古いメールを整理していたら、そのうちご紹介したいと思ってとっておきながらそのままになっていた、昔(2013年)のメルマガ『宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと』が出てきました。

ここで紹介されている西嶋さんの奥様は、遷延性意識障害で、自分の意思で身体を動かすことが難しく、意思表現も難しいのですが、今では車椅子でお出かけできるほど快復なさっています。

(以下引用)
今日は特別な一日でした。お優さん率いる、激突・・、いやちがった、体当たり(白雪姫)の赤ちゃん、アヤヤ、そしてお優さんという突撃トライアングルに、ご主人が少し遅れて到着して最強カルテット。そこに柴田先生が到着して、夢のような奇跡のクインテットとなり、にぎやかな病室となった。・・・

柴田先生がコンピュータを操りながら、一文字づつ、あかさたなスキャンで妻の詩を拾い上げて行く。

詩を書きます。
(・・・という書きだしでスタートしました。実際は、全てひらがな、句読点ほとんどなし)
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時間に“流れ”があるように 私のこころも“流れ”があって
古い私が洗われて 新しい私へと蘇る
不器用な私らしい“流れ”だけど
確かにこころは“流れ”をもって歴史を刻み
目にも止まらぬ速さで 呆然と立ちすくむしかない人々を
こころの底から洗い流して行く

なぜ人は喜びと哀しみに もてあそばれてしまうのだろう
私にはわずかに論ずる言葉さえないが 論じられたら言いたいことがある
人は遂にその生を終える瞬間まで流れ続けるこころがあって
悶々とした思いの中で ずっとこころは流れつづけているということを
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この詩のタイトルは「こころの流れ」ということでした。・・・

柴田先生は入ってくるなりもう妻と話し始めていました。あらら、もう始まったの?妻も話したい事がたくさんあって、堰を切ったように話し始めました。

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詞はできていますよ。楽しみにしておいてください。しかし、歌詞かどうかはよく見てもらわないとわからないけど、歌になるかどうかはわからないけど、うちの夫はそのへんは詳しいので、すぐに歌になるかどうかはわかると思います。
先生は、歌まで作るのですか?先生は今日もどこかに行ってきましたか?
(ハイ)
その声は、またどこかで誰かと会ってきたような声に聞こえるので、誰かと会って来たのですね。誰と会って来ましたか?
(4~5才の子供とと会ってきました)
そうですか、そんな小さな子でもお話をするのですか?
(もうしますよ、だいたい)
そんなに早くからこんなに話せると嬉しいでしょうが、そのお子さんは障害があるのですか?
(障害があってしゃべれてなくて)
そうでしょうね、そうでなければ先生とあうはずがないですが。
ところで、先生のこんなやり方でその子も話しをしたのですか?
(このやり方で話しをしました)
そうですか。まるで、余裕ですが、うちの夫は相変わらず困っているので、
あまり見せるとまた落ち込んでしまいそうです(一同笑)

みなさんほんとうにすごい技をお持ちなので驚くばかりですが、なかなか夫婦では難しいですね。私もあまり身体が軽くは動かないので、夫とだとうまくいかないけど、優さんや先生だと、軽やかに身体も気持ちも動くので簡単になるのかもしれませんが、みなさんのような楽天的な雰囲気はとても気持ちが楽になりますが、今日もやっぱり笑いながら入ってきましたね。
私の病室に笑いながら入ってくるのは、みなさんぐらいのものです。(一同笑)
本当に不思議な人たちですね。

でも、最近はうちの家族もだいぶ明るくなったというか、私が普通にわかっているということがわかったので、安心して話せるようになったことで、とても楽になったみたいです。最初は本当にわかっているのかどうか心配で、みんな恐る恐る話しかけてみて、私の反応がないと、やっぱり無理かというような淋しそうな顔をするのですが、私はその顔を見るのがとてもとても面白くて、また心配しているというのを見ては、いつか私が全部わかっていたと言ってあげようと楽しみにしていたので、今はもうその楽しみはなくなってしまいましたが、みんな当たり前に話しかけてくれるようになって、あの頃はいったい何だったのか?という感じになりました。

みなさんのような人がはやく世の中に溢れるようになれば、この病院中の人がみんな明るく話せるようになるのですが、なかなか難しいです。でも、私たちのような存在も、きちんとした思いや言葉があるということについて、まだまだよくわかっていないということも、わかってきたのは、私の言葉についても賛否両論のようで、なかなか受け入れがたい人がいるようなのですが、だいぶみなさんわかってくれるようにはなってくれましたが、私の顔を見て、反応があると思う人と、思わない人がいるのが、可笑しくてしかたありません。

専門家と言っても、そういう専門家ではないので、私の顔から表情を読み取れる人と読み取れない人がはっきり分かれるのが、可笑しいくらいですが、やはりセンスのいい人は、やっぱりあれは笑顔だったとか、嬉しい顔だとか納得していくのですが、読みとれない人は「やっぱり気のせいか」とか言って、つぶやいて行ってしまうので、可笑しいですね。

でも、またそういう風にして少しづつ理解者が増えていくのが嬉しいですが、まだまだだなと思うのは、やはり私だけが特別ということになっていて、病院中の人がそうかもしれないとは、誰も思わないようですね。

本当はみなさん、きっとそうだろうと私は、この身体になって思えるようになったのは、私も相当重篤な状態だと思っているので、もっと軽い人もたくさんいるようなので、本当はもっともっとみなさん気持ちが言えるはずなのに、本当に残酷と言えば残酷なことですが、少しづつしか世の中は変わらないということも、わかりきっていることなので、少しづつ地道にいくしかないでしょうね。そうやって、少しづつでも広がって行く事が大切なので、ぜひ、ゆっくりとでいいから、じっくりと取り組んでいただければと思います。

みなさんは、相当に気が長いようなので、私も安心していますが、相当気が長くないとこんなことはやっていられないと思いますが、みなさんのような人たちがこんなにたくさんいることは、元気の時にはわからなかったことなので、本当に驚いています。

ところで、今日の私の顔は、少し笑顔が出にくい感じがするのは、今日は少し疲れているからですが、何故疲れたかというと、やはり夏の暑さがどうしても身体にしみるからですが、元気な時は冷房があると身体は冷えるぐらいにしか思っていなかったけれど、やはり冷房は冷房、夏は夏という感じがするのですが、それは不思議な感じがしますが、みなさんはその事についてはあまり感じないでしょうね。先生はどう思いますか?

柴田先生:ぼくもね、よく・・・前から不思議だなと思っていたのは、、、気温だけ言って、、、冷房の設置で考えれば、夏もこれだけ冷房が効いていればもう夏ではないと思ったんだけど、この間あの、ある人が、、ある自閉症の人が、やっぱり夏は暑いんだとか言っていて、あぁ、そんなものなのかって思って、、自分はわかんない、鈍感なので、、、、、

そうですか、私は今の人の気持ちがよくわかるのは、冷房の温度と身体で感じるのはまた別で、冷房の温度がいくら低くても冬とは違っていて、夏はやっぱり夏の暑さがあるので不思議ですね。先生は、あまりそういうのは敏感ではないのですか?

柴田先生:あまり敏感じゃない(笑)

私もそういうのはどうでもよかった方なのですが、こうやって入院してみると、冷房の気温が低いのに、何故夏を感じるのか不思議でしかたないのですが、それは本当に身体で感じるので仕方なくて、やはり夏は夏の暑さがあるので返って嬉しいですが、その分、きっと身体は疲れていると思いますが、でも気持ちは全然疲れていないので大丈夫ですが、この間のように笑顔が出ないと思います。

今日も優さんは私の顔を見ていっぱい表情が見えるそうですが、先生はまだあまり表情に新たな変化を見ていないのがわかりますが、そう言う事まで昔は感じもしなかったけれど、そういう相手の気持ちの動きにもとても敏感になってしまって、本当はもっと鈍感のほうがいいのですが、いろんな人の気持ちが細やかにわかってしまって、困ることが増えてきました。

色々な心の醜さまで見えるのが、あまり気持ちよくなくて、やはりあの昔のあの、自分のことだけ考えていた時のほうが楽だったと思います。みなさんは、気持ちを聞き取るようになって、人間の醜さのようなものは見えてこないのでしょうか?

お優さん:見えない・・・
柴田先生:あまり僕には言ってこない
お優さん:私も見えない・・・素敵、清美さん。泣いてる?

そうです、泣いています。さすが優さんですね。先生は気づいていませんでしたね。

柴田先生:はい

醜さに気づかないのでしょうか?それとも先生たちのような人には人はあまり醜さを出さないのでしょうか?そのへんが面白いところですが。私もあえて優さんや先生たちに醜さを出そうとは思わないから、やはりそのへんはうまく出来ているものですね。みなさんには人間の醜さが見えないようにうまくできているので、そのほうがいいですよね。

先生など「人の醜さは見た事がない」などと平気で言いそうな感じの人なので、醜いのは見たくないのだから、みんなそれを察知して出さないのかもしれませんね。そのくらい、みんな相手に敏感になってしまうのが、いいのだか悪いのだか本当にわからなくなります。

私は恥ずかしくてあまり言いたくないけれど、やはり夫の心がこんなにきれいだったというのは、こんな病気にならないと気がつかなかったことで、やはり面白いものですね。

夫は仕事の鬼のようなところがあったので、ゆっくりと自分の気持ちを家で広げるようなことはなくて、ほとんど家は仕事の合間に顔を見せるという感じだったので、だいたいイライラしているのは仕事のイライラだし、嬉しいのは仕事の喜びだし、仕事が絡むことがいつも感情を満たしていたけど、今は私のことしか考えていないようなので、こういう事がなければ夫の心がこんなに見えることはなかったのですが、本当に最近は心がよく見えるようになりました。

夫を前にするとやはり照れくさいけれど、さすがにこういう機会しか言えないので、やっぱり言っておこうと思いました。夫のような人は他にもいるのかもしれないけれど、やはり本当に「世界一の夫婦になったわね」といつも思います。

体当たりの赤ちゃん:「あっ!」

世界一の夫婦・・・というところで、赤ちゃんが声を出すのは偶然なのでしょうか先生?

柴田先生:それがね〜(笑)・・・(赤ちゃん笑い声)・・・ほら笑ってるし

お優さん:うーん。やっぱりね。赤ちゃんでも理解していますよね。

そうですよね。私はこの状態になって人間の言葉はいったいいつ頃からはじまるのかと考えるようになって、発言が出来る前の状態に私はいるので、赤ちゃんも本当は発言をしたいのだけど出来ない時期が長いのではないかと思って、今の声を聞くと、やっぱり何か大事なところは伝わっているなと思いました。世界一という言葉の意味がそのまま分からなくても世界一という言葉(赤ちゃん:ふーんふーん)が大事だという意味がわかったのでしょうね。

「世界一」でとても反応したので、「世界一」がきっとそのお子さんにとっては、自分の周りの一番かもしれないけど、その「世界」という意味ならよくわかるのかもしれませんね。そういう事も、暇だから色々考えるようになって(赤ちゃん:ふーん)人間はやっぱりまだまだわからないことが多いのではないかと思います。

私が詩をかくようなことになるとは思わなかったので、自分でも驚いていますが、良い詩かどうかは別にして、気持ちを書き込めて詩をつくることが出来てよかったです。前に予告したものとはだいぶ違う内容ですが、私のこの状態になって初めて見えてきた、心の流れを詩にしましたので、題は「こころの流れ」ということにします。歌になるかどうかは夫が判断して、また素敵な歌手に歌ってもらえると最高ですが、少し歌にはなりにくい言葉もあるから無理はしなくていいけれど「こころの流れ」という歌をまた聞かせてもらえれば、私はとても嬉しいなと思います。

先生は途中だいぶん難しそうでしたが、詩は難しいのですか?

柴田先生:詩はですね、予測がほとんど立たない言葉が次から次に出てくるので、、、間違いかもしれないという思いが、会話とちがってあるので・・・

そうですか。会話はほとんど間違いにくい流れをもっているのですね。

柴田先生:そうなんです。会話はわりと、すーっと流れがあるので、よっぽどなことがないと、あの、以外な方向には、あ、全体としては大きな、、色々、意外性もあるけど、短い言葉の単位では、そんなにあの、以外な方向性にはいかないもんですから・・・

そうですね。とても、だいぶ苦労したのは、そこはその言葉でいいのだろうか?という思いがあるのですか?

柴田先生:そうですね。これで本当にいいのだろうか?とか・・・

途中、明らかにわかっているのに確かめていることがありましたね。

柴田先生:はい、あの、それは、確認するときに一回止まって、もう一回やっていることが何回かありました。

そうですね。会話の時にはそれがないけど、詩の時はいったん正しいところに止まっても、また動き出すので確かめているということがわかりましたが、そんなに詩のときは難しいとは思いませんでしたが、やっぱり難しいのですね。でも正確に聞き取っていただけてよかったです。最後の悶々としたは以外でしたか?

柴田先生:そうですね、ちょっと以外というか、違う言葉ではないのだなと・・・・

悶々としたままの状態を詩をしたのは、少し暗いけど、本当の事なので、そのままにしましたが「論ずる」などという言葉は詩にはふさわしくないから、ちょっと変えたほうがいいかもしれないけど、私の語彙はそういう感じなのです。「論ずる」という表現の時も先生は相当に迷っていたので、やはり詩にはピッタリ来ないのだなと分かりましたが「論ずる」をきちんと選んでくれてよかったです。さすがに難しくても間違わないのに驚きました。でも確かに、私の詩は少し流れがわかりにくかったのでしょうね。でも、詩はそういうものなのでしょうね。

柴田先生:そうですね。じゃないと、詩じゃ、、、詩として、こう新しさとか、、ないので、、、やっぱり予測を超えていかないと、いけない、、、つまらないので・・・なんか・・・

そうですね。詩は予測通りでは詩としてつまらないですね。でも「こころの流れ」というのは、それ自体はとても月並みなことだけど、心の流れのあり方がこういう状態なので、やはり少し特別な内容になっていると思うのですがいかがでしょうか?夫にはまだ全貌が見えていないかもしれないので、一度読んでみてくれませんか。

(ビクッとしました。ひらがな一文字づつ打ち込まれていくPC画面が、あまりよく見えないところにいて、たまに覗き込んで、どんな詩になっているのかな?と思っていたときに、妻からこのように指摘されました。また心を読まれてしまったようです。)

~柴田先生が朗読~

僕:あらわれる・・・はどっちだろう?
お優さん:洗うでしょう?ウォッシュですよね?
妻:そうです。最初は先生も洗うとは思わなかったですね?
柴田先生:ちょっと最初は、現れる、出現のほうだと思った。
妻:流れをどう表現するか難しかったけれど「洗う」という水に関係のある表現にすれば流れになると思いましたが、伝わりましたか?
お優さん:そうかそうか、伝わりました、はい!
柴田先生:伝わりました!
僕:ふーん。

妻:流れというニュアンスはとても詩的なニュアンスなのですが「川の流れのように」という歌がありましたが、「川の流れのように」は少し今思えばのんきな歌詞でしたね。あれだけ世の中で流行った歌ですが、やはり元気なままの人にしかわからない世界に思えて、少し月並みな感じがしてなりません。

私の「こころの流れ」は最後は悶々としていることになってしまいましたが、そこは少し脚色をしていて、本当は結構のんきなのですが、やはり「悶々と」という表現で、重く終えたほうがいいかと思いましたので、このままお願いします。

詩は素敵なものですね。私は詩をずっと考えていると、自由な気持ちになれて、とてもこの状態にいるとは思えなかったです。心が流れているというだけで、私の気持ちは自由な心になっていたので、やはり詩というのは不思議なものですね。詩を作るなんて、こんな身体にならければありえなかったので、本当に不思議な経験ですが、やはり詩は人の心のから溢れ出すものだということがよく分かりました。昔から素敵な詩を作って来た人たちは、溢れ出す何かをもっていたと言う事でしょうね。

でも、溢れ出す何かは、やはり体験を通してしか生まれないので、出来ればこんな辛い体験はしたくなかったので、詩が出来るということも、なかなか悲しいことではありますね。先生はたしか、子供たちの詩もいっぱい聞いていると言っていましたが、みんな同じ気持ちで作っているのでしょうね。どんな説明をしていましたでしょうか?

柴田先生:みんなね、心が落ち着きますというのが一番、割合としては多いですね。詩をつくっていると心が落ち着きますとか、気持ちを鎮めるために作っていますとか・・・そのへんが多いですね。なんか、表現としては。

そうでしょうね。詩を作ると気持ちが落ち着くので、私も詩のことを考えるようにしたけれど、私はさすがに、もういい年齢なので、そんなに詩がなくても大丈夫だけど、生まれつき障害がある子供たちが詩を作って気持ちを心から鎮めているというのはとてもよく分かります。そういう子供たちにも一度会ってみたいなと思いますが、そうやってたくさんの詩が生まれていくのが人間の芸術の原点だと、昔誰かに聞いたような気がするけれど、本当に芸術の原点というのはこういうギリギリの体験から生まれるのだということがよく分かりました。

「こころの流れ」のあとに、俳句を歌いはじめた。

『息ひとつ メモるその手にレンギョウを』

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妻:誰の詩だったか?同じような立場の人の詩でレンギョウの詩があります。
柴田先生:はい。あります。有名なのが、、、星野富弘のレンギョウの詩が、、、
妻:その人ですね。確か首から下が動かない人の詩で、ずいぶん前にベストセラーになりましたね。
柴田先生:そうですね。たしか30年前くらいですね。
お優さん:へぇ~。
僕:そんな事知ってんだ。
妻:私は傷はもっている、その傷からあなたの優しさがしみてくる・・・でしたか?
柴田先生:たしかそうですね。。。

妻:面白いですね。二人で予測をしあうところがありから、私も不十分な記憶だったけれど、言葉にうまくなりましたが、今みたいに助けあって言葉を作ることがよく分かりました。レンギョウのその詩がとても好きでしたが、まさか自分がその立場に立つとは思わなかったので、その詩を何度も繰り返し思い出していて、そのことを俳句にしました。(自分のこの詩は)素晴らしい俳句とは思いませんが、そこに込めた意味は私はとても気に入っているので、これも一つの作品としてきちんと記録してもらいたかったので、嬉しかったです。

レンギョウの話しがわかる人(柴田先生の事)がいるとは思わなかったので驚きましたが、私は傷をもっている・・・傷口がつくのかな?・・・やさしさが染みてくるというのが本当に良くわかるので、私のこの身体はどこかに傷があるわけではないけど、傷だらけの身体みたいなものなので、その傷から優しさが染みてくるというのは、本当に素敵な事ですね。その事を昔は「ふーん、そんなもんなんだ」と思って読んでいたけれど、まさか自分が「その優しさ」を感じる立場になるとは思いませんでした。先生は星野富弘のファンなのですか?

柴田先生:一応ファンです(笑)。昔は授業で使っていたことがあります。
妻:そうですか。そういう詩の話しにもつき合っていただいてありがったけれど、、、私の呼吸をメモするのは、まさに夫なので、これも夫に捧げる俳句ですから、それはぜひ記録に留めておきたいので、もう一つパソコンで書いておきます。
柴田先生:はい。(柴田先生が、パソコンで妻の言葉を拾いはじめる)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『強き夜 どれくらいの暗闇か 図りかねつつ朝を待つ』

・・・これは、強い心を持ち続けている妻ですが、そんな妻でも夜がなかなか明けないということを現しているのだろうと僕は思います。それは、意味がかかっていて、夜は毎日の昼と夜、そして、彼女が今経験している、人生における夜の状態を言っているのでしょう。
本人の解説はとてもシンプルでした。<私は強い気持ちを持ち続けているという事です。どうしても明けない夜を歌にしました>・・・という事でした。そうして、すぐ続けて、すぐにもう一句歌いました。

『良い人生悪い人生問うなかれ ロウソクは燃え尽きるまで炎なり』

・・・これは、相当、激しい強さを持っている人だと、びっくりしました。僕にとってはいつか夢の雫にも書いた、今年、他界したおばちゃんの言葉、「人間は一人として病気で死ぬ人はいない、寿命で死ぬのだから、病気は病気、命は命」・・・という言葉に近い衝撃がありました。ぐちゃぐちゃ細かいこと言っているんじゃない。しっかり前を向いて生(行)きなさい!と言われているようにも思いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

妻:誰でもそういう言葉をもっていたということが、つくづくわかりますが、凡人はこうならないと出てこないけれど、天才は普通の状態でも出てくるから天才なのでしょうが、天才はそれだけ苦しみも深いのかもしれないと思うようになりました。本当の天才はなかなかいないから、言葉だけの人は多いけど、やはり昔からすごい天才的な詩人や俳人や歌人は、本当は心の中に苦しみをきっと抱えていたにちがいないと思うようになりました。

そんな事までこの状態になってわかるので、やはり「良い人生、悪い人生、問うなかれ」というのも実感です。どちらが良いとか、どちらが悪いとか、簡単に言えるものではないということが、とても良くわかります。

とくにこうして、みなさんとお会いしてからは、こういう世界があるなんて知りもしなかったことだし、先生にしても、優さんご家族にしても、私たちのような状態になって初めて会える人たちなので、ここがもしも仮に地獄だとするならば「地獄に仏」とはこのことで、、、そのような軽い言い方で申し訳ないけれど、やはり不思議な人たちに出会えているのも、この状態になったからで、色々本当に人生は不思議だし、、、私は神など信じていないから説明はしきれないけれど、もし神や仏を信じている人ならまさに、この瞬間に神や仏の****(聞き取り不能)というのか、これこそ神や仏が与えた私への“恵”だという気持ちになるに違いないでしょうね。

私もそういう世界を信じていたなら、まさにこれが、その体験そのものだとわかりますが、さすがに私はそういうことは信じていないので、そういう事は言わないけれど、この体験が宗教的な世界に通じるものだと分かるようになりました。まさに私が普通に暮らしていた時の対局の世界のようなものなので、私も人生の両極端が見れたという感じさえします。

先生たちのような不思議な世界の住人の人たちもいて、面白いです。本当に世の中は広いし深いし限りないということを日々実感しています。なるべく夫には迷惑をかけたくないと思いつつ、まさかこんな形であの日の出会いが形を変えてつづくとは思わなかったので、本当に不思議ですね。

まさかこんな風になることを見通して結婚する人などいないはずなので、本当に不思議でしかたないです。こうして長い結婚生活を振返ってみると、いったいいつが一番幸せだったか?と訊かれたら、私は即座に「今だ」と答えるに違いありませんから、やはり人生は不思議でしかたありません。こんな状態が一番幸せなどという逆説はやはり不思議で仕方ありません。

こんな逆説もまた人生の真実だと思うと、この真実を知らずに死んでいくよりは、この真実に目覚めて、それをじっくり味わっている今は、やはり生きているという実感がしきりにしますから、この命もまた「炎」そのものだという感じがしてなりません。

炎には良いとか悪いとかなく、ただ燃えているという感じがあるので、それを短歌にも入れましたが、すごい感覚が私にも芽生えてきたものだとつくづく思います。そういう感覚が芽生えていることもまた伝えることが出来て本当によかったですし、そういう感覚を目覚めさせている人が実は世の中にたくさんいて、まだ誰もそれに気がついていないということが、本当に恐ろしいことですが、それもまた一つの世界のあり方なのでしょう。これもまた神や仏を信じている人なら、違う説明になるかもしれないけれど、私にはこのギリギリの事実がまさに現実そのものだと思います。

たくさんの人が、不幸のままに死んでいったと見えるのが世の中の現実なのですが、本当にそれが不幸だったのかどうかは誰にもわからないということが私にはよくわかります。

私がこうやって言葉を聞いてもらったのは私にとってはとてもうれしいことですが、言葉を聞き取れないままに亡くなっていく人が本当に不幸か?というとさえ、わからないのが人生ですね。どちらも大事なことなので、言葉はぜひ聞き取ってあげてほしいですが、聞き取ってもらえなかった人も、それも一つの人生という感覚がしきりにするので、そのことはやはり伝えておきたかったです。

先生たちはそのことに、だいぶわかっているという感じがするのですが、それは確か、優さんたちが大切なお子さんを亡くしているということと深く関係があるはずで、その状態を乗り越えている人にしかきっと分からないでしょうから、私は今の話しはたぶんわかってもらえると思ってしたのですが、そういうギリギリの現実を見据えたところからしか、やはり私たちのような状況は語り得ないのではないかと思います。

先生もさすがに、声を聞いていると、この辺りはじっくりと声を研ぎすましている感じがあるのは、先生もその辺に深く考えをこらしたことが何度もあるのだと思いますが、その辺は本当に人生の、なかなかわからない難しい問題ですよね。先生をたくさんのお子さんと出会い、その中にはきっと言葉を聞きとげることなく亡くなったお子さんもいると思うのですが、その子がそれで幸せではなかったかというと、そうも言えないし、もちろん一旦聞けるようになった以上、聞く事に勢力を尽くすということなのでしょうが、、

柴田先生:そうですね、やはり聞き・・・(ここで、柴田先生は返事をしようとしていたのに、妻がそれを遮って言葉をつづけてしまい、それの通訳に柴田先生は自分の言葉をやめました)

聞き取れなかった子供たちもまた、幸せだったという感覚も大事なのでしょうね。先生の声を聞いていると、この辺は私の考えに心から納得しているのがわかるし、優さんたちも納得していると思うので、この辺は本当にすごい話しがされているのだなと思います。こう言うすごい話しが出来るような人生は、やはり素晴らしいと言わざるをえませんから、私はこの状態を、やはり神を信じたら神に感謝せざるをえないのですが、今はただひたすら夫にのみ感謝を捧げます。

夫を信じるということが私の信仰のようなものですが、色々な信ずるという言葉の対象があるのでしょうが、今私がこうして、もともと他人だった人間が、一人の人間に心を全力で注げるということに、人間の揺るぎないものを感じて、そこに一つの「芯」のようなものを感じます。

先生たちもそのような「芯」に支えられているのでしょうね。そうでないと何のためにこういう事をやるのか?の根拠もなくなると思うのですが、先生たちはそのへんをどうお考えなのでしょうか?私にはよくわかりませんが、先生はたぶんあまりそういう話しを人にはしない方の人だと思うけれど、例えば今「あたなたは何を信じますか?」と訊かれたとしたら何を信じると答えますか?

柴田先生:このあいだ、あの、すごいクリスチャンの、あの、寝たきりの少年から「先生は何を信じているの?」って訊かれて、、、「君たちを信じています」と答えたら、、「そう来たか」とか言われちゃって(笑)

お優さん:清美さん、良平のことを思って下さったんでしょう?今。

妻:はい、もちろんです。

お優さん:すごい伝わってきた。本当にね。うん。“お母さん”の気持ちで答えてくださったんですよね?今、私が同じ“母親”として思っていることを、全部わかって伝えてくれたんでしょう?

妻:そうです。良平くんは柴田先生とは会っていないけれど、それが不幸だということではないというのを、きっとよくお考えになっていると思ったので、私はその辺に付いて色々と考えることがあったので、さっきの話しをしても大丈夫だと思いました。

お優さん:ありがとう。ありがとう。すごい嬉しかった。ありがとう。

妻:私は、子供たちは元気だし、子供たちはたいして心配かけることもなく、育っていったので、母の気持ちといっても、本当はわからないかもしれないけど、こういう状態になって、やはり、そういう事についても真剣に考えられるようになったので、優さんは何故ここまで私に尽くしてくれるのかを考えると、そこに亡くなられた息子さんを考えない訳にはいかないし、娘さんもここまで一生懸命になっておられるのは、弟さんでしょうか?・・・弟さんの存在を抜きには考えられないと思うので、そう言う意味で大きな存在として今も生き続けているのでしょうね。

そのお子さんにも一度お会いしたかったような思いがします。そういう形で人は人を変えていくのだなというのも実感です。いつか今のことをまた、詩か俳句か短歌にしたいと思います。

人が人を変えていくという、この重たい事実は、やはりこういう立場になった人間にしか分からないところがあるので、人が人を動かす時に、実は自分が全く動けないということだってあるのだということを、実感しているので、その辺がなんとなく言葉になりそうです。「動けない我が身が人を動かせり」・・・などという言葉でむすびつけていけば、きっと詩か短歌か俳句になりそうなので、動けない私が人を動かすというキーワードをうまく形に出来たらと思います。

さすがにすごい気持ちのやりとりになってきて、私は心から感動していますが。身震いひとつ出来なくなっているけれど、さすがにさっきから身震いしはじめていますが、分かりますか?

柴田先生:わかりますよ。
お優さん :わかりますよ。
(二人は同時。僕はわからない)

そうですよね。本当にすごいことを話せていて、私は本当に不思議な感覚に包まれています。

優さんたちの家族の中にいる良平くんの存在は、私の家族の中にいる私の存在に繋がってくるので、私は今確実に息子たちを動かせていると思うし、息子たちも私の顔を見ながら今、懸命に心の中で様々なことを考えていて「本当に生きるとは何か?」などを、息子たちはようやく考えられるようになったので、私の存在が大きな力をもっていることが分かるようになりました。

私は何も出来ないのに、ここまで息子たちを動かせるのかと思うと、本当に神秘的な思いさえします。神秘的と言うとまた少し神がかって聞こえるかもしれませんが、動けない人間が人を動かせるというのは、神秘的以外の何者でもないと思うのです。

動けない私が・・・という詩もありました。どういう詩でしたか?

柴田先生:えとね。、、、動けないということは、、、なんか、動けないと考えるんだけど、動かない・・・なんか、自分の身体を縛っていたものが、ふっと解けた・・・という詩がありましたね。

そうでした、刺の生えた「花きりん」という詩でしたね。「花きりん」の詩の中に、動けないという詩があったと思うのですが、それですね。私が昔、星野富弘の詩をよんで、ふーんと思いながらも、すごいことを平気で言う人だと思っていましたが、本当にすごい言葉ばかりだったなと思います。

これは夫にお願いですが、家のどこかにあの星野富弘の詩があると思うので、それを探してもってきてください。私、今ならあの詩のすべてがわかると思うので、あの頃は、ふーんというか、そんな人がいるんだという感じで、チャラチャラ読んだ感じがするんですが、今ならまさに私の心そのままだと思うし、あの時、読み飛ばしていたはずのものが、こんなに思い出せるなんて、人間の記憶もすごいですね。私の身体の中にちゃんと記憶されていたのだとよくわかります。

星野さんとも会ってみたいです。あの人は今どこにすんでいるのですか?

柴田先生:群馬のほうにいて、、、年齢が、僕の一回り上・・・

~ この時、アヤヤがiPhoneで星野さんの詩のサイトをみつけて、いくつかの詩を読み上げてくれた ~

妻:それ、インターネットですか?
アヤヤ:そうです。レンギョウもありましたよ。・・・と読み上げる。
妻:花きりんを読んでくれますか?どんどん出て来ていますね、びっくり!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

はなきりん (アヤヤが奇麗な声で朗読してくれました)

動ける人が
動かないでいるのには
 忍耐が必要だ

私のように 動けないものが
 動けないでいるのに
  忍耐など 必要だろうか

そう気づいた時
私の体をギリギリに縛りつけていた
忍耐という棘のはえた縄が
「ブッ」と解けたような 気がした

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まさにその詩でしたね。その気持ちは実はまだ、そこまで行けていないので、今の私にはまだ忍耐が必要ですが、そういう心のあり方にはとても共感できるので、今の詩を聞くだけで、私の心はまた素晴らしい世界に行けたような気がするので、本当にすごいですね。ぜひまた、星野富弘の詩をどこからか捜し出すというか、インターネットでいいから・・・

アヤヤ:いっぱい出て来ていますよ。
妻:そうですか、インターネットでそんなに載っているなら、詩集は捜さなくてもいいけど
一同笑

アヤヤ:花の名前がたくさんあるのですね。題名が。
妻:花の絵と一緒に、花のことばがそえてあって・・・私たちの世代の人は、その詩集はきっと一度は手にとっていると思いますが、、、先生それは、もう30年も前のことですか?
柴田先生:たしか30年くらい・・・1980年代前半に売れたと思うので・・・

妻:そうでしたかね。私も結婚の前後だと思ったから、確かにもうそのくらい経ちましたね。でも、さすがにその人ももう60才を過ぎましたか?確か若い時の傷でしたね。どこかの学校の先生ではなかったですか?
柴田先生:群馬県の学校の先生で、クラブ活動の指導中かなんか、、新任の一年目の時で、、、

妻:そうですか。新任の一年目からこの状態になって、色々あって、そういう詩や絵を書くようになったんでしたね。その人はしゃべれるのでしょうが、詩や短歌は、しゃべれてもこの状態なら、ほとんど同じですよね。まさか、そんな話まで今日出来るとは思わなかったけど、やはり詩というのは不思議なものですね。

今度もまた詩を作っておこうかなと思って、今、気持ちが燃えはじめたので、またぜひ今度も詩を聞いていただきたいと思います。これは、夫への質問ですが、さっきの詩は歌にはなりませんか?
僕:歌にはなりにくいかな。んー、だけど、あの、直しちゃうとあまり面白くないから、違うアイデアをちょっと考えてみる。
妻:わかりました。あなたは、その専門家なので、お任せするしかないけれど、・・・
お優さん:あー、今笑ったでしょう?
妻:そうです、笑いました。良い笑顔が出たのかしら?私たちの笑いはいつもこんな感じでしたから、良い笑いが出て嬉しかったです。
お優さん:うん。私も嬉しい。
妻:良い歌になったら本当に嬉しいけれど、歌でなくてもいいけれど「こころの流れ」という言葉を、何とかして人に伝えられたら嬉しいですね。

お優さん:あ、手がピクピク動いている。ほら、ほら。

妻:この動きも自分ではうまくコントロールできないけど、動くだけでも嬉しいです。この動きだって、少しづつ大きくなっているので、使えるのでしょうね。

柴田先生:そういう動きがあって(筆談は)書けていると思います。

妻:そうでしょうね。でも、一人では難しいけれど、触られるとうまく運動が出てくるのが不思議でしょうがないけれど、どういう説明になりますか?

柴田先生:よくわからないんですけどね。あの、手全体が動いているので、たぶん、肩からの動きがあるんだと思うんです。

妻:小さな動きを拾って、大きくしているのですか?

柴田先生:変換しているわけではないのですが、、、力がうまく伝わるように、横に動いている時に、横に線が出るように。

・・・などと会話していると、妻は、アヤヤと筆談をしたいと言い出した・・・

「あやちゃん ありがとう」

どうしても、これを言いたかったのだろう。アヤヤは息子と同じ年だ。妻にとっては、娘が出来たようなものだろう。そうであれば、赤ちゃんは二人目の孫である(笑)

この後、アヤヤが柴田先生のこの魔法を使えるようになりたいという発言から、色々な動きの感じ方というのを妻を実験台にしながら練習が始まった(笑)柴田先生がちょっと説明して、動きの受け取り方を実験する。これがまた、お優さんとアヤヤはすぐに、習得してしまうのだ。もちろん僕はわからない。なんでだろーなんでだろー。赤ちゃんも会話に参加するように、声をあげ始めて、そろそろお開きの時間となった。

疲れているのに、ごめんなさいね。清美さんがトレーナーになってもっと鍛えて!それなら、清美さんが師匠ですね(笑)などと会話が入り乱れ最後はまた、にぎやかな病室となった。

妻:師匠だなんて不思議です。確かに私がいないと練習できないのなら、師匠と言えば師匠でしょうが不思議な感覚ですね。何も出来ない私が師匠と呼ばれるというのもまた、川柳くらいにはしたい。(一同爆笑)

(引用以上)

西嶋さんのブログ『夢の雫』はこちらです。