4月8~11日は、レックリングハウゼン郊外で動法講座がありました。この会はドイツ在住の日本人が企画してくださって、長年続いている会です。私が参加させていただくようになってからでも、もう20年近く!経ちます。身体教育研究員の渡辺恒久先生がご指導くださいました。

動法については、過去の記事でも書こうとしては挫折してます。

これとか
これとか。

動法ですから、ざっくり言って、動く法ですね。
耳を澄ますように、身体を澄ます、そうして感覚が最大限に感じられ、力が最大限に発揮できるような動き(目に見えない中の動きも含む)を追求していきます。

講師によっても、受講者個人個人によっても、そこで味わう世界はそれぞれ異なってきます。
二人で組んでお稽古をしようとすると、相手の世界との違いにびっくりします。

この記事は、今回の私の印象を書こうと思います。

今回、1日目が予定が合わず、2日目午後から受講しました。

渡辺先生の言葉で印象深かったのが

「思想や理念が技術を作る」(これ、ピアノもおんなじだなあ)

「動法は自由になるためにやる
自由になるには不自由が必要」Σ(・ω・ノ)ノ!

なんでそんなめんどくさいことを、と一瞬思うのですが、
その真意はお稽古によって、だんだん体感していくことになります。

初めに、日常でよくやる、壁に寄りかかるという動作。
普通にリラックスしてだらっと寄りかかると、身体の中で、力?勢い?気?の方向があちこちに分散しています。

それを、寄りかかっている点に方向を集中していく。
そうすると身体が一つにまとまっていって、ある時ふっと壁から自由になる。
壁の代わりに人が相手だと、相手の人も変化を感じられます。

体感する世界で、あんまり頭でっかちになってもどうかと思うので、ほどほどにしておきます。

今回、私が新しく経験した身体感覚は、こんな感じ。

・球体の水の中で浮かんでいる自分(結界とも関係ある)

・↑を前提とした集中と拡散

・真ん中からの勢いに沿ってその都度新しく身体を使う

・地面からぐーっと上がってくるような吸い、自ずと起こる吐き
 身体の外に起きている呼吸
(↑実際の呼吸とは不即不離のような・・・?)

・実際には身体を動かさない身体感覚

・目に見えない中の動きで拮抗を作る
 ↑これが負荷、不自由、集中で、この時集中しきってぽっと抜いた時の自由さは、確かに他とは比べものにならない。

面白いのは、こういったことを体験してしまうと、その後の日常生活まで世界の捉え方ががらっと変わってしまうこと。何がどう変わるのかはまったく予測できないし、だから変わることを目的にはできないけれど。

わかりやすい例だと

・腰痛や腰の疲れはいぜんとしてあっても、感じ方が全然違う。
以前は腰が痛くて動けないって感じだったのに、
今では騒音程度、「それが何か?」って感じ。

先生は
「腰が抜けると流れに浮かぶごみを拾ってしまう。
流れそのものを見ていく」
と表現なさってました。

・自分が球に包まれていると、自ずと丁寧な動きしかできない

・疲れたな、という時、今までだったら

なるべくリラックスしようとする=だらっとしようとする

もっと疲れに焦点が当たる

だったのが、

あちこちに分散している体内の方向をそろえようとしてみる

疲労感が浮く

という感じです。

次回のドイツ動法講座は、9月30日~10月3日の予定です。