前回の続きを書きます。

 

両親はいつも喧嘩をしていました。

父が毎日頑張って肉体労働をして稼いできても、6人家族の経済状態は厳しかったです。母もお金の心配、子供4人の世話と

心の余裕がありませんでした。

 

特に、父親は職人さんなので口より手の方が早く、「親の手伝いをしろ」、「なんでそんなことも出来ないんだ」、「連帯責任」などと言われてよく殴られていました。

両親が喧嘩すると、矛先が子供に向くので、いつもドキドキしていました。

 

特に酷かったのは兄に対してでした。

期待と愛情の裏返しで、父親の思うようにならないと怒鳴られたり殴られたりしていました。それを見て私は女の子で良かったと心底思いました。兄は「勉強しろ❗」といつも言われていました。好きで始めた部活動も途中で辞めさせられたり、かなり束縛を受けていました。兄にとって、親の期待がどんなに重荷になっていたか、見てて可哀想に思っていました

二人の姉達は父親を上手く扱っていて、家庭の雰囲気を良くしていました。まずい雰囲気になると話題を変えたり、父の肩を揉んで、「お父さん凄いね」などと言って父のご機嫌を取っていました。

 

私はよく、きょうだいの様子を観察して「これは使えるぞ」とか「こういう時はこうするんだ」など姉達をお手本にしていました。

空気を読むことや、相手を怒らせない方法、怒らせてしまったあとの対処方法など、予測して行動することもこのときに身につけました。この経験はその後の人生に大いに役立ちます。

 

親から言われたことだけを適当にやって、お金がかからなければ、あまり干渉されるこがないので、自由に好きなことができました。

 

中学時代、部活動の中で一番厳しいと言われていたバレー部に入りました。体育館いっぱいに広がる顧問の怒鳴り声、毎日殴る蹴るは当たり前で、鼻血を出しながら練習や試合にでました。練習内容も百や千、時には万回単位で、体力の限界までやっていました。吐いたり、倒れたりする人も出るくらいハードでした。

一緒に入部した100人の同級生は卒業するときには8人でした。その当時の東京は全国上位8位までをしめるほどの強さだったので、初心者の寄せ集めで作った公立中ではそれくらいの練習を積まないと上に行けません。(残念ながら全国大会には行けませんでしたが......。)

激しい練習について行けたのは、「練習したら必ず出来るようになる」ことが楽しかった。このときに、「イメージする→真似してみる→自分に足りないものは何かを分析する→試してみる」を身に付けました。

 

また、初めて期待されたり、頼られたり、誉められたり、自分にスポットライトが当たりました。

 

鬼のように怖い顧問は、足音だけで緊張するほど、今までの人生の中でも一番怖い人です。

部では神様てきな存在でした。

顧問は、「忍耐、努力、根性、素直さがお前にはある」と言ってくれました。自分自身を初めて認められた気がしました。

私はこの4つを自分の長所と思って大切に磨いています。

技術的に劣っていても、「気持ちだけは絶対に誰にも負けないぞ」と今も思っています。

この3年間で、「キラキラした華やかな世界には、人が想像出来ないような苦労がある」と学びました。また期待されたり、拍手、喝采、応援される喜び、それに応えられない悔しさも味わいました。

コンプレックスであった「体が大きい」は他の人の方がもっと大きかったので、すっかり無くなりました。むしろ、もっと身長があったら実業団に入れたのにと思っていたくらいです。

「自分は醜い」と思っていましたが、頑張る人の姿を見てきたので、人の美しさは容姿ではないことにも気が付きました。

この経験は生涯私の宝物です。

 

こんな素晴らしい体験ができたのも厳しい家庭環境があったからこそだと思います。

よく父が「世の中、そう甘くはないぞ!」「世間は厳しい!甘ったれるな!」と言っていましたがその通りでした。

崖っぷちで踏ん張れるかは、自分次第。

父の育て方は体育会系なので、世の中を渡るには必要なスキルだったと思います。

 

この続きは次回書きますので、読んで頂けると嬉しいです。

このときの心境を趣味のピアノで弾いてみました。

下手な演奏ですが聴いて下さい。