10月29日
次男くん、ついに3歳になりました。

誕生日当日。
登園するとみんなからのお歌のプレゼント。そして訪問リハに来てくれた担当PTさんから大きなプレゼント🎁
それはなんと、手作りの通園当時からの写真入おもちゃだった。

写真を見ると、この1年が走馬灯のように思い出されて涙が溢れた。

愛されてる。
次男くんにも居場所があったんだ。。


思えば、障がいを疑ってからの2年半。
最初は谷底に落とされたような気持ちで、毎日毎日ネットサーフィン。

ごはんを食べてくれなくて、泣きながら食介したっけ。

もういっそ2人でいなくなってしまおうかと、何度もほんとに何度も思った。

こんな風にしか産んであげられなくて、ゴメンねって毎晩寝顔を見ながら思った。

保育園からの嫌がらせは人生最悪の出来事だった。
次男くんの存在を全て否定された。
この子は生まれてきたらいけない子だと思わざるを得ない心境だった。

あの頃の私の心は間違いなく死んでいた。

あれから、1年。
新たな施設に通い始め、たくさんの愛情をもらい、彼は大きく成長した。


あ〜この子は生きていてよかったんだ、生まれてきてよかったんだ、
心の底からそう思えるようになった。

大変なことももちろんある。
でも、私にとっては健常児の長男も次男も同じ大事なこどもたち。
一緒に乗り越えれば、またその先に幸せは見つかるよね。

3歳おめでとう㊗️
だいすきだよ。

28カ月前、予定日1週間遅れで生まれた次男坊。

お腹の中にいるタイミングで何らかの変異があり、遺伝子異常を持って生きることとなった。


"障がい"という文字が頭をよぎるようになったのは生後6カ月頃から。正常発達の長男と比べ、「なにかおかしい」母の勘をそのときは誰も信じてくれなかった。

毎晩"障がい"についてネット検索。あーでもないこーでもない、と考えては落ち込んだ。


ちょうど1年半ほど前、

「障がい児は長時間預かれません」その一言から始まった保育園からの嫌がらせ。人権侵害以外なにものでもなかった。

ここから保育園と戦った数ヶ月が私の人生で1番辛かった時だった。


そんな中で、ハンデキャップを持つ次男と共に明るい未来を想像することなんてできなくて、4人家族で思い描いていた楽しい未来を全て封印した。


あれから月日がたち、障がい者手帳も手に入れ、児童発達支援に通うようになり、次男は正真正銘の"障がい児"となった。


でも、今我が家には笑顔がある。


運動神経がいいとか、頭がいいとか、仕事ができるとか、そんな競争社会の土俵に乗れない次男。


食事に難があるため外食はほぼ無理、旅行も簡単には出来ないし、言葉はほぼ通じない。

とにかく何をするにも完全介護で時間がかかる。

もちろんイライラする。

大変か?と聞かれたら、yes.


でも、たくさんの葛藤を乗り越えてきた今、私はただ個性の強い子を育てているだけなんだ、そう思えるようになった。

健常の長男の育児と変わりない。

健常児の育児だって決して楽じゃないわけで。


この子はなぜ私の元にきたんだろう?

この子さえいなければみんな幸せだったかな?

何度も思った。


確かに、大変なことは多いけれど、こんなにも周りに支えられ、私たち家族は幸せに暮らしている。


諦めず常にポジティブなパパ

いつも支えてくれている実母

臨機応変に勤務形態をつくってくれた会社

そして、次男の発達をサポートしてくれる児童発達支援の方々


寝返りしかできなかった頃、もう一生寝たきりでいい!と諦めていた。

それが今ではヨチヨチ歩いている!

言葉はないけど自己主張できてる!

28ヶ月にしては、できないことだらけだけど、のんびりながらにも伸びてきている。


障がいをもつ人とその家族にとって、よりよい世の中にするために本当に必要なことは、世の中のマイノリティ"障がい"に対する偏見や考えかたの見直しなのだと思う。

いくら法律が変わっても、

みんなの自覚が変わらなければ何も意味はないわけで。


この先、乳児から幼児、青年となるにつれ、世間の次男に対する目は変わるだろう。

でも、彼は彼なりに幸せで私たち家族は、そのピュアな笑顔から幸せをもらっている。


障がい=マイナスではなく、

=プラスなこともいっぱいある。


当事者になって理解できたことが多いけれど、

"障がい児育児"とは、不自由さはあるけれど、ちょっぴり贅沢でギュギュッと濃厚な育児なだけ。


いつか、どんなマイノリティも後ろ指さされない世の中になりますように。。







よく、「貴方は選ばれたのよ 」なぁんて言われるけれどね、
私が選ばれたわけじゃないって思う。

次男がとっても強い男なんだ。
「障がい」というハンデキャップを自ら背負っていくと名乗り出たんだから。

世の中、どんなに医学が進歩しても
治せない病気や障がいはあるわけで、
悔しくも亡くなる人や、命は助かったけれど障がいと共に生きていかなければならない人や、生まれつき障がいを持っている人がいる。
マイノリティだけど、実はたくさんいる。

わが家に障がいのある子供が来たことで、私はいっぱい泣いた。
あなたを健常に産んであげられなかったのは、私のせいじゃないかと何度も思った。
代わってやりたいって思ってる。
先々を思うと不安が山ほどある。

でもね、
私は健常のお兄ちゃんも、障がいの次男も同じように大好きで、初めてできた自分の命よりも大切なもの。


たわいもないことに喜び、ほっこりする時間もあるし、
次男が繋げてくれた暖かい出会いもたくさんある。
当たり前であることの喜びだって学んだ。


今、望むのは
偏見のない世の中になること。
そして、私たち亡き後、次男がしっかり自活できる力をつけること。

そして、欲を言えば、言葉の話せないママって呼ばれたいな、、。

私は君たちの母になれて幸せだよ。

ラブユー❤️


仕事に家事に育児に、バッタバタしてすっかりすっかり更新しておらず、、


次男、2歳7カ月を過ぎ運動面で劇的な変化が。
よちよちながら10メートルほど独歩できるように👏
こんな日が来るなんて、1年前は想像もできなかった。

それと共に気になるのが知能面。
長男のときと比べると、まだ1歳にも達してないのでは、、❓
言ってることは、多少伝わるも発語0。
意思表示強め、これが災いして思い通りにならないと、強めの癇癪。

ツライ、、

色んなところに連れて行きたいのだけど、意図しないことが起こると、大泣き💦大騒ぎえーん
体も大きいし、声も大きくて、抱っこで暴れられたら、もう大変、、

なんとかならんもんかな。
そんなことを思っていたけれど

感情表現できること
これだって立派な成長の証アップアップアップ

意思疎通ができてるってこと。
その感情コントロールの仕方を
私が学べばいいんだな。



毎日忙しいながらにも
まるで宇宙人の次男を、よしよしと可愛がってる長男が愛おしくてたまらなくって、
ピュアで真純白な心を持つ次男に癒されて。

ないものねだりはしないで、くだらないことで笑うのが今の私の1番の幸せ
季節はすっかり冬から春になり、
保育園をクビになってから、早7ヶ月。

1年経ったいま思い出しても、♯障がい児だから預かれません、と言われたあの日は、私の人生で1番辛かったかもしれない。
自宅から徒歩5分もかからない至近距離にあるけれど、未だに保育園の前は通ることができない。またあの辛い日々が走馬灯のように蘇るから、、。

そのN保育園は今も満員御礼で経営をしている。もちろん、あの老婆はまだ居座っているらしい。。

退園を誘導する通告から5ヶ月間、他に行き場がなく、大切な子供たちをそこに通わせたこと。仕事を続けたいという思いだけで、ただただ必死に行き場を探していた毎日。

本当に心はズタズタだった。
仕事と育児は、そんな状況でも平常運行。

私よく倒れなかったなぁ〜…
母、強し‼️

でも、神様は見ていてくれたアップ

兄弟共に、素晴らしい施設に巡り会えた。

月に数回お迎えを頼んでいる、ファミリーサポートの方もとってもいい人で、
のんびり成長をしっかり見て一緒に喜んでくれる。
週1〜2回、1時間かけてお迎えを代わってくれる実母。


雨にも負けず風にも負けず毎日10キロかけての送迎ガーン
勤務時間は、例外的に1時間短縮が認められたけど仕事の内容はほぼ変わりなく、、トイレも惜しんで仕事ガーン

そんなことさえポジティブに考えられるようになれたのも、
いろんな人に支えられて、つり橋を渡りながら毎日必死にいられるのも、子供たちの笑顔のおかげ。


まずは、次男くんが自分で歩けるように。
そして、いつかママって呼んでくれる日を夢見て。

がんばるぞー