厚田村☆猫家便り -157ページ目

厚田村☆猫家便り

北の日本海に面した小さな漁村に移住してからの日々

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

三日続きの温かで穏やかな秋晴れの最後の日。
二日続けて、夕暮れ時のぶらぶら散歩を休み車で出かけたので、猫達は大喜びで着いてきます。
優しいばら色に染まって、いつもの漁港が懐かしくさえ見えます。
遠目には気づきませんが、カメラを通して見ると、太陽に異変が・・
アップにしてみると、薄い線状の雲に夕日が串刺しに。
急に、ムッショウに!焼き鳥屋の煤けたカウンターが恋しくなりました。
厚田村は、焼き鳥屋はおろか、呑み屋も、夜間通常営業している飲食店は一軒もない、すばらしく健康的なところであります(;;)。。。

写真:9月29日 17:15~17:33

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

茶とらの子猫は、以前の記事「トメさんの悲しきハーレム」でトメさんに挨拶していた二匹の子猫です。この時まだ三匹いて、とっても元気で、5月26日生まれの子猫が2ヶ月の頃でした。
昨年春生まれのクーの一族で、とうとう避妊できなかった最後の二匹の内の一匹が、この子猫たちの母猫です。先に掲載した「里親探し」のサンとは、いとこ同士。
さらに父親も、昨年春生まれの最初に住み着いた茶トラ兄弟です。
母猫同士も姉妹、父猫同士も兄弟、そして、猫家から二番目に里子に出たクーの、甥っ子。
ここまで血筋がはっきりしているのですから、巷で有難がられている、血統書なるものを作ってやろうかな・・「由緒ただしき野良血統書」。
それはさておき、今回は長くなりますが、保護の顛末を書いてみたいと思います。

この子猫達が、母猫に連れられ餌場に現れ始めたのは離乳間もない、七月の初め頃でした。
全く人を寄せ付けず、少し近づくようになっても2mが限度。当初は皆元気良く、綺麗で目やにもなく順調に育っていて安心していました。
八月中旬、母猫が鼻風邪を引いたと思ったら、子猫達に次々と感染し始めました。
母猫は体力もあり、病院に連れて行けなくても、食欲のある内に好物のツナ缶に薬を仕込み飲ませていたので、直ぐに回復してきましたが、問題は子猫たちです。
食べる量も限られていて、ドライフードを好んで食べていたので捕まえないと治療は無理です。順番に段々ひどくなっていくのに手をこまねいてるしかありません。
しかし、子猫達は弱ってくると、親と一緒に寝ぐらには帰ろうとせず、家の近くに、それも人の近くに留まっています。まるで助けてくれと言うように。
それでも、本当に動けなくなるまで触らせようとはしないのです。
最初に動けなくなった一匹は、保護した日の翌朝死にました。
前日ほとんど動かなくなってうずくまっていたのを、そっと捕まえようとすると、渾身の力を出して抵抗し、指に噛み付き逃げました。それでも遠くには行きません。
翌日夕方にはもっと弱って、今度は玄関前まで来てうずくまっています。今度こそは大丈夫とタオルにくるんで膝に抱き上げると、もう抵抗する気も気力もないのか、おとなしく抱かれてました。
塞がった鼻腔を綺麗にし点鼻薬を流し込み、注射器で栄養剤入りミルクを飲ませ、カイロ入り寝床に入れると、少し楽になったのか、丸くなって寝ていました。
この地は、動物無医村地帯です。一番近いかかりつけの動物病院まで、田舎道を飛ばしても40分。そしてちょうどその日は休診日。
翌日一番で連れて行くより仕方ないと、三時間おきに栄養と水分補給と点鼻薬。
夜中二時頃最後に与えた後に、子猫自ら、さらに水を飲みました。その後自分で寝床に戻り、すやすやと寝ていたので、少し安心してこちらも休みました。
しかし、翌朝六時には寝床で冷たくなっていたのです。
せっかく、4ヶ月近くまで過酷な状況を乗り越えて育だったのに・・埋葬してつらい一日を送りました。
翌週には次の一匹が又玄関前でうずくまり、この子は何の抵抗もしないばかりか、昨日まで近づくとフーハー言っていたのが嘘のように、ごろごろ喉を鳴らします。
同じように介護を続け、翌日は又病院が休診日でしたが、注射器からの栄養補給以外にも、缶詰も少し食べられるようになり、翌翌日、病院に連れて行った時には、もっと良くなっていました。
最後の一匹は、その二日後、又玄関前でうずくまり、捕まえようとすると、死んだ子猫と同じように抵抗し、手や腕に深い爪あとを残し逃げました。
「ああ又助けられず、手遅れになるのか」と痛さどころではなく、暗い気持ちになりました。
それでもやはり翌日には外玄関内の避難寝床に自分から初めて入ってきたのです。
兄弟が先に入っているゲージにタオルで包んで入れる時も、逃げようとはしなかったものの、うなり声を上げます。ゲージに入れてからも三日間はずーと、フーハーとうなりながらも、タオルでくるまれ、顔だけ出して、投薬や栄養補給、点鼻薬はおとなしくさせました。
子猫のサンが里子に出る頃には、2匹ともかなり良くなり、食欲も出てきて、最後の一匹も、手のひらを返したようにすりすりし、ごろごろ喉を鳴らすようになっていました。
サンが居なくなって感染の心配がなくなった翌日から、ゲージを開放して大人のメス猫三匹と共に暮らしています。
驚くほどの家猫としての適応力と、お行儀の良さ、人への信頼感も生まれ、子猫らしく遊びにも夢中になります。母猫を恋しがる様子も見せません。膝にも、胸にも抱かれ、お腹を見せて甘えます。
最後の子を保護してからやっと二週間。その変貌振りは、クーの性格と経緯を思い出させます。
そして、自分が傷つけたのを知ってか知らずか・・爪傷が未だ残る私の手をペロペロとなめたりする、かわゆい子猫達であります。
またそして、再びの里親探しも始めています。

 写真2,3枚目:二番目に、おとなしく保護された子猫。少し薄い茶トラで、尻尾がお団子状になってい       て愛嬌がある。
 写真3,4枚目:最後に保護した、赤茶トラで、尻尾が短くまっすぐ。一番甘えっ子になった。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

今まで、ここに掲載した写真は、すべて、猫家から出て直ぐの漁港から写したもの。
特に「定点的カメラ」とタイトルに銘打たなくても、せいぜい300メートルの範囲を移動してのことで、似たような景色ばかり・・
何せ、「夕日を眺めながらビールを飲む」ことが「夕日を撮る」ことより趣味度が高いのだから・・
飲むと車は動かせない、車で行くと飲めない・・
いたしかたないことであります。
でも今、日暮れが早くなり、日が沈むまでもあっという間。
ゆっくり飲みながら眺めながらの撮影は不可能になってきました。
そこで、一念発起、久しぶりに夕日の丘展望台まで車を走らせました。(と言っても、車庫の開け閉め、出し入れを含めて五分の距離ですが・・)
断層になった雲間から陽が出入りする度に,色合いが変わる光の道が海を走りました。

写真:9月27日 17:13~17:30 (写真上は工事中の人工海水浴場と作業船)