前回の続きを書きます。

 

かなり落ち込んでいて、過去の辛い経験が蘇ってきました。

私はバツイチで、元夫には散々傷つけられました。

借金、浮気、パチンコ依存症、DV。

かなり苦労しました。

 

元夫とは高2(17才)のときにアルバイト先で知り合い、初めて付き合った人でした。

8年付き合って4年の結婚生活で合計12年間一緒にいました。

彼の生い立ちは、ギャンブル依存症で多額の借金を作って浮気相手と逃げてしまった父親と何でも耐える母親に育てられました。いつもお金がなく今日食べるお米もないため、近所の人に嫌味を言われながら分けて貰う生活をしていたそうです。

借金を残して逃げたはずの父親が、たまに帰って来ては、母親の働いたお金を盗んだり、抵抗すると殴る蹴るの暴力を振るっていたそうです。母親の顔面を蹴って鼻を骨折させたこともあったそうです。

それでも母親は離婚せず、毎日夫の帰りを待つような人でした。

毎日のように借金の取り立ても来て、かなり怖い思いもしたそうです。

経済的に厳しい状況だったため、進学をあきらめて中卒で働き始めたと言っていました。

 

私の育った環境もかなり複雑で、いつも寂しかったので、こんな辛い経験をした人なら、分かり合えると思いました。

壮絶な人生を送っただけあって、人が欲しいと思う言葉や行動をごく自然に出来る人でした。きっとこの人は自分がして欲しかったことを私にしていたんだと思います。

私の育った環境を話すと、一緒に悲しんだり、怒ったりしてくれました。お正月や何かあれば、一緒に実家に帰ってくれます。

ある日、父親に「出ていけ‼️」と言われ1日だけ泊めて欲しいと言ったときに、元夫は「どうせなら一緒に住もう」と言ってくれたり、妊娠してしまったときも、「俺、お父さんになるんだね。結婚しよう」と何の躊躇もなく言って喜んでくれました。

 

私の言って欲しい言葉を絶妙なタイミングで言ってくれるので、愛されていると勘違いしていました。

 

何度も浮気をされ、私のクレジットカードを何枚も限度額一杯までキャッシングされたり、私が文句を言うと暴力を振るい、首を締められて窒息しそうになったこともありました。

普通の人ならきっと諦めて離婚するのでしょうが、私はそれでもこの人を愛していました。愛に餓えていたときに知り合った人なので、毒のような歪んだ愛でもそれを信じたかった。

どんなに浮気をしようとも、「最後に帰ってくるのは私の所」と信じていました。

今思うと酷い依存症だったんですね。

 

この続きは次回書きますので、読んで頂けると嬉しいです。
このときの心境を趣味のピアノで弾いてみました。
下手な演奏ですが聴いて下さい。