点ではわからないことだらけですが。

▼これまでの経緯

プリゴジンについては、これまでメルマガで何度も書いてきました。それを読まれてきた方は、プリゴジンと、ショイグ国防相、ゲラシモフ参謀総長、そしてプーチンとの対立についてご存知でしょう。

それでも一応、これまでの経緯を簡単に。

プリゴジンは1961年、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)で生まれました。プーチンと同郷です。

1980年代は、強盗、窃盗、詐欺などの容疑で、ほとんどの期間、刑務所で過ごしました。

1990年代、ホットドック販売からビジネスをスタート。その後、スーパーマーケット、カジノ、レストランなどで富を蓄積していきます。

船の上に作った「ニューアイランド」というレストランの評判はとてもよく、プーチンが、フランスのシラク大統領やアメリカのブッシュ大統領を連れてくるまでになりました。
それでプリゴジンは、「プーチンのシェフ」と呼ばれるようになったのです。

2014年3月、ロシアは、ウクライナからクリミアを奪いました。

2014年4月、ルガンスク、ドネツクの親ロシア派が独立を宣言。ウクライナ政府は、当然独立を容認せず、内戦が勃発します。
プリゴジンはこの年、民間軍事会社「ワグネル」を創設し、ルガンスク、ドネツクの親ロシア派を支援するようになります。

「ワグネル」は成長し、ウクライナだけでなく、シリアやアフリカ諸国でも戦うようになります。いつも実戦の中にある彼らは、民間軍事会社でありながら、いつの間にか「ロシア最強戦力」になっていたのです。

2022年2月24日、ウクライナ戦争勃発。プリゴジンとワグネルは、最前線で戦い、ウクライナ軍を苦しめました。

プリゴジンは、だらしないロシア軍、特にショイグ国防相、ゲラシモフ参謀総長への怒りを蓄積していきます。
「自分たちは祖国のために命を懸けて戦っているのに、ショイグ、ゲラシモフは、寝ているのか!?」と。
そして、SNSの時代ですから、積極的に情報発信するようになった。

ロシア軍の弱さに怒りを感じていた極右勢力は、彼の辛口コメントに熱狂。プリゴジンの人気は、どんどん上がっていったのです。

5月5日、プリゴジンは鬼の形相で、「弾薬が70%足りない!ショイグ、ゲラシモフ、弾薬はどこだ!?!?!」と絶叫する動画を公開しました。

5月9日、プリゴジンは、ついにプーチン自身のことを批判します。曰く、「おじいさん」は「クソ馬鹿野郎」。

ロシアのことを知る人たちは皆、「プリゴジン終わった」と思いました。ロシアでプーチンの悪口をいう人の末路は決まっているからです。

・5月20日、プリゴジン、「バフムト完全制圧宣言」。プーチンも祝意。
・5月25日、ワグネル、バフムトからの撤退開始。
・6月1日、ワグネル、バフムトをロシア軍に引き渡す。

最前線で戦うプリゴジンは、最強戦力。だから、彼がどんなに無礼なことをいっても、手出しされ
なかった。
しかし、前線を離れたプリゴジンは、「用済み」の存在になったのです。

6月13日、ロシア国防省は、志願兵や民間軍事会社は、7月1日までに「ロシア軍と契約を結ばなければならない」と決定しました。

ターゲットは明らかにワグネル。要するに、「ワグネルはロシア軍の傘下に入れ」と。
プリゴジンは、即座に「拒否する」と声明を出しました。

ところが6月13日、プーチン自身が、「国防省の決定を支持する」と宣言します。プリゴジンは、その後も契約を拒否する姿勢を崩しませんでした。

▼プリゴジンの反乱

6月23日の夜、プリゴジンは、ロシア軍がワグネルの陣地を攻撃したとする動画を公開しました。

本当にロシア軍がワグネルを攻撃したのかどうか、はっきりはわかりません。「自作自演」の可能性もあります。「自作自演」だとしたら、その理由は、「反乱開始の口実づくり」ということでしょう。

この後プリゴジンは、「ショイグがワグネルを破壊しようとしている」と非難します。そして、「正義の行進を開始する」と宣言しました。

プリゴジンが非難したのは、ショイグが中心。プーチン批判をしなかったのは、「プーチンが味方してくれるかも」と期待したからでしょう。

しかし、プリゴジンはすでにプーチンのことを「クソ馬鹿野郎」と呼んだので、それは「無理な相談」でした。

プリゴジンの発言を受け、ロシア軍は、モスクワにある、議会、FSB本部、モスクワ市役所など主要施設の警備を開始しました。

そして、共同6月24日。

<ロシアの国家テロ対策委員会は23日、民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジン氏が「武装反乱の呼びかけ」をしたとして連邦保安局(FSB)が捜査に着手したと発表した。ロシア主要メディアが伝えた。>

24日、日本時間の昼頃になると、「ワグネルがロストフ・ナ・ドヌに入った」という情報が入ってくるようになりました。

@地図で位置を確認しましょう。↓
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%8C%E5%9C%B0%E5%9B%B3&aq=-1&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&oq=#a03e77464149b20bb8a97599336084c1

そして、ワグネルは、ロシア軍の拠点を制圧することに成功します。

その後ワグネルは、北上し、ヴォロネジのロシア軍拠点を制圧。

@地図で位置を確認しましょう。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%8D%E3%82%B8%E5%9C%B0%E5%9B%B3&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8#ea37a848a81d5e38b382c1261ed6c515

さらにモスクワへの進軍を開始します。

プーチンは、どう動いたのでしょうか? 緊急演説を行い、断固たる姿勢で反乱を鎮圧する決意を語
りました。

6月24日FNNプライムオンライン。

<プーチン大統領は24日、緊急演説で

「われわれが直面しているのは裏切りだ。故意に裏切りの道を歩んだ者、武装蜂起を準備した者、恐喝やテロリズムの方法をとった者は、すべて避けられない罰を受けることになる」

と警告し、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」のトップ、プリゴジン氏の行為を「理不尽な野心と私利私欲」と非難し、断固たる行動をとるよう指示したと述べた。>

さて、ワグネルはその後、モスクワから200キロの地点まで進軍します。

ところがプリゴジンは、ここで、
「流血の事態になろうとしている。この責任を理解し部隊を野営地に戻す」
と宣言し、実際に引き返したのです。

▼なぜプリゴジンは、引き返したのか?

なぜプリゴジンは、引き返したのでしょうか?

まず、はっきりわかっているのは、ベラルーシのルカシェンコ大統領が、仲介をしたということ。
テレ朝ニュース6月25日。

<ロシアの隣国ベラルーシのルカシェンコ大統領は「ワグネル」のプリゴジン氏と緊張緩和で合意したことをプーチン大統領に伝えたと発表しました。

ベラルーシの国営メディアは24日、プーチン大統領の合意の下でルカシェンコ大統領が武装蜂起した「ワグネル」のプリゴジン氏と電話会談したと発表しました。

一日かけて交渉が行われた結果、プリゴジン氏はロシア国内での「ワグネル」の進軍を停止し、緊張緩和の措置を講じる提案を受け入れたとしています。

この交渉の結果は、ルカシェンコ大統領からプーチン大統領に報告されたということです。>

そしてわかっているのは、クレムリンが提示した条件の一部です。
ロイター6月25日。

<ロシア大統領府のペスコフ報道官は、武装蜂起を呼びかけたプリゴジン氏に対する犯罪容疑を取り下げると明らかにした。
同氏とワグネル戦闘員の安全を保証する以外に何らかの譲歩をしたかについては言及を避けた。>

・プリゴジンに対する犯罪容疑を取り下げる。
・プリゴジンとワグネル戦闘員の安全を保証する。

ここからは私の想像です。

プリゴジンによると、ワグネルの戦闘員は2万5000人。これで、全ロシア軍に勝つことはできません。

では、どうすれば勝つことができるのか? ロシア軍がプリゴジン側に大挙して寝返れば、勝てる可能性が出てきます。

しかし、それが起こらなかった。彼は、自分の人気を「過信した」可能性があります。

そして、ヴォロネジからモスクワから向かうルートは限られている。ロシア軍がフル装備で迎え撃てば、ワグネルに勝ち目はありません。

というわけで、プリゴジンは、「勝ち目なし」と判断して、ルカシェンコの提案に乗ったのかもしれません。詳細は、後々わかってくることでしょう。

▼プリゴジン時代の終わり

プーチンは演説で、断固戦う姿勢を示しつつ、ルカシェンコ経由で、プリゴジンに逃げ道を提示しました。プリゴジンの反乱を、「見事に止めた」といえるかもしれません。

プリゴジンは、ウクライナ戦争という特殊な状況で登場し、その過激な発言で注目を集めました。「最前線で戦っている」という事実が、彼の発言に説得力を与えていたのです。

しかし、彼がプーチンを批判し始めた時、彼の運命は決まりました。今回の反乱で、長くなかったプリゴジンの時代は終わります。

プリゴジンはベラルーシに逃れるかもしれません。ですが、プーチンが危険な裏切り者をそのまま放置することはありえません。早晩始末されることになるでしょう。

プリゴジンがサバイバルできるとしたら、彼が死ぬ前に、プーチンが失脚したり、死ぬ場合でしょう。