喝が渇く? お坊さんの様に道理を説けるかが試される時がある | フレモンの「フレーズ」研究ブログ~「人間関係」~口癖・諺・言い回し・つぶやき・言葉・心理。★★目に見えない大切な事★★

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「ネガティブ」過ぎるにも程が有るけれど、薄っぺらな「ポジティブ」は無責任だと思う!言葉が軽いイメージの人が多過ぎる?人は何故そのフレーズを口にするんだろう? フレーズに隠された人の本音 「世の中」的「普通」が大切

色んな考え方がコーナーの中にあっても良いと思う。

独壇場「的」な部分も強い様に感じるコーナーでは有ったけれど、
それを良しとして見る人も多いから、固定してあるのだと思うし、

変化をつけたかったのかどうかも分からないけれど、カメラ振りなのか何なのか、
混じった他者の考え方を許せない?のはいかがなものかとも感じます。

何が正しいとかも分からないのも憚られはするけれど、
「喝」はお坊さんが
何かを叱る時に使う言葉。


他者の意見が直ぐ傍で混じる事は余り無いかも知れないけれど、
混じった時は誰もが納得する道理が試されているのかもしれない。

それは「喝」と言う言葉を使った人の務めだと思う。

逆にアッパレと言う言葉も有るけれど、喝采と言う意味では、
これもまた他者の意見が混じった時には同じ物が試されてもいると思う。
でも喝采はすでに大半の人が良いと思っている状態なので、滅多に試されないと思う。

納得できる道理を解けるから
気持ち的にも皆(大半の人)が納得できて、潤いを感じられるものでもあるし、
それが感じられない話ばかり「だとしたら」、渇いてくるとも考えられる。

考え方の一つではあるけれど、
喝を言う人は、渇いた話を
してはいけないと思う。