ここ何年かで感じることなのだが、テレビなどによく露出する一線で活躍中のスポーツ選手たちが、どんな選手になりたいか?とか、どんなプレーをしたいか?という質問に対して、
“夢を与えられるような・・・”とか“夢のあるプレーを・・・”などと発言することが、多くなってきたような気がする。
この発言を聞くと、はぁ?と思うと同時になんだかしらけてしまう。
夢は与えようと思って与えられるものではない。夢は本人が感じるもの、見出すものである。
“与える”なんて、おこがましい。
どんなにものすごいプレーをしたとしても、見ている者がそこに価値を見出せなければ夢などないし、どんなに些細なありきたりなプレーであっても、それが見ている者の心を振るわせれば夢につながる。
つまり、夢が有るか無いかというのは、見ている受け手側の感じ方しだいであると思う。
だから、スポーツ選手は、人に何かを与えようなどと考えずに、自分自身が自分自身のために最高のプレーをすることだけを考えていれば良い。
特にプロ選手は、一般人には到底なしえないその卓越した技術・体力・精神力があってこそのプロであり、それを見ることを我々は期待しているのであるから、さらにそれらを磨いてほしい。
また、“最近の世の中は夢が無い”とか“若者に夢を与えられる社会を作らなければ”などという言葉をよく聞くが、本当にそうなのか?夢とは上から下へ与えるものなのか?
夢とは自分自身で見つけるもの、感じるものだと思う。
では、大人は何をすべきか?自分自身が自分自身のために充実した生活を送り、そして仕事を楽しむことである。
子供はそれをしっかりと見ていることだろう。
そのためには、もちろん社会的な制度を変えていく必要もあるが。
私の考えはひねくれているだろうか。