あらゆるものに内包された美しさをみつめるまなざし | 〜 自然界と人の心を繋ぐ 〜 NY Rye在住フィトセラピスト青山 愛のBlog

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   〜感じる感性を大切に〜 

自然界と人の心を繋ぐ
魂の響きを思いきり生きる生き方を✨


藍色の樹 代表
青山愛
https://indigotree-earth.space/


美しさというものを意識したのは
小学校の頃だった。

それは見た目の美しさだけでなく
あり方の中にある美しさ
何か背後にある美しさ
感情や思いも含めてあらゆるところにある、というとても当時言葉にはできなかった不思議な感覚。

その時にね、今でも覚えてる。
自分の中から出てくる「黒い思い」にも気づいたときのこと。

ノートに、必死で書いた時のこと。

「黒い思いは出してはいけない。
誰かを傷つけるから。
世界を汚くしちゃうから。
迷惑をかけるから。
だから、なかったことにして、おさえて、出してはいけない」

小学生だった私は
そんな風に自分の中の心の闇を扱っていた。
当時の私にできうる精一杯の行為だった。

それは、だれかによく思われたいとか、良い子であるとか、
なにかそんなことを遥かに超えた
自分自身の中での問題だった。

そんな扱い方がベースにあったまま大きくなって行き
途中なんど爆発したことか。

大学生になったころには
心の本をいっぱい読んで

でも、どこにもその内にたまりゆくもやもやうごめくものをどう扱えばよいかは見つけられなかった。

そんなある日。

星の王子さまという本を読んで
心の動きと一致する文章を書き出してくること。
という
単位のため唯一スケジュールがあったからという理由でとった心理学の授業の
最初の宿題で。

もやもやしてなんだかわからないものと
目の前にある言葉が一致したのを感じた時に
何かが解き放たれるようにクリアになる感覚を感じたの。

その時にはじめてわかった。

心の中のことは
自分が聴いて自分で見つけてあげないといけないことなんだって。

涙がとまらなくて
その日から私は
本屋さんにいっては
心惹かれる本を手にとり心の中に感じることと言葉を一致させてゆくということを
授業をサボってでも
学校の近くのカフェでし続けた。

それでもなお
自分の中から湧き出てくる「黒い思い」をどうしてあげればいいかはわからなかった。

世界を汚くしてしまうことへの恐れ。

見た目通りにしかまだ物事を捉えることを知らなかったから
自分の中から出てくるものも
黒いものは黒い
白いものは白い
美しいものは美しい
汚いものは汚い。

そんな捉え方でいたうえに
より一層自分の中にどんなものがあるのかを感じる力が強くなっていた故
同時に抑圧する力も強めていった。

やがて結婚して一年とたたないうちに
ニューヨークへ引っ越した時から
私の転換期が始まる。
今から14年ほど前。

ニューヨークは
ただでさえ思いきり自分を輝かせて生きる!
ということが
当たり前のようにエネルギーとして満ち満ちている。
自分らしくあるということが
一生懸命に探すというよりは
すでにもうある大前提の街。

歌いたければバスの中でも電車でも歌うし

子供達の泣き声は
ハッピーノイズなんだから謝っちゃだめと大きな愛で見守ってくれる

そんな空気の中で
きっと徐々に私の殻にヒビが入っていった。

それでも一生懸命に
黒い思いは出してはいけない、を死守し続けて
それがいつのまにか
よいお母さんでいなくては
よい妻でいなくては
という考えに、歪み現れ始めていた。

そんなとき。
きっとそれが私の限界だったのだと思う。

まわりで環境的なトラブルがいくつもおき
もうどうしようもない
どうすればよいかわからないような状況になり
それでもなお、必死で頑張っていたある日。

泣きたいような感じなのに涙がでない。
そんな自分の状態に気がついた。

体と心が完全にずれてしまっていた。あの時の悲しさ。

意を決して
一度も預けたことのなかった子供達を主人に預け
リンカーンセンターにあるガラス張りのカフェにいった。

一冊の本を持って。

その本は優しいお手紙のような文章で始まっていて。
そのページを読んだ瞬間に涙があふれてとまらなくなった。

そうして更に、その本の中に書いてあった
好きなことをやってみよう
まずは書き出してみよう。
と、いう言葉に促されるように書いてゆくも、
自分が書いた言葉たちをみても
心が全く動かない
そこには空虚な表面的な言葉たちが並んでいた。

一瞬パニックになりそうだった。
私はいつのまに
自分の好きなことすら
好きな色すらわからなくなってしまったのだろう。
と。

それが
今思うと新たな人生への第一歩だった。

気づけたこと。
その段階で、果てしなくどん底のように感じたとしても
気づくということは
勇気ある最初の一歩だ。

そこから
まず環境をかえ
学びを始め

徐々に体のつらい症状がなくなり
心が戻ってきた。

フィトセラピーに出会いハーブを毎日自分のために選ぶことで
自分の中を大切に感じることの大切さを思い出した。

それでもなお、
どうしようもなく湧き上がる黒い思いをどうすればよいか
わからないでいた。

出てくるたびに、スッキリさせ気分転換をすることしかできなかった。

やがてシンガポールに移り住み
私の大切な空間
シンガポールボタニックガーデンに出会い
ガイドの学びを通して
植物をじっくり観察するということを始める。

その中で長い期間観察をし続けたナツメグの樹のプロセスの中で
ようやく、心の闇、黒い思いというものが
本当はどういう役割をしているのかに気づけたのだ。

ナツメグのあり方が
私に教えてくれた宝物だ。

あらゆる闇の中には可能性の光の種が内包されている。
黒い思いが浮上するのは
本当にはその種が出たがっているのだということに。

ようやくようやく気づけた瞬間だった。

その日から私は丁寧に丁寧に
心に浮上してくる感覚が
どんなものなのかを自分で感じ取り
どんな思いも丁寧に大切に扱うことをし始めた。

あれから6年。

つい先週のこと。

瞑想中にハートのあたりに
モヤっとした違和感を感じて
丁寧に感じてみたら

ハリーポッターに出てくるドビーのような風貌のちっちゃい小汚い存在が背中を丸めてそこにいた。

更に感じていってわかったこと
その存在は
私がかつてずっと自分に言い聞かせるように言い続けた
黒い思いはだしちゃだめ
世界を汚してしまうから
迷惑をかけるから
黒い思いは抑えつけなくては。

という重なり続ける抑圧がイメージとして結晶化したもの。

涙が溢れてとまらなくて
私はようやく、その存在を感覚全てで抱きしめることができた。

ごめんね、ごめんね。ありがとう。と伝えながら。

すると私の中のドビーのような存在は
その体の中から黄金に光る芽を取り出して手渡してくれた。

ナツメグが教えてくれて抑圧をやめたあの時から
きっと
ドビーという闇が持ってくれていた可能性の種は
その中ですでに発芽し
逞しく力強く育ち始めていたのだった。

それを受け取ると
ドビーは姿を変え、嬉しそうな響きを残して消えていった。

人生の中には
いえ、それ以前に
自分の中に湧き上がるものの中には
沢山の質のものがある。

それがいつでも見た目通りではないことを
表面的ではない本質的なエッセンスをみつめるまなざしをもつことがどういうことなのかを
私は長い時をかけてようやく、腑に落ちるように
私のあり方のなかに招き入れることができたようです。

エゴの視点
個性の視点
思いやりの視点
魂の視点
大きな自然や宇宙の流れの視点。

それら全てがもつまなざしの質。

私たち人は
瞬間瞬間で、どの視点にいるかを自分で選ぶことができる。
人と関わる時に
自分の中のどの視点からお相手のどの視点へ語りかけるかも選ぶことができる。

感じることは全て大切な宝物だ。
それがどんなに黒くても、どんなに白くても、どんなに混ざり合った色でも。

たったひとつの気づきに至るまでの
人生の中の長い長い学びの流れがいまひとつ、ようやく終わりを迎えたよう。

気づきに至るまでの流れはきっと他にも沢山の流れがある。
自分のこの人生の中での流れ
魂の歴史の中での流れ
家系の中での流れ
国や人類の中での流れ
地球の中での流れ
宇宙の中での流れ
そして
流れそのもの。

その全ては、今自分が生きて感じることで見い出し変化してゆくことができるもの。

だからこそ
感じる感性を大切に
感じること全てを丁寧に慈しむように
淡々と進んで行けばいいのかもしれない。

こういう内的世界のことは
周りからは見えない。
見えないけれど、感じることがあるならば
それは本当に尊い真実だ。

地球、自然界はすでに
癒しのヒントも叡智も与えてくれている。
そしてそのあり方で大切なエッセンスを顕し続けてくれている。

そんな叡智や癒しを
感じる力を育み
自然界と繋がりなおし
日々の営みの隅々にまで活かしていくあり方を。

また新たな思いと共に
様々な強みとツールたちとともに
届けてゆく人であれたらと思う。

そのために、肉体あるこのパーソナリティを丁寧に動かしていける人であれたらと思う。

自分の人生の中で
一つひとつの点が流れとなってゆくように気づいていったものは
かけがえのない宝物だから。

長い文章、最後まで読んでくださりありがとうございました🍃✨✨

今日も素敵な一日になりますように💖

いっぱいの愛と感謝を込めて✨✨✨




最愛なるドビーへ✨心からの愛と感謝を✨✨