ブログネタ:好きなキャラクター
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観察
最近伊勢志摩市の海女萌えキャラが問題に成っているようですね。
http://www.sankei.com/west/news/150904/wst1509040005-n1.html
描写は言われている様に、ドぎついものを感じました。
キャラの胸のあたりを膨らませるのではなくて、
「物語性」で胸をふくらませてこそ、フレモン的には萌えます。
個人的趣向ではありますけれど、
「萌えキャラに成っていない」様な気もしました。
考察①
萌えと言う言葉は、草木が伸びるさまと言う事らしいけれど、
フレモンも庭の草木の芽を毎年、見ては愛でているので、
萌え萌えしてもいます。(●´ω`●)ゞ
時間の経過で成長していくのか、時間が止まったままなのかに
草木と萌えキャラは大きな違いが有ります。
時間の経過とともに成長していく、この場合は少女像、
昨日のフィギアではないけれど、ジュニアの選手がシニアへととか、
芸能人の、変わって行く様とかをちょっと心配しながら見る目線。
そんな感覚に、萌えに通じるものを感じます。
愛でるとか可愛く感じるとでもいうのでしょうか。表現が難しいです。
ただこれらのキャラに対して、
性的な趣向を持って見る人も居るのだろうけれど、・・・
何で、そういう風に成って行くんだろう?
逆に時間は止まって、もう動く事のない
名前の無い過去の人の像で考えてもみよう。
極端な例えだけれども、裸婦像や春画に、
性的なものを感じて密人はどれ位居るだろうか?
大体の人は概ね、芸術性と言う意味で見ていると思う。
裸婦像と春画 相手に対する思いやりが抜けた話>
考察②
フレモンの個人的趣向で思う萌えと、
秋葉原界隈で言われている所の萌えとには、
時間的成長と言う意味では違って、
時間が止まった中で、それを見る事により、
性的趣向性が強まり易いのかもしれません。
詰まり逆に言うと、絵画でも萌えキャラでも、
それを見る人がキャラ化していくと言うのか、
その世界の中で時間が止まった状態に成ると言うのか…
時間を忘れて、夢中に成るのは、時にはいい事ではある。
萌えキャラも、春画も裸婦像も、時間が止まった中の一瞬、
その中に自分を溶かし込んで、自分の時間を気持ち的にとめる事も、
人それぞれに自由だと思います。
けれど、生きている以上、時間を忘れようが気にし様が、
必ず動いている中で生きているのだから、
その時間が止まったまま、その世界に溶け込み過ぎている様に、
それを見ている周りの人が物凄い違和感を与える状態が出来る。
ここに多くの萌えキャラの問題点が隠れている様な気もします。
セクシーな描写もその人の中では卑猥な描写に成っているかもしれません。
(その世界の中に溶け込んでしまった人が、おこしやすい問題)
変な人として忌避され易くなるのが普通!
猥褻or芸術? 図画は見る人次第?>
「むっつりスケベ」と言うフレーズ
友達にもよるけれど、装置が機能・・>
推察
それはそれとして、
キャラ自体の性的な物を感じ易い描写もよくはないけれど、
フレモン的に最初、「萌えキャラ」に成っていないと言ったのは、
時間経過的な成長する過程が抜けていると言うのか、
姿格好こそ海女さんの格好ではあるけれど、
フレモン的には、キャラの胸を膨らませる事よりも、
「物語性」の方を膨らませて方がよかったのかなと思う。
洞察①
世間の声から、このキャラは、
市の公式キャラではなくなったらしいですけれど、
これから何がしかの
キャラ(緩きゃら)の様な物を自治体が持ってもいますけれど、
その実あまり機能していない部分もある様な気もします。
ご当地の萌えキャラと言うものが各地で浮上してきてもいる昨今、
(「あきたこまち」と言うお米のパッケージから、この流れが顕著に成って来た?)
そのキャラクターに
現在進行形の物語性を与えるのと、
「ご当地の紹介」と言う意味合いで、
「ご当地漫画」と言う流れが
出てきても良いのかなと思います。
洞察②