フレモンの「フレーズ」研究ブログ~「人間関係」~口癖・諺・言い回し・つぶやき・言葉・心理。★★目に見えない大切な事★★

フレモンの「フレーズ」研究ブログ~「人間関係」~口癖・諺・言い回し・つぶやき・言葉・心理。★★目に見えない大切な事★★

「ネガティブ」過ぎるにも程が有るけれど、薄っぺらな「ポジティブ」は無責任だと思う!言葉が軽いイメージの人が多過ぎる?人は何故そのフレーズを口にするんだろう? フレーズに隠された人の本音 「世の中」的「普通」が大切

今日はフレモンです。

 

今日はなんだか「勝負」と言う

フレーズが気になりました。

 

お前の「勝負」とかいうのは

勝負にもなってない…

 

そんなことを店内ミーティングで

言われた事が有ります。

 

お前みんなの気持ち考えろよ…

とも言われました。汗”

 

皆様いかがお過ごしでしょうか?
 
 
 
 
観察
最近、567で、勝負の3週間とか、
一か月とかいうフレーズも多いようですね。
 
昔フレモンも店内の話し合いで、
何かを力説する時に、
良く使ってたキメ台詞
だったのですけれど、
 
何回も使っていると、と言うのか、
同じことでまた勝負と言うと、
又かと呆れられたのを
覚えてもいます。
 
何でだろうと思った事を認めます。
 
 
 
考察
もう何度目よ!
 
力説をして他人を説得
しようとしてたのもありますけれど、
これは「運命共同体」でしか通用しないフレーズ
 
周りのみんなは、勝手にやれば
そんな雰囲気でもありました。
 
其々国家資格の免許を持っているし、
良い話(他の店に行く)話があれば
どうするかも自由だし…
 
それもそうだよな…
見当違いも甚だしいと
自戒したものです。
 
自由で元気な人に向かって、
勝手に熱を噴いて、この集まりは、
これから、こうしていかなければ
とか言っても、
 
その向こう側にある利益を
皆が感じられないようでは話にもならないし、
 
鼻先にニンジンをぶら下げる
ようなやり方をする人も居たけれど、
反応もいま一つ…
 
良く言うリーダーシップ論もそうだけれども、
要はは集まりの方向性を引っ張れる人が、
リーダーと言うのかもしれない。
 
その折に良く使われるのが、
チームだとか勝負とかいうフレーズは
これではただのゲームと言う勝負?の様な…
 
集まりの皆はゲーム版の駒の様なもの…
無意識に勝手な熱を噴きそういってたし、
無意識に反感を買っていた様な…
 
何度目余と反感を買われたのも、
自分の都合しか考えて居なかった
言動を反省するばかり…
 
 
 
 
推察
勝負には英語でいう所のゲームと
バトルとマッチが有ると思うのですけれど、
 
何となく集まっている集団ほど、
また在籍御自由なほど、
集まりに対して忠誠心みたいなものは
薄れるのが普通なので、
 
バトルと言う勝負をした場合、
集まり内での対立構造が生まれやすいような…
つまり自粛警察とか、とんでもマナーとか…
 
集まりに何かを強要する勢力と
抗う何となくのみんなと言う
構図に成り易いような…
 
 
 
推察
やはり
運命共同体と言う意識と言うのか、
アイディンティティと言うのか、
 
そういう気持ちが薄い中では、
やはりマッチの勝負と言うのか、
 
一人一人が恐れる何かに、
一人づつ、そいつにやられる
かもしれないので、
 
遣られる前に、
周りのみんなも備えようとか、
みんなで具えれば、より打ち勝ち易いとか、
そのための行動を考えてしようようと言う
流れが説得しやすいような…
 
+(プラス)これが大事!
 
 
 
洞察
最悪、店が倒産しても自分には関係ない
若いしいくらでも他のお店に行ったりできるし…
給与はしっかり払ってね…
 
忠誠心のかけらもありませんけれど、
若い人ほどそういう風に思うのは、
ごく普通の事だと思います。
 
そういう意味合いを567の事案に翳せば、
お年寄りを大切にするのは落ち論ですけれど、
若い人をもっと大切にしないといけないことが
浮き彫りとなります。
 
 
忠誠心が薄い若い人が
マジョリティになりつつあるので、
その塊の協力が大事なので、
 
その人たちへの呼びかけが大事ですし、
60代以上の人たちへの呼びかけもまた、
大事なような…
 
呼びかけと言っても、
567対策として、抑制をして、
損失を最小限に止めたいというのでは、
 
人は動かないような…
 
+(プラス)大事な事!
皆でこうやっていけば得をするというのか、
当たり障りのない言葉でいえば明るい未来に、
特に若者が到達できると思えてこそ、
協力的になって行く様な気もします。
 
自助共助公助なんて言葉も、
明るい未来像につなげて見せる
ビジョンこそが求められているのでは?
と思うフレモンなのでした。
 
 
PS
社会貢献=責任ある大人(家庭や子供への)
ここへの訴えかけなくして勝負とか言わない方がいい様な…
 
 
明るい未来と入ったものの、
ふた昔前高度経済成長期に
若者だった時代人が思う世の中と、
現在の若者とでは、
 
頑張ったなりの報われ方が結構違っている
社会に成っているっと思います。
 
 
いわゆるグローバル経済のあおりと言うのか、
合理化の行きついてきた先と言うのか、
 
人の人的サービス(無形資産と言われる
各仕事でのやり方などの集積)が
何も評価されなくなってきて、頑張り様がないのでは?
 
そう考えれば、昔の若者は報われてたし、
報われるからこそ、その時代に生きた若者には、
責任感が今よりもあったと思います。
 
社会貢献というのか、難しい言葉もありますけれど、
要は、ちゃんと家庭をもって子供も養ってとか、
責任という言葉を社会貢献という言葉に置き換えられる。
 
些か違うような気もしますけれど、
そういう社会にあっては、ちゃらんぽらんな事をして、
世の中の風紀と言うのか常識を乱す人を許せない人も多いので、
 
相互監視というのか
「普通そうだろ」というフレーズが代表的ではありますが、
ちゃんとした行動を個人レベルで守っていた
社会だったのではないでしょうか?
 
仲には可笑しな人も居たのでしょうけれど、
事現在の567問題を昔の風景に翳せば、
 
居酒屋さんを利用するにしたって、
頑張れば報われる社会が壊れて欲しくない若者からすれば、
 
そういう変な真似をする人間を
直ぐそばで窘めるのが普通だと思います。
 
それが今や、頑張っても報われづらい世の中にあっては、
567の広がりは気にしない人も多いだろうし、(重傷は嫌)
 
あわよくば、言い過ぎかもしれませんけれど、
苦しくない程度の呼吸器などの障害を負って、
障碍者に成りたい人も居るような気もします。
生活保護狙いの人が多く成る様な気もします。
 
周りなんかどうでもいいのですから…
運命共同体とは程遠い存在の人が増えています。
 
社会に対しての責任というのか、
昔の若者で言う所の
真っ当な人生
歩む上での責任(家族や子供への)
そういう基本的な社会貢献をしたい
気持ちも育めていない社会の末路。
 
 
勝負というフレーズを使うなとは言いませんけれど、
笛吹けど踊らずというように、
 
今の世の中の若者と言われる人の多くにはまだ、
社会貢献というのか、
責任ある大人になりたいという願望があるものだとして、
 
やるべきことは頑張ったら、
それな類に報われ易く成る社会構造を
作り直す事への挑戦があってこそ、
そのフレーズは呼応されるような気もします。
 
構造改革
 
その昔小泉政権の時、このフレーズのもとに、
何某かの大きな変化があると期待したあの時の若者が動いた。
 
結果は・・・
 
 
今アメリカでも似たようなものを感じます。
大学を出ればいい仕事にありつけると思い、
高い奨学金を借りて…
なんていうのも日本国内でも同じような物かも…
 
トランプさんに、今のアメリカの
構造を変えて欲しいと思う人が多いから
ああいう事に成るのかもしれませんね。
 
何にしても、勝負というフレーズを使うには
薄っぺらなものを感じます。