これは映画館行って観た。
けっこうよかった。
観てないけど「最後のモヒカン族」と似てるのかな?
それはさておき。
やっぱり映画は映画館で観るといいね。
映像ってやっぱりサウンドが重要。
映画館ってやっぱり画面もさることながら音がでかいから気持ちいいよね。
トムはなかなかよく演じていたと思う。
サムライの認識として、はじめに遭遇するあたりがイメージ的にまず持っていたものだと思う。
ようするにあの山っていうか「森を縦横に騎馬で駆け巡る神秘的な集団」ってことだよ。
あの絵からくる印象はやっぱり霊的な(スピリチュアルな)表現をめざした印象を受ける。
そういう認識はいいとおもう。
平野での鉄砲隊主体の近代的な戦法というよりはどちらかというと「山の神」的な神秘性のほうに魅力感じるからね。
武士といってもさらに古い体質が描かれてる。
あとは地方性っていうか、江戸だとああいった森をかけめぐるノウハウって育たないから、幕末にあって山がちな地方にあって、当時からして時代にとりのこされたカタチで「武士」(山の神と同一視されるほどの古いイメージ)がのこっていたらかっちょよいなぁ~、ってことだと思う。
日本映画として日本人が作るとたぶん、そんな描き方「できなかった」のではないかと思える。
山に城があってむかしだから地方豪族的な自治をおこなっている極めて古い武士の設定。
かなり極端な設定だけど、かっこよさってそういうふうにすれば、やっぱりきわだつもんだと考えた。
外人ならではだと思う。
桜舞い散る中ガトリング砲に騎馬で突っ込む美学。
さらに自分のしていることに畏れ、激しい後悔といりまじった官軍の兵士が耐えられずひざまづくくだり。
ここでちょっとでもうるっとこないやつの神経はどうかしてる。
情動が正常動作していないと思う。そういう人は一度カウンセリング受けたほうがいいと思う。
トムがさ、日本人のつぼ知ってるってことだよ。
ここで絶対に「うるうる」だ!って。
ひねてたってなんもいいことねぇぞ!
それはすごくリサーチしたし勉強したはずで、それを客観的にみて答えを出してる。
だから一般論として強い価値観を表現してくれている以上、あそこはまず「うるうる」だ。
ああいうのがいいとかわるいとかじゃなくてそもそも武士ってのはなんだったかではなくて、幕末にあってはそのなりたちが形骸化していたりもするわけだからもう良い悪いではない、マイノリティってのはなんなのか?何に対するマイノリティなのか?ということを「武士」をとおしてちょっと考えればそれでよくて、その思考のプロセスからごく自然と「うるうる」がやってくるはずなんだ。
桜の演出も美しくていい。
入学式だ。
卒業だ。
そういうことだ。
現代人はみんながあの官軍の一兵士の子孫だろう。
同じ感情を共有できないでどうする。
それを外人のトムさんがやってくれるんだからこれはうれしくなっちゃうわけでしょ。
おれは少なくともうれしかったし、感動できたよ。
ことさら日本人って言うのもかっこわるいことだけどね。
極○カラテとかさ、テレビとかで「外人には負けないようにがんばる!」って言ってるの聞くとなんかおかしいんじゃないの?って気になる。
そんなの実際は関係ないはずなんだよ。
カラテの純血性なんて無いわけだしね。
まあ、日本人、と言ったって、半分以上大陸系、朝鮮系なわけだからね。
そんなくらいだから中世以降日本のアイデンティティとなっていたのは間違いなく「武」だから。
でも地方ってのはそれプラス独自の民族の(これらがおそらく古い日本民族)アイデンティティもってたわけでしょ。
なにか、そういう入れ子構造がある。
そういう感情が人類には根深くよこたわってるからね。
いくら合理的といったって、手放しで西洋文化うけいれて喜んでいるというのもおバカな話だよ。
「合理的」という考えにはそもそも根本的な欠陥もあるように感じる。
なぜかというと、そもそも合理的なんてのは人が思いつく範囲の理屈に合わせてやってますよ。ってことだから。
あほらしい。
神とあがめてきたものの正体をなんであったのか気づかずに否定してるってこともある。
ここでの話しは非合理的な話だから、一貫性とか常に無いわけ。
ラスト・サムライ、なかなかいい映画だよ。
(風邪でくるしみながら書いています。)