父が毎日一生懸命働いても、家族が多かったので、経済状態は大変でした。

 

小学生の頃、友達はみんな、塾やお稽古ごとをやっていますが、私は習い事をさせて貰えませんでした。唯一、地域のソフトボールチームに入れて貰えましたが、「ユニホーム問題」があり、当時4000円は我が家にとって大金なので、かなり大騒ぎになりました。結果的にお金を出して貰えたので良かったのですが、「お金がかかることは出来ない」と子供ながら思いました。

 

今趣味でピアノを弾いていますが、私の子供の頃(小学校2年生位)はピアノブームで、友達の何人かが習っていて、家にはアップライトピアノが置いてありました。私はそのピカピカに光っている美しいピアノが欲しくてたまりませんでした。友達の家に行っては触らせてもらっていましたが、満足することはありません。意を決して母にお願いしました。「どうしてもピアノが習いたい」と。欲しいではなく習いたいと言ってみましたが、答えは「NO」でした。聞くまでもなく分かっていたことでした。でもそのときの気持ちを何十年も寝かし、大人になって初めて自分のピアノを手に入れたときには「もうこれ以上欲しいものはない」と思うほど嬉しかったです。夢が叶った瞬間は最高でした。

同時にこんなに高価なものを持ったことがないので、私にはもったいないし、相応しくないのではないかとも思ってしまいました。長いこと欲しいものを我慢してきたので、不安になってしまうんですよね。

 

また、私には2人の姉がいますので、洋服など殆どがお下がりでした。

姉達はとてもキレイに洋服を使うのでお下がりでも十分でした。

友達は年相応の服装でしたが、私は少し大人っぽい服装になるので、結構気に入っていました。

但し、活発な私とは違い、姉達は家で遊ぶことが多いので、女の子らしくスカートが多かったです。

私はその貰ったスカートで泥遊び、ドッチボール、鬼ごっこと走り回っていました。

正直ズボンが欲しかったですけどね。

中学のときの制服は少し参りました。姉より体が大きかったので、スカートが短くてかなり恥ずかしかったのを覚えています。その後はバレー部の卒業した「あこがれの先輩」の制服を貰えたので、かえってよかったんですが。(笑)

 

また、我が家は家族揃って外食をすることがありませんでした。

友達が、家族で外食をしたときの話を聞く度に、いつも「いいなー」と思っていました。

 

でも、我が家には料理が得意な父がいるので、材料を市場で安く仕入れて、美味しいものを沢山作ってくれました。毎週日曜日の朝に「お前、何が食べたい?」と真っ先に聞いてくれて凄く嬉しかったです。

父はどんなに貧しくても、子供達にひもじい思いだけは絶対にさせないという思いがあって、美味しいものをお腹いっぱい食べさせてくれました。

特にカンパチの一本ものを仕入れてさばいて刺身を作ってくれるんですが、最高に美味しく、今までの人生の中でも、あの味以上のものはありません。

父の子供の頃の夢は板前さんだったそうで、魚をさばかせたらプロ級です。他にも今ではなかなか食べられませんがアワビ、サザエなども食べさせてくれました。いくらの醤油漬けは手作りでお正月は一般家庭より豪華だと思います。生きたうなぎを目の前でさばくのを見たときはかなりショックで、大人になるまでうなぎだけはダメでした(笑)

食べることに苦労した父ならではの、家族に対する精一杯の愛情表現だったと思います。

 

また、我が家は大工職人の父が何でも作ります。子供の勉強机、引き出し、本棚など木で作れるものはなんでも作ります。

襖・襖の張り替えも、畳の張り替えも全部父一人でやります。私はそれを見て本当に凄いと尊敬していました。

一つ一つ丁寧にコツコツ作っていくのを見るのが好きでした。

普通は何かが足りなければ買うという発想になりますが、極力作るのが父の考えです。電気製品も貰いものを修理して使うし、なんでも出来る人でした。さすが戦後生き抜いた人だなと思います。

子供の頃に「大草原の小さな家」をよくテレビで観ていましたが、あんな感じです。でも父親はあんな優しい人ではありませんが...。(笑)どちらかと言うと、「巨人の星」のお父さんのような感じです。

 

母はそんな父の考えとは違っていて、外食やインスタント食品、新しいものを好みました。

父に相談すると反対されるので、こっそりやっていました。

毎年年越しは天ぷらを揚げて、天ぷらそばを作って食べるんですが、たまに年末父が留守にしていると

母が「年越しそばは、カップ麺の「どん兵衛」にしよう」と言って5個買って来て食べさせてくれました。普段食べている人はそれが特別なことと思わないんでしょうけど、私はとても嬉しかった。普段は絶対に食べられないものだったからです。

また、父が兄と姉(次女)を連れて遊びに行くときは、母と姉(長女)と私の3人でデパートのレストランで好きなものを頼んで食べました。母はデパートを何時間も見て回り、こっそり好きな洋服を買っていたみたいでした。母にも息抜きは必要ですよね。

 

お金が無くて我慢ばかりでしたが、工夫がいっぱいの生活で、私の大切な財産になりました。

どんなことでも、ものすごく嬉しいと感じるし、お金の大切さを思い知らされているので、本当に必要なものを買うような習慣が出来ました。

食事に関しては、手作りに勝るものは無いと思います。(私はあまり料理が得意ではありませんが)

「若い時の苦労は買ってでもしろ」のことわざはその通りだと思いました。

 

次回も色々な体験を書きたいと思いますので読んで貰えると嬉しいです。

 

私の大好きなベートーヴェン「悲愴」第二楽章を弾いてみました。

難聴を抱えたベートーヴェンが「この運命に打ち勝つ」という気持ちで作曲したようです。私の中にもそのような気持ちがあり挑戦しましたが、なかなか難しくて表現出来ません。下手な演奏ですがどうぞ聴いて下さい。