ブログネタ:LINEの文は長め?短め?
参加中私は短め 派!
本文はここから観察
学校の友達とか、ちょっとした知り合いで、
普段何気に同じ場所で喋っている様な状態が、
ラインという世界だと思う。(ネットやSNSも同じ)
その関係が全てと思い込んでしまう所に、
間違いの元が有る様な気もします。
親や周りが出来る問題の対処や対策は、
思い込んでいる子供など、悩んでいる人に、
それ(人間関係)が全てではないし、
思い込みである事を気がつかせる事が、
大切な様な気もします。
愛をお恵み下さい↑(^_-)☆
考察①
そもそもラインいじめでも、
ネットやSNSなどで起きるこれらの問題や、
リアルな世界でも起きる無視や嫌がらせ等が、
何故起きるのかを考える時、
かつて高校時代に降るかかった
エピソードを思い出します。
フレモンはかつて、友達だった様な人に、
いじめて、いじめて、
いじめ抜いて遣る!
とか言う言葉を言われた事が有ります。
それはそれで可愛いと言うのか、
フレモンがその人の中ではある意味、
自分が重要な位置付けになっていると
自分で思っている裏返しの様な言葉なので、
まぁ変形と言うのか、
屈折した「かまって」の様な気もしてました。
それはそれで、フレモンの基準で、
相手が勝手に濃い関係だと思い込み過ぎていたり、
自分もまたその関係が全てだったり、
重要な関係だと思っていたりする場合に、
そのボタンの掛け違いや行き違いから始まる
関係の亀裂を深刻に受け止め易く成り易い。
けれど逆に、その人間関係だけが全てではないし、
その人との人間関係もそんなにない?と思う程に、
亀裂も何も意味が薄くなります。
でも、人として少しでも
人間関係が有る関係が
解れかかっているのを
「少しでも修復させたい」
と言う気持ちが働くからこそ
深刻人ってくるものだし、
それが人間としての
心の動きとしては
普通だと思います。
そもそも、
その人間関係とか、
「重要」な
関係なんだろうか?
あいつ気に食わないとか、
屈折した「かまって」要求は、
共通の共感を誘う様な事を
同じ集まりの中で、
募り始めるのが一般的で、
それはそれでよくあるし、
それも普通の事の一つだと思います。
でもそういう事をして、
誰かをつまはじきにしたり、
みんなで無視や
嫌がらせをする人間関係って、
本当に濃く重要な関係なんでしょうか?
考察②
逆に旧友の美談と言うやつが、
世の中には溢れているし、
それはそれで否定もしないけれど、
後の世で語られる旧友の美談
と言う話の中に出て来る関係って、
お互いに程々濃い関係を
築き上げてきたからこそ、
出てくる話。
なので、一寸した事で、
屈折とまでは言わないけれど、
友達と言う認識の人に対して、
「いじめてやる」とか言うフレーズを
簡単に言う人間と、
一緒に修羅場と言うのか
危機的な事を乗り越える
もあるのでしょうか?
対して共通の危機的な事も無いのに、
普段だべっているだけの薄い関係で、
それを濃い関係と錯誤して、
「いじめてやる」とか言うのも構わないですけれど、
そのフレーズを
わさしめた原因を考えれ時、
その人は自分が重要な人間だと、
自分で思っているが故に、
一寸した行き違いが
無視をされたとか思い込んで、
それの仕返し的に、
意識的に無視をしだしてしまうなどの
症状が出易い様な気もします。
人間、本当に社会単位で
重要人物は早々いませんけれど、
いかんせん、
誰もが陥り易い勘違いの一つに、
自分は重要な人物と
思い込んでしまうきらいが、
誰にでも備わっている
様な気もします。
そのナイーブな自尊心(プライド)を傷つけてしまい、
結果、そういうフレーズを引き出してしまった所には、
多少の瑕疵はあろうかと思いもしますけれど、
そもそも社会的に重要な人間は滅多にいない。
いわば精々小さな
8人位の社会で重要と言うだけの様な…
そもそもそんな簡単な関係でしかないのに、
それを全てと、お互いに思い込んでしまう所に、
の病巣は隠れている様な気もします。
推察①
そう考察をして行くと、ラインいじめやネット、
SNSなどに限らずリアルな関係でも、
親や周り、悩んでいる本人や、
いじめと言う物を遣ってしまう人間が、
問題の対処や対策、解決に向けて、
何をどうするのかが見えて来る様な気がします。
今目の前にある関係は
大切にしていきたい関係だし、
良い思い出もできるだけの関係もあれば、
将来実りのある関係につながる関係もあるけれど、
その関係が全てと言う
思い込みを解く事が大切。
(見えていないだけ)
推察②
次に、無意識なんだろうけれど、
自分が集まりの中で、
それぞれ自分だけが
重要人物だと思っている
思い込みをしている事を気がつかせる。
他の集まりや、
これから社会に出てから出来るであろう
未来の関係も見えていないので、
それがその人の中で社会になっている
と言う錯誤を解く事が大切。
自分は大した事がない人間だという、
再認識したりさせたりが大切。
深刻ないじめ現象の軽減には、
周りの人や親も本人もいじめの加害者も、
この認識を共有する程 に、
深刻度は軽減される様な気もします。
洞察①
小中学生学生や
社会人になりたての人や、コミュ症の人に、
その人間関係が全てではない
と言うのも酷な事ではありますけれど、
実際に大した関係ではないからこそ、
簡単に「いじめ」につながるフレーズを
相手が簡単に口走るのかを考えれば、
そもそも「簡単な関係」でしかないのでは?
逆に聞くと、濃い関係の他人は、
ポンポンそんなに出来ないのが
普通ではあるけれど、
そもそも大した関係でもない物を
濃い関係と勘違いしてしまうこと自体が、
ラインいじめ等の、
根幹の一つにの様な気もします。
逆に本当に濃い関係の人は、
いじめではなく労り(いたわり)や
ネギライに溢れていると思います。
それはなぜかと言うと、その関係の於いて、
力を尽くして何か遣ってくれたと思う人なので、
自分が重要人物ではなくて、
力を貸してくれた人が重要人物
だと思う人だからです。
何かしらの危機の前で、
力を発揮できる実力がなくとも、
その方向で動いてくれた事に感謝こそすれ、
出来なかった事を咎める友人って、
友人と呼べるのでしょうか?
また、力のベクトルを問題解決の方向に合わせなかった自分と言う物は、
その集まりで、濃い関係を目指していると言えるのでしょうか?
そういう積み重ねの末に、濃い人間関係は出来上がっていくと思います。
中高生に、その機会は余りにも少ないし、
小さな学校と言う社会の更に小さな8人位を
社会と思ってしまい易い?
それが故に対して困ってもいないけれど、
暇つぶしの延長線上に集まっている関係
ならではの現象の一つではないでしょうか?
洞察②
したがって、ラインいじめと言う物をなくすとか言うのは、
フレモン的に考えるとナンセンスですし、
そういうのを真に受けてしまわない様な、
「啓蒙」の方が大切な様な気もします。
また、いじめとか無視とか、そう言う類の事を
簡単に言ってしまうとか、言われてしまう関係しかできない
自分の幅の狭さを
再認識する社会化教育が、
有ってもいいのかもしれませんね。
じゃ、どうやって
社会を広げるって話は、後日その内…
面倒 くさいと言うフレーズや
強い言葉 の良機会とか、
関係を強める 積み重ねもあるけれど、・・・・
自分が今見ている、
目の前にある関係が
社会だと思い込んでいる
社会だけが社会でなない
と思う事が大切、
と言う事を言いたかったまで…
